お寺さんぽ Ver.03

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鑁阿寺 (栃木)

2010年10月17日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は栃木県足利市の注目寺院「鑁阿寺(ばんなじ)」です。

ちょっと前に紹介しました、石仏シリーズ「寝釈迦・行道山浄因寺
そちらの余談でも書きましたが、ハイキングコースで予定を大幅に狂わされたひでるさん。
この「鑁阿寺」へ着いた頃には、ヘロヘロになっていたのです。
まともに拝観できるような状態でなく、撮った写真も微妙なモノばかり。
ちょっともったいなかったですねー。



”足利の大日さま”として知られる「鑁阿寺」は足利氏の氏寺です。
正式名称は「金剛山仁王院法華坊鑁阿寺(こんごうさんにおういん・ほっけぼう・ばんなじ)」
現在は真言宗大日派の本山になっていました。

平安時代末期ころ。
八幡太郎として有名な「源義家」の四男「源義国」の子。
後に足利氏を名乗ることとなる、「源義康」は、ここに館を構えていました。
そう、こちらは寺というより、もともと武家屋敷だった地なんですね。
それが建久七年(1196)のこと。

義康の三男「源義兼」は執権「北条時政」の娘「時子」を妻としておりました。
(※「時子さん」は「北条政子」の妹で、「源頼朝」とは義兄弟)
鎌倉幕府成立に活躍した彼は晩年になって高野山に入りますが、その関係で自宅にも大日堂など七堂伽藍を建立。
源家から伝わる「大日如来」をここに安置したのでした。
その後、災害にも戦火にも遭わず、足利氏の氏寺として無事に発展。
一時期は、一山十二坊の大伽藍という大勢力(鎌倉時代末期)だったようです。
なお、義康の僧名は「法華房鑁阿(ほっけぼう・ばんな)」
付近にある「足利学校」を興したのもその義康なのです。



こちらの本堂は国指定の重文で鎌倉時代のもの。
鐘楼(しょうろう:鐘つき堂)も同じく鎌倉時代で義康の創建と言われている重文です。
楼門(山門)は室町時代(戦国)で、あの「足利義輝」が再建したもの。
歴代の足利将軍座像などもずらりと揃っていました。
(※将軍座像の経堂は常時拝観でないかも)
どちらかと言うと、歴史好きな方のが楽しめるかと思います。




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