時々、散歩中に発見があります。先日、権現ダムの周囲を歩るきました。
途中で「中山熊野神社跡」の石柱を茂みに見つけました。
歩いていてこそ見つけられる小さな石柱です。
この石柱は、ここにかつて神社じゃがあり、神社の前の湖の底に中山集落が沈んだことを教えてくれます。
中山熊野神社について少し紹介しましょう。今日は、その1です。
中山熊野神社跡石柱を見つける
昭和50年ごろ、中山集落の一部と集落の熊野神社は権現ダムの建設により水没しました。
それに伴い、中山集落と熊野神社は平荘町神木(こうぎ)の東に移動し、新しい集落は新中山と命名されました。
中山にあった熊野神社は、うっそうとした木立の間にあり、石段を登りつめたところにある荘厳なお宮だっことでしょう。
湖の底に沈んだ集落は、もと中山新村で、成立は報恩寺の古記録などから江戸時代の初め、それも1600年ごろと推定されます。
これは近世の村の成立であり、この地に人間が生活を始めたのは、近くに後期古墳(6世紀)もあり、かなり古いと考えられます。
中山新村は、昭和30年平荘村が加古川市への合併に伴い平荘町中山になり、昭和48年現在の地に移り新中山となっています。
◇きのう(7/24)の散歩(10.593歩)