エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

見えないものへの感謝

2020年12月30日 | スピリチュアル日誌



令和2年(2020年)も
残すところあとわずかになりました。
今年は
例年に比べて月日の経つのが
早かったように感じます。



テレビでは
コロナ報道一色で
とにかく不安をあおるような論調のものばかり。
おそらくですが
今年はテレビ離れも顕著になったのでは
ないでしょうか?
マスメディアからソーシャルメディアへの
本格的な転換点になった年と記憶されるでしょう。



結局のところ
私たちが何を恐れているのかを考えると
「見えないもの」を相手にしているから
ではないでしょうか。
見えたり、聞こえたりの五感の範疇で
捉えられないからこそ恐れざるを得ない。



しかし
ウイルスという
見えない物体への畏怖はあっても
神様や仏様、ご先祖様への畏敬の念を
持ち合わせているでしょうか。
そのことを
思い出させてくれた一年だったとも言えます。



お正月を迎えるにあたって
大掃除やしめ縄を飾るという風習は
古来よりご先祖がやってきたことです。
そこには
無病息災などの願いがあって
その願いの先には見えない存在への
畏怖と畏敬がありました。



年末年始を迎えるにあたって
見えないものへの感謝の念を
今一度新しくしたいと思います。



先日
天満宮にお札を受けに参った際
「天満蓬莱」なるものを初めて知りました。
不勉強にも程がある。
神棚と伊勢のしめ飾りを整えたのち
神棚に備えさせて頂きました。






令和3年が良い年でありますように。







MORETHAN HIROSHIMA/モアザン広島

2020年12月17日 | 食日誌

▲THE KNOT HIROSHIMA外観



▲THE KNOT HIROSHIMA



コロナ禍の8月にオープンした新しいホテル
「THE KNOT HIROSHIMA」


大手町交差点の南西角地に佇むそこは
広島デルタの中心にして
平和公園や繁華街まで数分の徒歩圏内にあります。
ホテルの工事は
今年の早い時期に終了していたようですが
一階部分のテナント工事はつい最近終わり
12月10日にオープンしました。



▲広島デルタのど真ん中


▲工事の様子(2019年11月末現在)


そのテナントは
「MORETHAN HIROSHIMA/モアザン広島」
という本格的なイタリア料理を提供する
オシャレなレストランです。
オープン週の日曜日に早速行ってみました。



▲MORETHAN HIROSHIMA



平日は
1200円からのパスタランチがありますが
週末はアラカルトのみで
コースはディナーメニュを
ランチとして提供可能とのこと。
アラカルトメニュは豊富で
地元広島の食材もふんだんに使っています。



味については
イタリア料理らしく
パスタや肉料理には
イタリアンソルト(岩塩)が使ってあるのか
ワインに合いそうな塩味が
しっかりとついていました。
野菜類は産地にこだわりがあるようで
シャキシャキした新鮮なモノが使われていました。



▲店の真ん中にあってガラス越しに見えるピザ窯


そしてなにより
コーヒーが熱い!
これ?イタリア式なの?
って感じでちょっとビックリ。
金属感のある銀色のカップは
冷めにくいらしいのですが
唇をやけどしそうなほどの熱さ。
しかし
飲みやすいちょっとぬるめなコーヒーよりも
食後のガツンとした熱さがとても新鮮でした。
コーヒーだけでも十分満足でした。


値段については
サラダ、肉類、パスタ、ドリンクをチョイスして
おひとり様2500円前後となりました。
ホテルランチとしては妥当な価格かな
と感じます。



師走の上旬
久しぶりの休日ランチ。
コロナ対策として
座席の配置を工夫している様子で
ゆったりとのんびりとできる空間です。
店内のコーナーには
西洋型の囲炉裏もあって
会話も弾む素敵な時間が過ごせそうです。
営業時間短縮中につき
詳細はHPの「予約画面」を御覧ください。



▲MORETHAN HIROSHIMA


二つとして不らず

2020年12月12日 | ライフワーク



これ以上高い山はないとして富士山を
「不二山」
と表記している古文献もあります。


人名などには

赤塚不二夫
峰不二子
不二家のペコちゃん


など
「不二」はわりと頻繁に目にします。


不二とは
二つとして不らず


私たちは
もともとひとつだったものを
様々な都合で分離させています。
最近特に違和感を感じるのは
〇〇県は〇名の感染者
などのマスコミ報道。
ウイルスは県境を知っているのかい?
県境を作っていることも
国境を作っていることも
人の都合でしかありません。



目の前の出来事は
すべて「不二」
二つとしてないあるがままの事実のみ。
悲しいかな人は
分離していることしか
認識することはできないと
思い込んでいます。



さて
「鬼滅の刃」のなかで
藤の花の咲く場所には
鬼は立ち入ることができないとあります。

藤=不二


つまり
鬼とは
分離していることしか
認識できないと
思い込んでいる
今ここの私たちのこと。




ワンネス
本当は
ひとつである私たちを
今ここで思い出すこと。
映画「鬼滅の刃」のヒットを受けて思うのは
深遠なメッセージを感じ取っている
ひとりひとりの魂の叫びなのかも知れません。



▲YouTube◆『鬼滅の刃』と「ノンデュアリティー」。鬼が藤の花を嫌う理由とは?