お寺さんぽ Ver.03

現在は更新をお休みしています。

浄土院 (京都)

2006年07月18日 | お寺
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は京都は知恩院派の「浄土院」です。


京都銀閣寺でがっかりしたあなた、ぜひ付近のこのお寺にお立ち寄り下さい。
(↑もちろんジョークですよん)
こちらはちょっとの時間で、かつ無料でそこそこ楽しめますので。

通称は「大文字寺」です。
毎年八月十六日の大文字の送り火の際には、お経が唱えられたり松明点火したりと、行事施行の中心となるところからそういう通称となったようです。

そんな大文字寺こと「浄土院」
ここには元々「浄土寺」と呼ばれた、かなりの勢力を持った天台宗系の寺院がありました。

文明十四年(1482)
戦火などによる度重なる焼失と、また当時は無責任の代名詞、八代将軍足利義政が「銀閣寺」の造営に着手していたこともあったので、浄土寺はいい機会とばかりに相国寺の西へと移されてしまいました。
しかし、当時は応仁の乱後の大変な時期だというのに本当に迷惑な奴ですね、義政くん。

で、ちょうど銀閣寺の敷地から外れた当地にはお堂が残っていたんですが、ここを泰誉浄久(たいよじょうきゅう)という僧が浄土宗のお寺として復興させ、「浄土院」と名付けたのでした。
ちなみに、現在の建物は最近のものであるようです。残念。

さて、ここにはなんだかお姫さまの像があるんですよ。
名前を「高階栄子(たかしなのえいし)」…あれ、エイコさんではないんですね。

通称「丹後局」というこの方はたいそうな美貌の持ち主で、平業房(たいらのなりふさ)の妻でありました。が、夫が「平清盛」のクーデターで処刑されると、後白河法皇に見初められてその側室となり、内親王などを生みました。

実子十六名を育てる一方で、法皇の寵愛と信頼を得た栄子は政治にも介入。いつしか、鎌倉幕府との折衝なども担当するようになっておりました。
(※その権勢はもの凄く、一時期は楊貴妃に例えられていたようです)

法皇の死後に尼となった栄子が住んだのが、このあたりの過去に浄土寺があった付近だそうなんです。
ちなみに、栄子はその後も政治に関わり続け、女性政治家の先駆者と言われております。
はー…ここまで知ると、当初の「美貌の持ち主」って言葉がなんだかファンタジーに聞こえちゃいますよね(笑)
キッツイ感じだったんでしょうか?



[住所] 浄土院(大文字寺) 左京区銀閣寺町30

[関連記事]
⇒ 応仁の乱[
⇒ 銀閣寺


 ★ランキング参加しております。応援お願いします★
⇒ 人気blogランキングへ
⇒ ブログランキング (マイプロフ


※うわ!単行本発見しましたヨ!!
 …正直、あまり売れなさそう(※題材がマイナーという意味よ)ですが、上下巻でてます。
 栄子ちゃわんはやっぱり怖い感じで描かれてますね(笑) 

〓輝妃―後宮の女帝高階栄子の生涯 (上)

徳間書店

このアイテムの詳細を見る


仏像が気になりだしたら… 自宅で選べる美術品 掛軸、絵画、美術工芸品のトップアート
ちょっと旅へ出たいと思ったら… 旅の総合サイト『BON VOYAGE!』 「楽天トラベル(旅の窓口)」