お寺さんぽ Ver.03

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海津城(松代城)跡 (長野)

2011年09月18日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は信濃の重要拠点として有名な「海津城(松代城)跡 (長野)」です。

行ってきました、川中島。
関ヶ原と並び、戦国ファンならば一度は訪れたい場所ですよね。
こちらへは車で行ってきましたが、道路看板に”川中島古戦場”とか見えただけで…自然とテンションが上がります。
付近のメインは八幡原史跡公園ですが、とりあえずは「海津城址」から。


※見下ろした城内の風景 こぢんまりとした風情

「海津城」が文献に確認できるようになるのは、なんと永禄三年(1560)のことでした。
意外でしたが、結構こっち側なんですねー。
永禄三年は、ゲーム「信長の野望」でもよく開始年になっている、戦国時代の節目ともいうべき年。
三大奇襲戦でもダントツに有名な「桶狭間合戦」、そして「長宗我部元親」の初陣である「長浜合戦」がズバリそちらです。
ちなみに、どちらも5月頃のことでした。

後継者となった甲斐「武田晴信」は、信濃へと侵攻。
北信濃を追われた諸将らに助けを求められたことで、越後「上杉謙信」は武田勢に決戦を挑むこととなったのです。
戦国を代表する両雄が衝突する場所こそが、古来から交通の要衝だった川中島。
そして、付近に位置していた海津城は、北信濃の制圧(統治)・防衛のため、大変に重要な拠点となったのでした。

「川中島合戦」では、しばしば名前が登場しています。
その関係もあって有名なこちらですが、実際の築城年は不明とのこと。
よく分かっていないそうです。
機能・役割から、合戦の前後にはおそらく存在していたと思われるので…第一次合戦の天文二十二年(1553)くらいなのかな。

合戦後も重要な役割であったこちら。
武田氏滅亡後は、その討伐戦や高遠城攻略で活躍していた「森長可(もり・ながよし)」の居城となりました。
付近の四群を合わせて、二十万石だったそうです。
信長死後の混乱期を経て、江戸時代では松代藩。
真田家の居城となったのです。
城名が松代城と変更されたのも、その頃みたい。


※海津城・門 まだキレイです。

国指定の文化財。
城跡は整備され、門や城郭が復元されています。
平成になってからのことらしく、まだ真新しいですね。
本丸内で最も大きさのある太鼓門は、時を告げる太鼓を備えていたことからの命名。
その前には橋が掛かっていたことが判明しており、どちらも復元されていました。
城内は資料館などなく、まだこれからというところでしたが、逆にそんなんが良い風情でした。


[住所]
 海津城(松代城)跡 長野県長野市松代町松代44


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※やっぱりこうも漢字が並ぶとかっちょえーですよね。



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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
来週観に行きます (ひで)
2012-04-07 07:06:50
長野の戦国歴史を検索したら ここにきました。 来週行こうと思いました。自分も戦国好きで 武田信玄 風林火山 真田太平記など大河ドラマなどみて信州を巡って上田原 松代など行こうと思います 参考になりありがとうございました。
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