ひろかずのブログ・2

79歳のおじいさんです。散歩したこと、読んだこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、腹が立ったこと等々何でも書いてみます。

尾上町をゆく(19) 今福(8) 無量山・泉福寺

2023-10-06 08:24:33 | 加古川市尾上町探訪

      尾上町をゆく(19) 今福(8) 無量山・泉福寺

 今福・泉福寺は曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺ですが、もともと今の場所にあったのでも、今の宗派でもなかったようです。

 泉福寺も長い歴史を経て、今日にいたっています。その間、火災・水害などにもあったらしいのですが、詳しいことは分かりません。

      泉福寺は元、大崎の光徳院 

 養田・大崎の樋口家に記録があります。

 天正の洪水で紛失したものを明治になり改めて記したものであるため若干の間違いを含んでいるのかも知れません。

 その記録に今福・泉福寺が記録されています。

 ・・・天正の頃、大崎には天台宗・光徳院という寺がありました。

 光徳院は、秀吉に焼打ちされ廃墟と化し、久しくそのままにされていました。

 元禄15年(1702)、光徳院の本尊阿弥陀如来は養田の長福寺へ移しました。

 長福寺は、享保14年(1729)浄土宗に改め寺名も法音寺です。・・・・

 おさらいと若干のつけ加えをしておきます。

 泉福寺は曹洞宗のお寺ですが、江戸時代以前は今の大崎にあり宗派も鶴林寺と同じ天台宗でのお寺で、名前は光徳院と称していました。

 光徳院は秀吉軍の焼き討ちにあいます。

 おそらく、光徳院は三木別所方の味方であったため攻められたと考えられます。

 その後、光徳院はそのままにされていましたが、承応・明暦の頃(16521657)に姫路の景福寺の坊さんが大崎のお寺を今福に移し、宗派も曹洞宗として再興しています。

 泉福寺が、今のようになったのは元禄の頃のようです。

 *写真:泉福寺(墓地がまだありません。ですから昭和47年以前の泉福寺の風景です)

 *『ふるさとの文化遺産(第三巻)』木戸正著参照

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