お寺さんぽ Ver.03

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八幡太郎の真実 「源義家はすごかった」

2006年07月10日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は八幡太郎で有名な「源義家」の有名エピソードについて。

後世になっても信仰を集める「八幡太郎義家」はこれだけ凄かったんだよー、という、その人柄が分かるようなエピソードをご紹介致します。
まぁ、知ってる方も多いとは思いますが、お付き合い下さいませ。


これは安倍氏との一連の合戦「前九年の役」での有名エピソードです。
反乱を起こした安倍氏の討伐に向かった、お父様の源頼義。
相手の思わぬ手ごわさに苦戦を強いられ、黄海合戦では大敗をした源軍は出羽国の長、清原光頼と結んで反撃を開始します。

衣川の柵(※)へ攻め寄せた義家以下の源軍は総大将安倍貞任を追い詰めました。柵の死守を諦めた貞任はただちに退却を開始、義家はすかさず追撃に移ります。
衣のたてはほころびにけり
何を思ったのか、義家はそう歌を詠みました。
正直な話、ひでるさんはその状況がぜんぜん見えないんですが、こんなとこはいかにも平安時代での合戦だと思います。
恋愛も合戦もどこかおとぎ話のようですね。
しかも、
年を経し糸の乱れの苦しさに
それを受けた安倍貞任はそう上の句をつけるんです。

…なんかお互いのんきくんな感じですが、その意外な風流に感じ入った義家はこの場では見逃すこととするのでした。
身長六尺、容貌魁偉で色が白かったという安倍貞任。
歌才もあり、風流人として知られる義家ですが、それに答えたは貞任も同様だったのでした。 


続いて「後三年の役」でのこと。
「清原家衡」軍の籠もる金沢柵へ行軍する源義家は西沼(横手市金沢中野)にさしかかっていました。
ふと義家が上空を伺うと、通常は整然と列をなして飛ぶはずの雁の群れが乱れていることに気付きます。
「さては付近に伏兵がいるに違いない」
そう判断した義家は逆に先手をうち、伏兵部隊の殲滅に成功したのです。

これには前話があり、先の「前九年の役」にて功を立てた義家に対し、大江匡房は
器量は賢き武者ねれども、なお軍の道を知らず
と、評していたのでした。

批評を伝え聞いた義家は辞を低くして、その匡房の元へ軍学を習いに行ったのです。
先の場面では、まさに教わったことをそのまま役立てたんですね。
これは「雁行の乱れ」といい、義家の人柄を知るエピソードとなっています。

この人の凄い点は素直に自分の欠点を認め、教えを請うたところでしょう。
なかなかできませんよ。
河内源氏の三代目で、しかも前の戦では大功をたてたばかりの義家です。
当時褒められることはあっても、厳しい批評はそうそうなかったはずですから。
普通なら怒りたい場面ですよね。じゃあ、テメエはどうなんだ、と。

また、実際にその場面に遭遇した際にちゃんと習ったことを応用できる、またそれに気付く点はちょっと地味ですが、彼がちゃんと学習・応用ができる優れた人物であることを物語っています。
天才肌ではなく、努力家なんですかね。


代々引き継がれた源家武闘派の素地と、和歌を理解する風流な面と、教えを受けた戦術の知識。それらを支える謙虚さと努力。
それが義家の凄さなのでしょう。

後々まで語り継がれ、尊敬されたのにはこうした面があったからなのです。
絵草紙の世界のみで活躍する「源頼光」にはそうしたものが感じられないですからね。


※衣川の柵(ころもがわのき)
 岩手県平泉町。柵、というのは当時の砦みたいな軍事拠点です。

※今回写真は源頼義も改築に参加した、鎌倉は「巽神社」です。

[関連記事]
⇒ 武家の名門「清和源氏」とは?
⇒ 源頼光と四天王 <前編> 実際の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <中編> 虚像の頼光さま
⇒ 源頼光と四天王 <後編> 四天王は存在した?
⇒ 鎮守府将軍 「源頼信・源頼義」
⇒ 天下一の武勇 八幡太郎「源義家」 


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 …ですが、この時代の良さは子供にはわかんないんでしょうねぇ。

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