お寺さんぽ Ver.03

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棟梁をねらえ! 新羅三郎「源義光」

2006年07月24日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は通称「新羅三郎」こと「源義光」です。
こっそりやっていた源氏祭りはこの方で一応終わりです。


一統の論理―武士団にみる棟梁たちの規範学

未知谷

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※やっぱり写真ないのでイメージ本。棟梁になれるか?!


「源義光」は河内源氏の二代目であります、源頼義の三男として生まれます。
この人は近江の新羅明神にて元服したところから、「新羅三郎義光」と称されるようになりました。
こっちの響きのが有名ですね。

さて、後三年の役にて苦戦する兄義家。
それを助けるため、都での官位を捨てて、はるばる奥州まで救援に向かったのがこの義光です。
心暖まるエピソードですね。なんだかはつらつとした武者姿が想像されるようです。

後三年の役の後、関東に腰を落ち着けた義光は常陸の平氏を妻としたことで、この勢力を吸収、自らの地盤を築きました。
それに遅れて甥の「源義国」が東国へ進出してきますと、領土を巡る争いへ発展。
義光はこれを撃退して、地盤を確固たるものとしました。

兄義家の没後はなんと河内源氏の棟梁を狙い、後継者として目される甥の源義忠、兄義綱(※源頼義の次男)を滅するよう画策するのです。

いや、悪い奴ですねー。
後三年~の頃となんだか人が変わっちゃった感じです。
何が彼をそうさせたのか、この人の後半生は自らの利益を最優先として活動するようになるのです…。

天仁二年(1109)
後に「源義忠暗殺事件」と称されるこの一件によって、義忠は暗殺されてしまいます。
その際に現場に残されていた彼を斬った刀が「源義明」のものであったため、嫌疑は父義綱にも及びました。
(※刀を奪ったのも、それを使って暗殺したのも、実は義光の手の者らしい)

まんまと計略を成功させた義光は「源為義」の名目で義綱一派を誅殺。さらに一連の関係者を殺害し、事を闇に葬りました。
まさに完全犯罪です。

しかし、なぜだかそれは露見(…まぁ、穴だらけっぽいし)することとなり、立場を失った義光は棟梁の座を得られぬまま、自らの地盤である常陸へ逃亡することとなるのです。

結局、源氏は為義が継ぐこととなりますが、この内紛によって源氏勢力は急激に衰えてしまいます。
また、当時院政を敷く「白河上皇」は、源氏を味方としていた摂関家に対抗するため、伊勢平氏を重用するようになっていました。

それらの要因によって、源氏は没落、信任を得た平氏は逆に勢力を伸ばしていくこととなるのです。

このように、義光は源氏を衰えさせた直接的原因をつくっております。
しかし、常陸を中心とした地方で自らの勢力を拡大させたことで、結果的にはその後の源家を助けることとなるのでした。
(※それは鎌倉期になるまでおあづけ)


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