故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

我田引水

2015-01-07 03:16:46 | 思い出話

島では、とんでも無いことが起きました。

父が真夏の真夜中に起きだして、湧き水のある場所まで闇夜の中を行きました。
時間で自分の田の方へ水を引き込みました。
そういう取り決めなのですが、時々あらぬ方向へ流れていました。
小さな湧き水からの水は、一塊の泥で流れが変わりました。
父は、涼しい湧き水のそばでしばし休んでいました。
暗闇の中で、足音がしました。父の煙草の火を見たのか引き返して行ったそうです。

とんでもないことと言えばこんなこともありました。
秋祭りの日に起こりました。

山の衆が、海の衆を神殿に上げようとしませんでした。
乱闘となり、一人が死んだと聞いています。
新聞にも載ったらしい「だいば(天狗)事件」です。
私は、海の衆の子供達とも仲が良かった。
父は、時々遊びに行ってはいけないと言っていました。
訪ねてくる友人たちに、母は腹いっぱいご飯を食べさせていました。

同窓会でのこと。ある友人が私に言いました。
お前の家へ行くのが楽しかった。
腹いっぱいの銀シャリが食えたから。
私は知りませんでした。

夜明け前、その友人が運転する船がいかだに着きました。
まだ、中学生でした。
夜明けまでのほんの一時間の間に魚箱4杯の鯵が釣れました。
彼は、私に全部持って帰れと言いました。一箱いただきました。
家族6人でも食べきれない魚は、から揚げにして酢漬けにされました。

山の衆の娘が、海の衆の男と結婚しました。
娘は、勘当されました。子供が生まれしばらくして解かれました。
私達の島には、触れてはいけないタブーがありました。
西のほうでは、時々聞いた話です。

今でも、無くなったとは言えません。
しかし、教育のおかげで、子供達は自由に行き来しています。

子どもには知りようもなかった哀しい話です。

2015年1月7日
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