エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

フシギなことは当たり前⁉️

2020年10月06日 | スピリチュアル日誌
先日お邪魔した「吉野神宮」でのこと。
鳥居の前に立ってスマホで写真を撮ろうと
構えたとたん、いきなりスマホ画面が
サンドストームに。
あれ〜?と思いホームボタンを押して
初期画面に戻し、カメラをタップすると
キチンと風景を捉えています。


▲サンドストーム


「なんだったんだろぅ?」と
改めて撮影を始めると
またまた同じ症状になります。
まさか故障か💦💦
と次にシャットダウンして少し時間を置くと
正常に戻りました。
こういうことが起こる時は経験上
なんらかのメッセージが発せられていて
無理に事を進めないほうが良かったりします。
なので写真は諦めて静かに境内を
歩くことにしました。



すると
山門をくぐるや否や
気持ちの良い風が吹いてきて
歓迎してもらっていることが
すぐに伝わってきました。
なるほど
写真は後にして早くおいで!
ということだったようです。
鳥居を出たあと撮影しましたが
何の問題もなく
キレイな写真を撮ることができました。


▲吉野神宮の狛犬


つづいて
天川村の早朝散歩時のこと。
薄暗い朝6時台なので
普通だと村人や観光客に出会うことは
まずありません。
なのに数十メートル先では
落ちた毬栗を踏ん付けて一所懸命に
実を取り出そうてしている
「おじさん」がいます。
そのあまりの懸命な様子に
前を横切るのは忍びないと思い
分岐から別の道に進みかけた時。


おじさんの居る方向に
押すチカラ→
をカラダに感じました。
アレアレ?と思い
益々分岐から離れるよう
歩きだすと今度はおじさん方向に
引っ張るチカラ←
が働きます。
こんな時は逆らわず
チカラのまま進むことがヨシとされるはず。
あえておじさんから少し距離をおきながら
遠回りに通り過ぎようとした時


「あんた!どこからきたんや?」
と声を掛けられました。
「あっ、広島からです」
「ほー遠くからご苦労様ぢゃな」



話しを伺ってみると
天河神社の鳥居近くで
オーガニックカフェ「naya」を
経営されているオーナーさんで
天川村の昔の様子など教えてもらいました。


所謂、修験の末裔の方とのことで
ご先祖はご利益のある弁財天のお札を
普及させるべく全国を行脚されていたそうです。
広島県の中山間地出身の義母が幼い頃には
月一程度で修験の方がお札を持って
玄関先で螺貝を吹いていたと
聞いたばかりだったので
なるほどおじさんの話しと合致し
納得した次第です。


▲naya


▲天川村韋駄天社から日の出を臨む


修験道は明治7年に廃止令が出され
表向きは絶滅危惧種となったものの
古くからの民間信仰が戦前までは
当たり前のように生きていたことを知ると
改めて日本人の信仰心の逞しさに
感動を覚えます。


神道や仏教、修験など違いを争うのではなく
民間レベルではありがたい存在として
混合していたのだと思います。
日本の厳しい気候風土には
この曖昧さこそが自然と同化するための
智慧だったのではないかと思います。


▲武田邦彦教授


科学者の武田邦彦先生は
日本人の信仰の根底には
形の整った教義に縛られるのではなく
先祖と自然に対する畏怖と崇拝
があると言われています。
全くその通りだと思います。


エビデンスを求める
科学的な手法を大切にしながらも
理屈を超えた不思議なことが
当たり前にあるのだと思って生きると
ずいぶんと楽に生きていけるのでは
ないでしょうか。



吉野という土地はそんな
大切なことを思い出させてくれる
フシギなチカラが溢れた場所です。
近々にまた
訪れてみたいと思っています。


後醍醐天皇陵

2020年10月05日 | ライフワーク

▲吉野の山々

神無月朔日の吉野路。
天河大弁財天社への道すがら少し遠回りに
なりますが蔵王権現を祀る「金峯山寺」
に立ち寄るため吉野路を南東に進みます。


しばらく走ると「吉野神宮」が現れました。
初めて訪れた社で初めての朔日詣りです。
神宮のご祭神は後醍醐天皇。
都を臨みながら吉野で崩御された帝を偲びつつ
世の安泰と発展を祈って明治22年(1889年)に
明治天皇により創建されました。
本殿、拝殿は全て檜造りの御宮です。
ちなみに
後醍醐天皇の魂は金峯山寺からほど近い
「如意輪寺」の境内で北の都を正面に見ながら
静かに眠っていらっしゃいます。







日が西側へ傾きかけたころの参拝でしたので
参拝者は疎らでしたが、降り注ぐ陽の光は
とてもエネルギッシュでした。
境内は凛と張り詰めながらも心地よい
風が流れるひととき。
ここは時間の経過を忘れさせる不思議な空気感
に満ちています。


そんなわけで目的だった金峯山寺は
あっという間に通り越してしまいましたが
「蔵王権現」ご開帳の際にはゆっくりと
拝観したいと思っています。




友人の墓参り

2020年10月04日 | いろいろ日誌
神無月二日。天川から神戸へ。
墓参のため神戸へ移動しました。
友人達と久しぶりに会うことができました。
18年余りの時間も昨日のことのようです。


平成14年5月、44歳で亡くなった友人は
日中はいつものように「コープこうべ」の
店舗で働き、いつものように大好きなお酒で
一日を締めましたが次の日の朝、床の中で
まさに眠るように旅立ちました。


平成7年の震災後、同年3月から2年間
出張派遣の地を姫路に定めて神戸やその周辺の
コープこうべ事業所の復旧復興活動の任に
あたりました。
「創造的復興」を掲げたコープの取り組みは
地域や行政から理解支持され、震災で傷ついた
街のともしびのような存在でした。


▲コープ西明石

コープ西明石店は当時の派遣先の店舗で
中規模の店舗にも関わらず一日6000名超の
来店客を迎え、公私ともに多忙で濃密な時間を
過ごしました。
基本的なレイアウトは変わらないものの
時代にあったリニューアルを施されていましたが
職員の制服は当時も今も変わらず
バックヤードや店周辺の畑や駐車場も
当時のままでした。


葬儀に参列し
納骨後の墓参りに行ったっきりの疎遠を
詫びつつこころを込めて心経を奏上しました。
微かな印象ですが
友人の懐かしい笑顔が伝わってきました。


生きる時間は人それぞれですが
過去を変えることはできないし
未来を予想することも出来ません。
在るのは目の前の「今」だけ。
そして在ると思っていた今も一瞬で過去になる。
友人の微笑みは
「今を楽しんで生きなきゃ!」
というメッセージだと直観しました。


▲奈良大峯山からの日の出(天川村韋駄天社山頂)

天河大弁財天社「観月祭」奉観

2020年10月03日 | イベント情報
長月から神無月へ。
朔日詣りに奈良県までお邪魔しました。
天河大弁財天社で執り行われる
「観月祭」を奉観しましたが
コロナ禍のため人数を大幅に縮小しての
ご神事でした。


▲拝殿前はすべて指定席


天河を訪れるたび地元の温泉や民宿での
ひと時が得も言われぬ至福の時間となります。
いつも懐かしい実家に帰ったような
不思議な感覚に陥ってしまいます。
天河を初めて訪れたのは3年前。
夕刻に境内を撮影した写真からこの地の
「場のチカラ」を直感しその後毎年のように
足を運ぶようになりました。


▲天河大弁財天社の夕陽


節分神事や弥山登拝神事など
数年前までは全く情報も関心もなかったこの地が
いつのまにかとても身近な存在に
なってしまいました。深いご縁を感じます。


よく冷え込んだ満月の夜。
宮司曰く、近年にない美しい月だったようです。
満月の灯りが水を湛えた木桶に映り込みます。
護摩が照らす場内で月見団子をいただきながら
参列者全員で観月水を一斉に飲み干しました。
新しい時代が始まる予感がします。


▲護摩の灯り


▲ヴァイオリン奉納演奏


▲月見団子が全員に振舞われました