エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

龍が奔る杜◎其の弐

2014年03月26日 | スピリチュアル日誌

広島県世羅郡世羅町の
甲山(こうざん)に
龍華寺(りゅうげじ)という
お寺があります。

世羅郡の東部一帯は
鎌倉時代は紀州高野山領の
大田荘(おおたのしょう)でした。
いわゆるお寺の領地ですね。
つまり
お米を中心とした
食糧供給地だったわけです。


龍華寺は弘法大師空海が開基した
大田荘経営の中心的存在です。
したがって
山号は今高野山(いまこうやさん)
といい瀬戸内三十三観音霊場
第二十九番札所でもあります。

丹生・高野明神も歓請され
十二院が一山をなしていました。
現在は二院が残るのみですが
当時は随分と賑やかだったと思います。


春は桜
秋は紅葉がキレイですよ。


さて先日、小雨降る昼下がりに
立ち寄ってみました。


ゆるやかな坂を上り切ると
鳥居が見えてきます。
境内は人影がなく
ひっそりとしていました。
かなり
寂しい印象です。
空海さんの霊氣を
感じられたかな。。。。。???


般若心経を拝読して
帰路につきました。
すると
下の画像の正面にある空き地が
目にとまりました。
ちょっと気になるんで
足を踏み入れてみました。


この日は小雨で
曇天だったのですが
この場所に入ると薄っすらと
光が差し込んできます。

そして強風が一定方向に吹いています。
なにか
異様な雰囲気!!

何かが奔ったのか????

その様子を動画に収めました。

「龍の奔る杜」↓↓↓YouTube


風や光や音は自然現象。
ゆえに
見方、感じ方は人それぞれです。
かつて祖先は
風の中に魂を感じ、光に感謝し
手を合わすことを
習慣としてきました。

大切なものは
今も昔も変わりません。

愛にみたされた
平和な地球になりますように。
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龍が奔る杜◎其の壱

2014年03月20日 | スピリチュアル日誌
昨年
富士山が世界自然遺産に
選ばれましたね。
日本の世界遺産では17番目の選考です。
日本の世界遺産は以下の通り。


世界遺産とは
地球の生成と人類の歴史によって
生み出され
過去から現在へと引き継がれてきた
かけがえのない宝物です。
現在を生きる世界中の人びとが
過去から引継ぎ、
未来へと伝えていかなければならない
人類共通の遺産です。

世界遺産は
1972年の第17回UNESCO総会で
採択された世界遺産条約の中で
定義されています。
2013年11月現在、世界遺産は981件
(文化遺産759件、自然遺産193件、複合遺産29件)
条約締約国は190カ国です。


ちなみに
日本の世界遺産を認定順に
並べてみました。



さて
世界遺産の島「宮島」の話題です。
◎宮島観光協会HP(画像をクリック)
↓↓↓

宮島は
外国人からも人気の高い観光地です。
2013年の観光客は400万人を超え、
平和記念公園とあわせ
ランキング上位になっています。


宮島といえば「厳島神社」
というくらいその存在は有名です。
その存在の大きさ故に
厳島神社を参拝して
お土産を買って帰るだけの方も
少なくないようです。

かつてのワタシもそうでした。

言い方が適切ではないかも知れませんが
神社仏閣などは得てして
大切な場所を隠すための“ハリボテ”
の場合もあるようです。
(画像はハリブタ?!)


そのような想いから
今回の宮島訪問は
あまり観光客が行かない場所を
選んでみました。

“行けない場所”
とも言えるかも知れませんね。

まずは
「大聖院」に行ってみました。
こちらも超有名ですね。

宮島にある寺院の中で
最も歴史が古いのが
真言宗御室派(総本山仁和寺)の
大本山大聖院です。
空海さんが宮島に渡り
弥山の上で修行をして開基したのが
806年といいますから、歴史の重みを
感じない訳にはいきません。
皇室との関係も深く
古くは鳥羽天皇勅命の祈願道場として
近くは明治天皇行幸の際の
宿泊先になるなど
格式の高いお寺ですね。

本堂で般若心経を拝読した後
お寺周辺の杜を散策しました。


すると
不思議な雰囲気が漂う
空き地が目に入ってきました。
太陽の光の差し方が柔らかく
そして鮮やかです。
思わずスマホでパチリッ!!


七色の光線が映りこんでいます。
同行の友人に撮ってもらった
一枚がコレ↓↓↓

(アブダクションぢゃ~。。。。。)

この日は
久しぶりに車をフェリーに乗せました。
この場所はお寺の駐車場から
すぐの場所です。

車で行かなかったら
気づかないところでした。

導かれましたね。。。。!!!
感謝、感謝m(_ _)m


さらに
車を島の奥に進めました。
多々良林道で直前まで
車で行ける「奥の院」を目指します。

到着してすぐに撮影した画像が
コレです↓↓↓


とにかく
光線がちがうのですよ!!

聖地と呼ばれる場所で
写真を撮るのは
あまり好ましいことではありません。
したがって
限られた場所だけで
静かに撮らせていただきました。

奥の院



般若心経を拝読し、お堂から出たところ
不思議な感覚を体験しました。

この日は
リュックを背負っていたのですが
それを何かに引っ張られたような
感覚になりました。
力を抜いて
従うように歩いて行った場所で
撮影した画像がコレです↓↓↓




撮影後
それまで穏やかだった風が
一瞬、強風に変わりました。
まるで何ものかが通り過ぎた感じです。

どれくらいの
時間が経過したのでしょうか。
時間を忘れて
杜の中を歩き回っていました。

すると
上空からの光が
一瞬強く感じられたので
空を見上げてみると
そこには
龍雲と暈(かさ)が浮かんでいました。

祝福していただいたようです。




ここ数年で
宮島には十数回訪れていますが
まだまだ知らない場所、
知られていない場所が
たくさんあります。

安芸の宮島。
奥が深いです。

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マシュー・マコノヒー

2014年03月13日 | 映画日誌

映画「ダラス・バイヤーズクラブ」
第86回アカデミー賞

主演男優賞
助演男優賞
メイクヘアスタイリング賞

三部門を獲得しましたね。

「ダラス・バイヤーズクラブ」
予告編はここから
↓↓↓
映画「ダラス・バイヤーズクラブ」YouTube1:32

主演男優賞の
マシュー・マコノヒーは
映画「コンタクト」で
“普段着の聖職者”の演技が
印象的でした。

McConaugheyは
日本語では発音しにくい名前ですが
コンタクト以来、着実にファンが
増えているようです。
ナイス・ガイですね。

「コンタクト」のシーン↓↓↓


コンタクトは
1997年公開の映画。16年前の作品です。
実は「ダラス」でも
聖職者のシーンがありました。


やはり
清潔なイメージが似合う俳優ですね。
しかし
以前のマシューを知っているだけに
よくここまで痩せたなあ~
と感心します。
病的な痩せ方が実にリアルです。


この作品は
AIDSを発症し
余命30日を告げられた実話が
元になっています。



アメリカが抱える闇の世界を
ドラマチックに描いています。
この闇はすでに克服されたわけではなく
今この時代の空気
そのものでもあります。

「被害を受けるものは差別される」
という命題に
ひとりひとりがどのように
取り組んでいくのか。
そのことを
問われているのだと感じました。


ところで
スピルバーグのデビュー作品
テレビ映画「激突!」を
ご存知でしょうか?

主演のデニス・ウィーバーを
髣髴させるシーンがありました。
ただ
それだけなんですが。。。。。



予備知識なく観ても充分楽しめる
ナイスなシナリオと
マシューの演技に満腹になりますよ。

「コンタクト」
「激突!」
どちらもDVDで楽しめます。

「ダラス」と合わせて
オススメします。




コメント (1)
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3.11から3年

2014年03月11日 | 平和日誌
 
平成23年3月11日から3年。

3年前のこの日
土壌の検査のため
田んぼの中におりました。
テレビもラジオもない当時の生活で
詳細は知ったのは
随分あとのことでした。

翌日、3月12日(土)は
赤峰勝人さんの講演会の日でした。
今年、平成26年は
3月15日(土)に開催されます。



亡くなられた御霊
今も行方不明の方
並びに御家族の皆様に
哀悼の意を捧げ
陛下の御言葉をここに記します。


天皇陛下の御言葉
↓↓↓
東日本大震災三周年追悼式(YouTube 5:57)

本日、東日本大震災から3周年を迎え、
ここに一同と共に、震災によって
失われた人々とその遺族に対し、
改めて深く哀悼の意を表します。

3年前の今日、
東日本を襲った巨大地震とそれに伴う津波は、2万人を超す死者、行方不明者を生じました。
今なお多くの被災者が、被災地で、また、避難先で、困難な暮らしを続けています。
さらにこの震災により、原子力発電所の事故が発生し放射能汚染地域の立ち入りが制限されているため、多くの人々が住み慣れた地域から離れることを余儀なくされています。
いまだに自らの家に帰還する見通しが立っていない人々が多いことを思うと心が痛みます。

この3年間、被災地においては、
人々が厳しい状況の中、お互いの絆を大切にしつつ、幾多の困難を乗り越え、復興に向けて懸命に努力を続けてきました。
また、国内外の人々がこうした努力を支援するため、引き続き様々な形で尽力していることを心強く思っています。

被災した人々の上には、
今も様々な苦労があることと察しています。
この人々の健康が守られ、どうか希望を失うことなくこれからを過ごしていかれるよう、長きにわたって国民皆が心を一つにして寄り添っていくことが大切と思います。
そして、この大震災の記憶を決して忘れることなく子孫に伝え、防災に対する心掛けを育み、
安全な国土を築くことを目指して進んでいくことを期待しています。

被災地に一日も早く安らかな日々の戻ることを一同と共に願い御霊(みたま)への追悼の言葉といたします。



●合掌
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