![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/27/6d74187bbfe223dfff687413d01617f4.jpg)
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は栃木県足利市の注目寺院「鑁阿寺(ばんなじ)」です。
ちょっと前に紹介しました、石仏シリーズ「寝釈迦・行道山浄因寺」
そちらの余談でも書きましたが、ハイキングコースで予定を大幅に狂わされたひでるさん。
この「鑁阿寺」へ着いた頃には、ヘロヘロになっていたのです。
まともに拝観できるような状態でなく、撮った写真も微妙なモノばかり。
ちょっともったいなかったですねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/a9/205557c715cfa2f493d630f1b2d04574.jpg)
”足利の大日さま”として知られる「鑁阿寺」は足利氏の氏寺です。
正式名称は「金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさんにおういん・ほっけぼう・ばんなじ)」
現在は真言宗大日派の本山になっていました。
平安時代末期ころ。
八幡太郎として有名な「源義家」の四男「源義国」の子。
後に足利氏を名乗ることとなる、「源義康」は、ここに館を構えていました。
そう、こちらは寺というより、もともと武家屋敷だった地なんですね。
それが建久七年(1196)のこと。
義康の三男「源義兼」は執権「北条時政」の娘「時子」を妻としておりました。
(※「時子さん」は「北条政子」の妹で、「源頼朝」とは義兄弟)
鎌倉幕府成立に活躍した彼は晩年になって高野山に入りますが、その関係で自宅にも大日堂など七堂伽藍を建立。
源家から伝わる「大日如来」をここに安置したのでした。
その後、災害にも戦火にも遭わず、足利氏の氏寺として無事に発展。
一時期は、一山十二坊の大伽藍という大勢力(鎌倉時代末期)だったようです。
なお、義康の僧名は「法華房鑁阿(ほっけぼう・ばんな)」
付近にある「足利学校」を興したのもその義康なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e3/095e0b7f58f5c9f34ba6406a070711be.jpg)
こちらの本堂は国指定の重文で鎌倉時代のもの。
鐘楼(しょうろう:鐘つき堂)も同じく鎌倉時代で義康の創建と言われている重文です。
楼門(山門)は室町時代(戦国)で、あの「足利義輝」が再建したもの。
歴代の足利将軍座像などもずらりと揃っていました。
(※将軍座像の経堂は常時拝観でないかも)
どちらかと言うと、歴史好きな方のが楽しめるかと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_eye.gif)
[関連記事] 【 源平合戦 祭り 】
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
⇒ 源頼光と四天王 <前編> 実際の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <中編> 虚像の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <後編> 四天王は存在した?
⇒ 鎮守府将軍 「源頼信・源頼義」
⇒ 八幡太郎の真実 「源義家はすごかった」
⇒ 八幡太郎の活躍 「前九年の役」
⇒ 名を上げた源家と奥州藤原氏の祖 「後三年の役」 前編 後編
⇒ 棟梁をねらえ! 新羅三郎「源義光」
⇒ リアル・なんちゃら無双の真実と虚実 (巴御前) 前編 後編
⇒ 伊勢平氏 (平正盛) 前編 後編
⇒ 頼朝の危機を救った忠義の武士 (土肥実平) [前編 中編 後編]
⇒ 人呼んで”悪源太”こと「源義平」 「大蔵館合戦」[1 2]
⇒ 欲望渦巻く天皇家 (鳥羽院・平安時代末期)
⇒ 源平激突!白河殿 「保元の乱」[1 2 3]
⇒ 源氏衰退、平家政権樹立 (平治の乱)[1 2 3 4]
⇒ 直接対決!鎌倉幕府vs朝廷 「承久の乱」[ 1 2 3 4 5 6 ]
⇒ 義仲寺 (滋賀)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)
★宜しければ応援クリックお願いします。 ⇒ 【人気blogランキング】
※なかなか面白い所を突っ込んだ1冊ですね。
いかにもヘルシーそうですが、どうでしょう。
本日は栃木県足利市の注目寺院「鑁阿寺(ばんなじ)」です。
ちょっと前に紹介しました、石仏シリーズ「寝釈迦・行道山浄因寺」
そちらの余談でも書きましたが、ハイキングコースで予定を大幅に狂わされたひでるさん。
この「鑁阿寺」へ着いた頃には、ヘロヘロになっていたのです。
まともに拝観できるような状態でなく、撮った写真も微妙なモノばかり。
ちょっともったいなかったですねー。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/a9/205557c715cfa2f493d630f1b2d04574.jpg)
”足利の大日さま”として知られる「鑁阿寺」は足利氏の氏寺です。
正式名称は「金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさんにおういん・ほっけぼう・ばんなじ)」
現在は真言宗大日派の本山になっていました。
平安時代末期ころ。
八幡太郎として有名な「源義家」の四男「源義国」の子。
後に足利氏を名乗ることとなる、「源義康」は、ここに館を構えていました。
そう、こちらは寺というより、もともと武家屋敷だった地なんですね。
それが建久七年(1196)のこと。
義康の三男「源義兼」は執権「北条時政」の娘「時子」を妻としておりました。
(※「時子さん」は「北条政子」の妹で、「源頼朝」とは義兄弟)
鎌倉幕府成立に活躍した彼は晩年になって高野山に入りますが、その関係で自宅にも大日堂など七堂伽藍を建立。
源家から伝わる「大日如来」をここに安置したのでした。
その後、災害にも戦火にも遭わず、足利氏の氏寺として無事に発展。
一時期は、一山十二坊の大伽藍という大勢力(鎌倉時代末期)だったようです。
なお、義康の僧名は「法華房鑁阿(ほっけぼう・ばんな)」
付近にある「足利学校」を興したのもその義康なのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/e3/095e0b7f58f5c9f34ba6406a070711be.jpg)
こちらの本堂は国指定の重文で鎌倉時代のもの。
鐘楼(しょうろう:鐘つき堂)も同じく鎌倉時代で義康の創建と言われている重文です。
楼門(山門)は室町時代(戦国)で、あの「足利義輝」が再建したもの。
歴代の足利将軍座像などもずらりと揃っていました。
(※将軍座像の経堂は常時拝観でないかも)
どちらかと言うと、歴史好きな方のが楽しめるかと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_eye.gif)
[関連記事] 【 源平合戦 祭り 】
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
⇒ 源頼光と四天王 <前編> 実際の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <中編> 虚像の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <後編> 四天王は存在した?
⇒ 鎮守府将軍 「源頼信・源頼義」
⇒ 八幡太郎の真実 「源義家はすごかった」
⇒ 八幡太郎の活躍 「前九年の役」
⇒ 名を上げた源家と奥州藤原氏の祖 「後三年の役」 前編 後編
⇒ 棟梁をねらえ! 新羅三郎「源義光」
⇒ リアル・なんちゃら無双の真実と虚実 (巴御前) 前編 後編
⇒ 伊勢平氏 (平正盛) 前編 後編
⇒ 頼朝の危機を救った忠義の武士 (土肥実平) [前編 中編 後編]
⇒ 人呼んで”悪源太”こと「源義平」 「大蔵館合戦」[1 2]
⇒ 欲望渦巻く天皇家 (鳥羽院・平安時代末期)
⇒ 源平激突!白河殿 「保元の乱」[1 2 3]
⇒ 源氏衰退、平家政権樹立 (平治の乱)[1 2 3 4]
⇒ 直接対決!鎌倉幕府vs朝廷 「承久の乱」[ 1 2 3 4 5 6 ]
⇒ 義仲寺 (滋賀)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都編)
⇒ お寺バンザイ! (たまに行くならこんな寺・京都外地域編)
★宜しければ応援クリックお願いします。 ⇒ 【人気blogランキング】
![]() | お寺の奥さんがつくるおかず 春夏秋冬、くりかえし食べたくなる禅の旬菜 |
松原 真紗子 | |
大和書房 |
※なかなか面白い所を突っ込んだ1冊ですね。
いかにもヘルシーそうですが、どうでしょう。