(栗橋宿)
小右衛門の一里塚跡を過ぎて、
旧日光街道を進むと前方に高速道路の橋脚が見える。
(見える高速道路の橋脚)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/7d/32cc89e8ad2b694e9c7730146e471ec3.jpg)
地図に拠れば、この高架の下を抜けて右側にある国道四号線にぶつかり、
国道四号線の下をくぐって反対側に出なければならない。
旧日光街道は今まで右に国道四号線、
さらに国道の右手を権現堂調節池(行幸湖)がつながっているはずである。
(突き当たりは国道四号線)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/d9/748dccb7aa3f9cd780b7ba445ecc71d0.jpg)
(国道四号線をガードでくぐる案内図)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/38/6b6cb518374ac69d9fc46c01ac819182.jpg)
(ガードが見える)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3a/c32f1c15f60244de3b9830bc292fc884.jpg)
(ガード)
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(ガードを出たところ)
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ガードをくぐって出ると見晴らしが良く、
正面に権現堂調節池(行幸湖)が見える。
(ガードを出ると見晴らしの良い桜と権現堂行幸湖の調節池)
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(えんえんと続く桜並木と権現堂調節池)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/9d/6f290d62a585d2d6ce87580f344d5e57.jpg)
日光街道はこの権現堂調節池(行幸湖)と左手の国道四号線との間の、
見晴らしの良い桜並木の道を何処までも歩く。
まもなく大きなビルに突き当たり、ビルを避けるように迂回すると、
東北新幹線の高架が見え、高架をくぐると車道で、
車は左へ国道四号線に入っていくが、
歩道は脇道に下りここでまた国道下を通り、国道四号線の反対側に出る。
(大きなビルを迂回する)
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(東北新幹線の高架)
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(高架を過ぎると左へは車道)
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(歩道は脇道を下る)
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(国道四号線をガードで反対側に出る)
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(国道四号線のガード)
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反対側に出たら右へ、国道四号線の方へ坂を登り、
国道四号線の左脇に「栗橋大一劇場」のところを、
旧街道は左の脇道に下っていく。
下り道は右へ曲がっていくが、曲がりきった所に神社がある。
鳥居の扁額に(香取宮 八幡宮)とある。
さらに進んで、左手に「会津見送り稲荷右」の案内杭があり、
進むと右手にお稲荷さんの赤い鳥居があり、近づくとお宮にでかでかと
「会津見送り稲荷」と書いてある。
(国道四号線に昇る)
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(栗橋大一劇場)
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(下りきった八幡神社)
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(香取宮 八幡宮の扁額)
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(会津見送り稲荷の案内杭)
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(お稲荷さんの赤い鳥居)
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(会津見送り稲荷と墨書してある)
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説明板によると、
(江戸時代、徳川幕府が参勤交代制をとっていたころ、
会津藩の武士が藩主が江戸参向に先立ち、
先遣隊として江戸へ書面を届けるため、
この街道を栗橋宿下河原まで来た所、地水のため通行できず、
街道がどこかわからず大変困っていると、
突然白髪の老人が現れて道案内をしてくれました。
お蔭で武士は無事面目を果たすことが出来たという。-中略。
のちになって、この老人が狐の化身であることが判り、
お稲荷様として祀ったものである。久喜市教育委員会)とある。
久喜市の教育委員会も大変苦労なさっていると思える。
これはボクの感想。
このあと旧日光道中は、また国道四号線に上がり、
すぐ下ってガードを潜り抜け、出たところを右折する。
旧街道らしく初めての草道で、これで正しいのかと思ったが、
草道はすぐ終り、ぐるっと左へ曲がると、
案内にある通り、三河屋衣裳店がある。
(二回目国道四号線への上り道)
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(下ったところ)
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(ガードをくぐる)
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(草道)
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(左へ曲がる草道)
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(三河屋衣裳店)
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ここから栗崎宿のようで、
街道は鉤の手になって道路は右に急回転している。
言い伝えでは、ここに関所があったという。
この衣裳店の真裏に当る所に、焙烙(ほうろく)地蔵はあった。
ほうろくとは、戦時中金属は、大砲や鉄砲のために全てが供出したために、
フライパン代わりに土で出来たフライパンと思っていただきたい。
豆を炒ったり、米を炒ったりした。
焙烙地蔵堂は、関所破りを火あぶりの刑にした人のを哀れんで作られた。
(焙烙地蔵堂)
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(焙烙地蔵尊)
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(焙烙(ほうろく)
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この焙烙地蔵について、
(むかし、現在の利根川に関所が設けられ、
人の通行をきびしく取り締まっていた時代、
関所を通らないで川を渡った者、
あるいは渡ろうとくわだて事前に発見された者は、
関所破りの銃罪人として、火あぶりの刑に処せられたと伝えられている。
処刑場も地蔵尊のある現在の場所であったと言う。
こうした沢山の処刑者をあわれみ、
火あぶりになぞらえて、
その後土地の人が供養のため焙烙地蔵として祀ったものである。
今も焙烙に名前を書き入れ奉納されているのが見受けられる。
またエボ地蔵(エボ=イボのこと)とも言われ、
あげた線香の灰をエボにつけると治る、
と言い伝えられている。久喜市教育委員会)とある。
旧街道を進むが、目当ての浄信寺が見当たらないので、
杖代わりに乳母車を押して歩いて居るおばあちゃんがいたので、
お訊ねする。
「浄信寺へ行きたいのですが、ご存知ですか?」と訊くと、
「そこに鏡(カーブミラーのこと)があるだろう、
その先に旗がひらめいている所があるからそこだよ。
あんたは檀家さんかよ?」と逆に訊かれた。
「いえ、違います。ボクは旧日光街道を歩いて日光まで行く所です。
昔の人は、どんな気持ちで歩いたのかと思って」と答えると、
「どっから来ただ。」と言うから、
「今日は(幸手)からきて、(栗橋)まで歩きます。」と言ったら、
「大変だなあ,これ持ってけ」と飴をポケットから沢山取り出した。
折角出されたものを、いりませんとは言えず、
「では遠慮なく」と言ってひとつまみ上げたら、
「もっともってけ」と手のひらに、どっさり飴を乗せられた。
「ありがとう」と言って頂戴したが、遠慮すべきだったのか、
今でもよく判らないが、疲れていることも手伝って、美味しく戴いた。
(旧日光街道)
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(紅白ののぼり旗)
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しばらく歩くと、
紅白の幟旗がひらめいている所がある。
その下に案内杭が建っており、
浄信寺、顕正寺、深広寺、焙烙地蔵の案内がある。
浄信寺はこの紅白ののぼり旗がある場所にあり、
その正面、道路反対側に顕正寺はある。
(案内杭)
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浄信寺にはご近所の婦人会の方か、沢山集まっていて、
明日始まる「呑龍上人」のお祭りの準備をしていた。
毎年4月に呑龍上人の祭礼が行われるが、
これは呑龍上人が貧しい子供を手厚く保護したことから、
「子育て呑龍」と尊敬された上人を浄信寺が、
大正時代から祀ったことから始まっているという。
(浄信寺でお祭りの準備をする婦人会の人たち)
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(浄信寺本堂)
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