お寺さんぽ Ver.03

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半兵衛、木下藤吉郎と出会う「竹中半兵衛重治」2

2006年07月29日 | 歴史
のんびり気軽にさんぽがてら。
本日は秀吉の出世を影から大いに助けたといわれる異色の戦国武将、軍師「竹中半兵衛重治」についてです。


戦国系シミュレーションゲームをやっている皆様にはおそらくお馴染みでしょう。ちなみに、戦国アクション「戦国バサラ」の二作目にはプレイヤーキャラとして登場するようで。
↓それね。
うひゃー!こわいこわい。


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※これです。なんというか…このゲームでは歴史は学べませんねぇ。


美濃の豪族竹中氏の嫡男、半兵衛重治は柔和な物腰の穏やかな人柄で、およそ戦国武将という雰囲気ではありませんでした。彼は主君龍興の振る舞いに腹を立て、ついには奇策をもって居城たる稲葉山城(岐阜城)を奪い去ってしまうのでした…。

クーデターによって重治がにわか城主であったころ、喉から手が出るほどここを欲していた「織田信長」は好条件を持って明け渡しを迫っています。
これにはきっぱりと拒否するんですが、そんな対応は「大した奴」と逆に信長の関心と感心を買ったようです。

織田軍の万が一の来襲に備えたというのもあるでしょう、数日の後に重治は龍興へ丁重に城を明け渡し、全てを捨ててなんと隠居生活に入ってしまいます。
当時の重治はだいたい二十歳くらい。
若すぎる隠者ですが、こんなところも彼の人柄をよく表していると思います。
(※近江・浅井氏に仕えてから隠居したともいわれる)


さて、美濃攻略を望む織田軍は、当時無名だった「木下藤吉郎」が柴田・佐久間といった重臣らが果たせなかった墨俣の地に付城(※城攻めのための城)を築くことに成功、戦いを有利にすすめておりました。

後の太閤秀吉(※写真)、木下藤吉郎と重治が出会ったのは、この前後であると伝えられています。
隠居していた重治の元へ秀吉(※ややこしいから以後はこれで統一)が訪ねるさまを、三国志「劉備・孔明」の「三顧の礼」になぞらえていたりするんですね。
一度世を捨てた重治ですし、信長の粗暴な評判も色々聞いていたでしょう。
故事そのまま、そう簡単には首を縦に振らなかったと思います。

これは推測ですが、秀吉はそれこそ三回以上は平気で重治を訪ねたのだと思われます。
重治に実績があるとはいえ、いまの彼は単なる隠者であり、秀吉は成り上がりとはいえ勢力を拡大させつつある織田家家臣の一人なのです。
単純な身分としては秀吉の方が上ですし、わざわざスカウトに訪問してくるってのは稀なことでしょう。
また、秀吉もそんな彼のもとへ通い続けることができるからこそ、地位や身分にこだわらない振る舞いができるからこそ、「人たらしの名人」なのです。

説得に折れ、織田家に加わることを承諾した重治はここで一つの条件をだしたようです。
木下さまの配下として、であればいいでしょう
幸運を呼ぶ男、秀吉はまさにこの時、棚ボタを得ようとしていたのでした。



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