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己斐の歴史-2

2015年03月01日 | 歴史日誌


3月になりました。
春の予感ですね。

今日朔日は
大安の日曜日。

多くの高等学校で
卒業式が執り行われたようです。

ご卒業おめでとうございます。

さて
今回の話題は
「己斐の歴史」第2弾です。

▲八幡川トンネル放水路(赤線)

いつものように自転車で
己斐の町ナカを流していましたら
いつも通っている道路の東斜面に
大きな石碑を発見しました。

石碑には
“八幡川放水路”
(はちまんがわ ほうすいろ)
と刻まれていました。



広島で
放水路というと
まず
“太田川放水路”
(おおたがわ ほうすいろ)
が浮かびます。
トップ画像の右側の河川が
それにあたります。



昭和2年(1927年)
内務省により太田川全流域の
改修計画が作成され
国営工事として
山手川と福島川を利用した
放水路の開削が決定しました。



昭和9年(1934年)から
本格的な工事が着工されましたが
昭和20年(1945年)8月の
原爆の影響もあって完成は
昭和42年(1967年)になりました。
33年に渡った大事業です。


さて
広島は川の町です。
狭い平野部に流れ込む水で
しばしば水害に見舞われました。
己斐の八幡川においても同様で
石碑にはめこんである銅版には
以下のように記載されていました。



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八幡川トンネル放水路事業経緯
当己斐地区はその昔地元民が神功皇后に
鯉を献上した折り皇后が「コイ・コイ」と
声を上げて喜ばれた事に
由来すると伝えられる。
また古くから植木・盆栽・花の町として
知られ栄えてきた。
しかし
近年住宅地として急激に開発が進み
その結果川口部に於いて
浸水等の被害が頻発してきた。
最近では1972(昭和47)年の台風で
西広島駅の西側一帯が浸水被害を受け
地域住民から同河川(八幡川)の改修について
つよく要望が出されていた。
しかしながら河口部付近には
市道・山陽本線及び私鉄(広電)等の
公共施設が集中するとともに
一般家屋も密集しており、その為広島県は
それらを浸水等の被害から守るため
上流部で流量を制限し
バイパストンネルで太田川放水路へ
直接放流することを決定し、1977年から着工
約11年の歳月と67億円の工事費を投じ
1989年(平成元)年に完成した。
事業に協力して頂いた地元関係者
及び工事関係者に対し深く感謝する。

1989(平成元)年6月吉日 広島県
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▼放水路全景(正面建物はスーパー)


▼スーパー側から放水路方面を臨む


ところで
上記の画像を撮影した時
こんもりとした山が妙に
気になりました。
先のブログ
「己斐の歴史」で紹介した
通玄山の方向に何やら
不思議なオーラーを感じましたので
登ってみることにしました。

すると
クスノキの大木が見える場所が
すぐに目に飛び込んできました。
さて
ここが山への入り口でしょうか?








山登り
次回につづきます。

◎感謝
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