尾上町をゆく(28) 今福(17) 今福の小字「三の坪」
奈良時代、天皇に権力が集まりました。中央・地方のしくみも整ってきました。
地方には国司(こくし)・郡司(ぐんじ)・里長(さとおさ)等の地方官が置かれました。
これらの地方官の主な仕事は治安と農民から年貢を確実に取ることでした。
この税を確実にするための土地制度が条里制(じょうりせい)です。
条里制
条里制は、たぶん7世紀の末には始まっていただろうと思われます。
その仕組みを簡単に説明しておきましょう。
6町四方(約43ヘクタール)の大区画を縦横6等分し、36の小区画に分けました。
そして、その一つをさらに36等分に分け、それぞれに一の坪、二の坪、三の坪・・・・三五の坪、三六の坪のように番号をつけました。
現在でもこのような坪名が小字として各地に残っています。
加古川市に残る条里制
市内では図のように五の坪(加古川町西河原)、九の坪(加古川町溝の口)、五の坪(尾上町養田)、十二の坪(尾上町長田)、五の坪(八幡町中西条)等に小字名として残っています。
現在、長い歴史の中で坪名も消えて復元するのが難しいのですが、今福でも条里制が実施されていたようです。
今福に残る「三の坪」
図中の数字「3」をご覧ください。小字「三の坪」です。今福に、このような条里制に関係した字が残っているということは、今福は少なくとも奈良時代には耕作された田畑が広がっていたことを示しているのでしょう。
おそらく、今福の地に集落もあったのでしょう。
今福はずいぶん古くから開けた土地のようです。