お寺さんぽ Ver.03

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藤原北家の純友さま (海賊大将・藤原純友)1

2009年03月08日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
さて、首塚だの呪いだのと、同時代ではブイブイと言わせている有名人「平将門」さま。
…そんな彼と比べてやや地味なのが、今回の主役「藤原純友(ふじわらの・すみとも)」さまなのでした。

この、”純友”って名前がいかにも優等生でいい人っぽい響き(笑)で、いまいち垢抜けない原因だと考えているんですが…どうでしょうかね?
そうした冗談はさておき、”名前は知っていてもイマイチ何をしたのかよくわかんない人”の一人ということで、このたびちゃんと調べてみることとしたのでした。


”鳴くよウグイス”で知られる、延暦十三年(794)
皆さん良くご存じの通り、「平安京」へと都(首都)を移してから約百年ほど過ぎた、平安時代中期のことでした。

坂東にて「平将門」が暴れまわっていたのとちょうど同じ頃。
まるでその動きに呼応したように、瀬戸内海の海賊らを率いて朝廷を震撼させたのが、「藤原純友」だったのです。

苗字である”藤原”から想像されるように、彼は藤原北家の流れを汲む、筑前守太宰少弐「藤原良範」の子なのでした。
(※ちなみに、これには異説もあるんですが)
ここで、ちと藤原家の家系図↓をご覧ください。

■藤原氏 家系図 (※略 ↓:子、-:兄弟)

 鎌足(中臣)
   ↓
 不比等
   ↓
 武智麻呂(南家)-房前(北家)-宇合(式家)-麻呂(京家) ※これが藤原四家。
                ↓
            真楯---魚名(※こちらの子孫が奥州藤原氏に)             
             ↓     
           内麻呂 
             ↓     
            冬嗣
             ↓     
        長良-良門-良房(※こちらの子孫が最も繁栄する)
         ↓
        遠経
         ↓
        良範
         ↓
       ★純友


平安時代もこの頃になると、実利の不満を反体制にまで発展させて略奪行為や私闘をする者らが各地にて散見されるようになっていました。
後に「承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)」と呼称される将門・純友らの大規模な反乱も、そうした体制への不満を爆発させたものだったのです。

⇒ つづく。
  次回は「追捕転じて海賊となった純友さま」(2/4)


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