お寺さんぽ Ver.03

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細川氏の臣、父三好元長 (三好長慶とその一族)0

2009年03月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は畿内の覇者「三好長慶(みよし・ちょうけい)」です。
過激な言動とか、歴史の超有名人「織田信長」との絡みによって、世間的には「松永久秀」のが有名ですね。
しかし、こちらの長慶さまも下剋上の代表的な存在であるのです。
有能な弟たちを駆使して、中央から四国まで広範囲にわたる勢力を有し、わずかとはいえ戦国時代”三好政権”を築き上げたその手腕をご覧ください。
…かなり長いですが。


清和源氏・信濃は「小笠原長清」を祖とする三好氏。
南北朝時代頃、「小笠原義長」の代にて阿波は三好郡に居住し、三好姓を名乗ったのが起こりとされています。
室町時代では細川氏と争い・従い、畿内へ進出してその内乱によって功を重ね、細川家中で影響力を持つようになっていくのでした…。

明応二年(1493) 「明応の政変」
“戦国時代の始まり”、とも言われる事件、「明応の政変」がありました。
簡単に言えば、京都市内での戦闘「応仁の乱」後の権力闘争です。

将軍就任となった「足利義材(あしかが・よしき)」ですが、それを不服とした「細川政元」らが新たに「足利義澄」を擁立。
畠山氏の討伐によって義材が留守であった隙を狙い、京を制圧してしまうのです。

こうして強引に義澄を将軍の座に据え、傀儡とした政元は管領として実権を握りました。
しかし、終始独身のままで実子がなかった彼が三人の養子を迎えていたことから家中に対立を招き、なんと自らもその混乱に巻き込まれて殺害(暗殺)されてしまったのです。
こうして、機内を舞台に細川氏が内乱を繰り返すという、「両細川の乱」が繰り広げられるのです。

【 細川政元 後継者候補 一覧 】
1:「九条政基」の子「細川澄之」
2:阿波守護「細川成之」の孫「細川澄元」
3:「細川政春」の子「細川高国」※写真

後継者争いは、有力視されていた澄之・澄元の間で起こりました。
高国が養子となったのは、三名中で最も遅かったんですね。
澄元側に入った高国は共に澄之を討伐。
しかし、間もなくその両者も対立することとなり、上洛を開始した周防の大大名「大内義興」ら中国勢を味方とした高国勢は澄元らを近江へ追放してしまうのです。

こうして、見事後継者の地位を手にした「細川高国」
叔父から追われることとなった、澄元の子「細川晴元」は父が討死した報を受け、阿波・勝端城にて後を継ぎました。

大永六年(1526)
高国が摂津・丹波の国人衆らと対立した混乱に乗じ、「三好元長」、「三好政長」らによって擁立された「細川晴元」は阿波から和泉堺へと上陸。
丹波での合戦に敗れていた高国勢を迎え撃った「三好元長」らは、摂津国中島、続く住吉での戦いに勝利。
高国は自ら擁立した義澄と共に、近江へと逃れたのでした。
こうして元長は「足利義澄」の子「足利義維(あしかが・よしつな)」を将軍に、「細川晴元」を管領として堺政権を樹立させたほか、自らは山城守護代として京を支配したのです。

…さて、その三年前である大永三年(1523)
細川氏の有力な被官であった「三好元長」に待望の嫡男が誕生しております。
幼名を「千熊丸」というその人こそ、今回の主人公「三好長慶(みよし・ちょうけい)」なのでした。

(※「三好孫次郎範長(利長)」との名乗りもある)
ここでようやく主人公が登場ですよ。

⇒ つづく。
  次回は「イケてる三好軍団」(1/10)



[関連記事] 【室町時代セット】
⇒ 室町時代(歴史さんぽ)
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⇒ 関東公方と関東管領 (歴史さんぽ)
⇒ 南北朝時代の若き英雄 「北畠顕家」(    
⇒ 父の背中を追う英雄 「楠木正行」(前編 中編 後編
⇒ 史上最悪の市街戦「応仁の乱」[     



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