お寺さんぽ Ver.03

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半兵衛、稲葉山城を奪取する「竹中半兵衛重治」1

2006年07月28日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は秀吉の出世を影から大いに助けたといわれる異色の戦国武将、軍師「竹中半兵衛重治(たけなか・はんべえ・しげはる)」についてです。


竹中半兵衛―秀吉の天下奪りを熱望した名補佐役

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※この筋では有名人な半兵衛さま。本はたくさん出ています。色々探してみてください。


この竹中さまは容貌や性格など、戦国時代中で最も軍師らしい雰囲気な方です。
竹中さま自身や、当時・それ以後の方々も同じことを考えていたようで、伝わる話は中国・三国志時代の天才軍師「諸葛亮孔明」の故事を拝借しているものもあるようです。残る信憑性の高い資料も少ないため、彼に関するイメージやエピソードは実際のところ疑わしいものが多いようです。

その不確かな情報が広がった原因には、竹中さまの”過度に神経質な点”にもあるようです。後で説明しますが、手柄を喜ばず、故意に目立つのを嫌っていたような点があるため、天下にかかわる秀吉配下として歴史の表舞台にいながら、ほとんど資料が残っていないのです。
実でも名でもなく、ただ己の能力に挑戦し続けた竹中半兵衛重治。
では、簡単にその生涯を追ってみましょう。


竹中氏は美濃(現在の岐阜)の豪族で、守護大名の土岐氏、そして斎藤氏に仕えておりました。
当ブログでもやりましたが、斎藤親子の内乱で道三方についた父はそこで討死。
嫡男である半兵衛重治が後を継ぎました。
ちなみに、この重治の妻は「美濃三人衆」と呼ばれる実力者の一人「安藤守就」でして、そう考えると意外に将来を嘱望されていた人物なのかもしれません。

重治は武芸よりも軍学に傾倒したらしく、戦場にあって華々しく活躍する武者タイプではなく、色白でほっそりした、おとなしい感じであったようです。
必ずクラスに一人はいた、休み時間に本読んでいるような人ですよ。
イメージとしては。

さて、当時の斎藤家は道三との親子合戦(長良川)に勝利して後を継いでいた「義龍」が急死し、その嫡男の若い「龍興」の代となっていました。

その斎藤龍興は柔和な物腰の重治を侮り、色々くだらない嫌がらせをやったと伝わっています。度重なる侮辱に腹を立てた重治は策を立て、信長が散々攻めあぐねていた稲葉山城を奇策をもって急襲、わずか数名のみでこれを奪うことに成功しています。
城外へ龍興が逃亡すると、自らの手勢と叔父安藤守就の兵で要所をきっちり固め、完全に支配下としました。
なお、城内では財宝その他に一切手をつけぬよう厳命していたようです。

…この話、どうやら単独クーデターで城を奪ったのは真実のようですが、その動機については不明です。
一説には、龍興を囲む奸臣を誅殺するためというのもありますが。
まあ、なんか気に入らないところがあったんでしょう(笑)

ちなみに、難攻不落で知られる稲葉山城を乗っ取った策とは、人質として城内にいた弟を病気とし、見舞いという名目で屈強な手勢を城内へ入れ、要所を制圧するとともに外からの別隊で囲み落とすというものです。
簡単に書きますとそんなんですかね。
あちこちの兵には予め酒を振る舞うなど、用意周到に事を運んだようです。

こうして竹中重治はにわかながら、天険稲葉山城の主となってしまうのでした。


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⇒ 美濃の蝮 「斎藤道三」 (1) (2) (3) (4) 


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