エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

ヤストレ

2018年12月19日 | いろいろ日誌
友人の紹介で
ヤストレ
受けてみました。



ヤスさんが考案した
カラダ学を基礎とした
トレーニング方法
を略して
『ヤストレ』
と呼んでいます。


こちらのブログに
わりと詳しくありましたので
リンクします。
↓↓↓


▲解剖学や分子栄養学で女性のカラダのレシピを提供するエステ



ヤストレは
どこに行っても大盛況。
大変多忙ななかにも関わらず
お持ちのノウハウを
惜しみなく提供してもらえる
チャンスをいただきました。



トレーニングをはじめる前に
美と健康についての
座学があります。
これがとにかくわかりやすい。



結論としては
美も健康も自己責任、自助努力
ってことです。


そんなことは
あらためて言われなくても
わかってるんですけど
色々やっても
なかなか長続きしないんですよ。



ところがこのヤストレ。
本当に
短時間で結果がでます。
しかも内容は
いたってシンプル。



受けると
即、実感するカラダの軽さ。
これはどこでも
大盛況のはずです。



毎朝の瞑想に
ヤストレを加えて
さらにパワーアップしています。



ご縁に感謝。

奇なるかな

2018年12月11日 | スピリチュアル日誌


奇なるかな、奇なるかな。一切衆生悉く皆な如来の智慧徳相を具有す。ただ妄想執着あるがゆえに証得せず。


先日12月8日は
お釈迦様が悟りを開かれた事を記念する日
「成道会」(じょうどうえ)
でした。



“悟り”
などと言うと
手の届かない場所にあって
しかも高貴なお方がだけが到達しうる場所
というイメージがありませんか。



たとえれば

“髯を蓄えた70歳前後の
痩せこけた上半身裸の老人”


って感じでしょうか?



言い換えると
修行という名の下で
「自分探し」をしている
チョット悩ましいオジサン。




しかし「悟り」とは
到達できる人とできない人とを
分け隔てる
"終着点"
の事ではないようです。



思いがけず素晴らしい事だ。生きとし生けるものは皆な、生き方というものを知っている。ただ人間は自分の心に取り付かれ、この世からの借り物を自分のものだと思い込んでしまうから生き方が分からなくなってしまうのだ

上記は冒頭の
お釈迦様悟後の口語訳です。



人は本来の素晴らしさを知らずに
その心で真実を見えなくしている。



悟りとは
高い、深いなどの位置ではなく
早い、遅いの時間でもなく
その気になれば
今ここ
目の前にあるということのようです。



その意味するものは
いわゆる宗教というよりは
人類の進むべき道
と呼ぶほうがしっくりきます。



誰の前にも既にある


そのことを知るまで
結構な時間がかかりました。





スタートライン

2018年12月03日 | スピリチュアル日誌


“禅”
という文字を分解すると
「単に示す」
と読めます。


禅とはまさにそのもので
目の前にあるモノ
耳に聞こえてくるモノ
食べて味わうモノ
全てをそのままに受け取ります。


“受け取る”という表現だと
受け取る対象が存在しています。
つまり
わたしが受け取ると。。。。。


思考、認識を外していくと
次第にこのわたしという存在が消えていく。
正確にいえば
そもそもわたしなどなかった
という気付きに出会います。



そのまま取りなさい
が転じて
さとり
と言われます。


常に活動している認識を
一旦やめて寛いでみる。
座った状態で認識を捨て切ることを禅では
“死に切る”
あるいは
“決着をつける”
といいます。


言葉では簡単なことですが
いざ座ってみると認識や思考に
取り巻かれてしまってなかなか
“そのもの”
“そのまま”
の状態には至りません。



ただし
死に切るという状態があるということ。
それこそが
唯一わたしたち人間に与えられた
尊厳であるということを知って座るのと
ただなんとなく座ることとでは
大きな違いがあります。



また
その目的地は同じでも
座禅と瞑想は全く異なる手段であることを
参禅で学びました。


禅とは
「単に示す」のみ。


それは
わたしであり
日常であり
いまここである
ということが
よくわかりました。


まだスタートラインにも立っていなかった。
そのことを知った座禅会でした。

師走です

2018年12月01日 | いろいろ日誌

平成30年も残り1カ月となりました。

時の流れの早さに驚きますね。


昨夜
東京行きの最終の新幹線に乗り
今、上野でこのブログを書いています。


上野の周辺にはカプセルホテルが沢山あって
3000円以内で快適に過ごせます。


上京は今年3度目になります。


今回は
座禅会、同窓会、コンサートと
日にちが合致したので前日入りしました。


座禅会は
10月の浜松、方広寺以来です。


ただ座るだけなのに
わざわざ上京しなくてもいいのでは?
と思います。


なぜ座るのか。。。
なんのために座るのか。。。


その
“なぜなに”
の出処を知るために座ります。


古今東西
見性体験を求めて
日々、修行に励む方々の居る中
見性が何かも知らず過ごしてきた
これまでの生き方を転換していきたい。


現代人はどんなことでも知っている。
ただ自分を知らないだけである。
禅は自分自身を知る大切な日本文化である。



▲Link:井上義衍老師語録



日日是好日


今日も
ボチボチ参りましょう。