エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

癒しの杜

2022年03月07日 | スピリチュアル日誌

▲癒しの杜


先日ふと
思い立って
宮島に行ってきました。



マンボウの
出口が見えてきたからか
観光客が戻ってきているように
感じました。
外国の方も
結構いましたね。



さて
宮島へは「弥山」登山が目的です。
標高は535mですが
元は修験道の修行の山でもあり
岩場が多く階段の傾斜も
急な場所が多い山です。



そんなわけで
弥山は
なまっているカラダを
拓いていくにはちょうどよい環境の
山でもあります。


したがって
厳島神社やそのほかの
観光スポットには寄らず
いきなり登山口まですすみました。
ところが
どういうわけか足が
大聖院
に向いていくので
いつものように抗わず
ボチボチ歩いておりました。


すると
ふとあの場所のことを
思い出しました。
あの場所とは自称
癒しの杜
と呼んでいるところです。
大聖院に隣接するそこは
観光客が踏み入ることのない
というより
地元の人間も多分行かない
超マイナーなところ。



10年ほど前
たまたま立ち寄ったそこは
当時、スピリチュアルとは
縁のなかったわたしでも
暖かいエネルギーを感じる
ステキな場所でした。
どうやら
今日はココに呼ばれたな
と思いました。



案の定
結局、弥山に登ることなく
宮島を後にしました。
そんなわけで
癒しの杜の様子を動画にしてみました。
光に癒されますよ!



▲宮島癒しの杜(01:12)



しあわせ色

2021年07月04日 | スピリチュアル日誌



その日の空気感は
朝の散歩に出る前にわかりました。
「あ~今年も夏になったな~!」
6月30日の早朝の感想です。
そして7月に入り
梅雨らしい日が続いています。


さて
散歩に出る前の数分間
和室でゆったりと坐っていると
色(いろ)ってなんだろう?
という思考が沸いてきました。
色は

赤色
青色
黄色

など名称はついていますが
おおよその印象に名称をつけているだけで
実際に色とは何かを考えると
言葉で説明することはとても難しい。



たとえば
赤色を見たことがない人が居たとして
その人に赤色について説明するには
どうようにすればよいのでしょうか。
「トマトの色」
と言ってもその人にはトマトは
そのものにしか見えません。
青色は
「晴天の空の色」と言っても
空は空であって青色が何かは伝わらない。
青色という概念がないからです。



あくまでも
色彩は概念であって
人それぞれ違うものを観ていて
言葉に表現しても
それそのものを共有することはできません。
つまり言葉は
おおよその印象しか表現できない
ということです。



ある人が
しあわせ色って知ってる?
といいます。
そんな色
見たことも聞いたこともありません。
その人は
「君の目の前にある」と言い張ります。
いろいろと説明してもらうんですが
どんなに目を凝らしても
薄目にしても見えません。
まるで
裸の王様になった気分。



でもどうやら
「しあわせ色」は本当にあるようです。
目には見えず
耳にも聞こえず
味わうこともできないけれど
常に今もあり続けているようです。
「しあわせ色」は他の色と同じく
知るものではなく感じるもの。
そして
探すものではなく探されていることに
気付くことらしいのです。
赤色を知っている人には
探さなくても見た瞬間
目に飛び込んできますもんね。



でも
どうしたって探してしまうのが
人の性というもの。
そんなわけで
梅雨のジメジメした休日の朝も
読書から始まります。


よい休日を。

生まれた意味

2021年06月22日 | スピリチュアル日誌



「14歳からの哲学」のつづきです。


先のブログで
中学2年の頃から
「私とはなにか」
を探す旅にでたものの
未だにその途上にいると書きました。



生まれたからには何か意味があるはずで
年齢を重ね経験を積む中で
意義ある生き方に努めてきたつもりです。
仕事の中にやりがいをもとめ
人間関係の円滑化をすすめますが
いつになっても
安堵感や満足感は得られない。
つねに何かに追われている感じがします。



潜在能力開発セミナーや
数々のスピリチュアルイベントに参加しましたが
その時はなんとなくわかった気になるも
しばらくすると
また元の不安や不満が噴出してきます。




これはもう
降参
するしかないと感じたのは約10年前。
どうしたって
自分の思い通りにはならないことを
認めるしかない経験から
サラリーマンを辞めることに。




降参は文字通り
参加しているところから降りるということ。
社会的な地位から降り
誰でもない農的生活をはじめ
様々な導きから今があります。
導きとは人を介した不思議なご縁です。




その都度
自分の進む先は自分で決めていたと
思っていましたがよくよく観察してみるとすべて
ご縁
から始まっている。
そしてあるときふと
物心ついてから今日まで
すべてが縁で出来ている
ことに気づきました。
そして今この瞬間も
縁のチカラによって生かされています。
では
「生まれたからには何か意味がある」
という問いは縁によって
解決されるでしょうか。



カラダという物体がある限り
苦しみから脱出することはできません。
ココロという見えない存在も
悲しみの呪縛から逃れられない。
つまり
ワタシというこの存在は
苦しみと悲しみに囲まれているということを
まず認めることではないでしょうか。
つまり
苦しみを味わうことこそが生まれた意味です。
命は即ち苦の中にある
なんと荒唐無稽な回答でしょうか。



しかし
だからこそまずそのことを認める。
今ここの苦を認めてしまえば、それは
ワタシの責任じゃない!
ことが分かります。
そして叫んでみる。
「誰が率先して苦を望むものか!」
そこから
本当のワタシに出会う旅が始まります。



▲「100分de名著」14歳からの哲学


君が真理!

2021年06月20日 | スピリチュアル日誌

▲dailymotion「100分de名著」/池田晶子“14歳”からの哲学 23分50秒



2007年、46歳で逝去された哲学者、池田晶子さん。
2003年に出版された著書
「14歳からの哲学」は現在でも
多くの人に読まれていてAmazonの
哲学書ランキングで「3位」に入っています。






冒頭の動画は
東日本大震災から10年を迎える今年
放映された「100分de名著」です。
身内を亡くした悲しみから
今も多くの方々が逃れられずにいます。
生老病死など
人間には避けがたい「苦」に囲まれています。
その「苦」とは何か?
動画のなかで解説者は
少し言葉に詰まりながら以下のように述べています。





君の中に真理が眠っている
しっかりと感じて思い出すんだ



苦しみは真理に目覚める
きっかけになるということ。
人から教わる「真理」ではなく
もがき、苦しみながら考えること。






14歳というと中学2年生。
あのころのことを思い出すと確かに
私とは何か
の答えを探すため
心理学者の宮城音弥さんの著書を読み始め
「夢分析」のユング心理学に出会いました。
結局のところ多感な時期の考察が
今のワタシを組み立てていることを実感します。

そして今もその問いの途上にいます。



▲Amazon



「14歳からの哲学/考えるための教科書」は
本当のワタシに出会える名著です。

死の恐怖

2021年06月12日 | スピリチュアル日誌
隔週金曜日の朝8時からの虎ノ門ニュース。
科学者の武田邦彦さんと
ジャーナリストの須田慎一郎さんのコンビは
再生回数が100万回を超える人気番組です。
300万回を超えた回もあり
注目度は今も上昇中です。





6月11日(金)の冒頭の
フリートークがなんとも圧巻でした。
フリートークですので
テーマがあるわけではなかったんですが
武田邦彦さんの誕生日の話題が口火になり
以下のような発言がありました。


あのねぇ、生まれるとき「自分で生まれる!」と思って生まれてきた?わかんないうちに生まれたでしょ!
人間の一番変なのは、生まれるときは自分の意志でなく生まれてきたのに、死ぬときは怖いという人がいること。
死ぬときも生まれた時と同じ気分でいればそのうち死ぬのにね。
世界の宗教の起源は死の恐怖から始まっていて、この問いはまだ解決されていない。
「なぜ死は恐怖なのか」をそのうちお話したい。





▲YouTube「虎ノ門ニュース」冒頭7分20秒~




過去ブログでも触れましたが
誕生日の「誕」には偽り
という意味があり
「生まれてないから死ぬこともない」
という宗教的な命題とも
深くつながっています。



▲過去ブログ「わたしの誕生日」



虎ノ門ニュースの
「虎ノ門サイエンス」は
科学的なことはもとより哲学や宗教にも言及され
考え方、生き方へのカンフル剤のようなコーナーです。
次回
6月25日(金)の回が楽しみです。

わたしの誕生日

2021年06月03日 | スピリチュアル日誌



あなたの誕生日は?
と聞かれて答えられない人は
ほとんどいないと思います。
母親から
生まれた瞬間の時間まで
教えてもらっている人も
少なくないかも知れません。
換言すると
誕生日というのは
母親から切り離された記念日
とも言えるわけで
すべての人に共通した事実が
そこにあります。




しかしながら
誕生日について
よくよく観察してみると
切り離される前には当然
母親の胎内にいたわけですから

誕生日=生命の発生日

ではありません。
であれば
生命の誕生はいつなのかと
疑問が湧いてきます。




心臓の鼓動が始まった瞬間?
受精の瞬間?
卵子、精子が生まれた瞬間?
どんどん時を戻して観察すると
限りなく過去へと進んでいきます。





すると
結局のところ
わたしが生まれた瞬間など
どこにも見当たらない。
魂が両親を選んでやってくる
ということが、もしあるのであれば
どのタイミングなのか。
それが
生命の誕生とも
言えなくはないのでしょうか
あくまでも概念上での解釈になります。




誕生日の「誕」は
誕る(いつわる)という意味です。
誕生日とは
本当のわたしが生まれたことを
示した日ではありません。




つまり
だれも生まれたという事実を知らないまま
今この現実の中で存在しているという
驚くべき真実にたどり着きます。
にもかかわらず
今この瞬間もリアルな存在として
肉体もあり思考もあるという矛盾した存在が
このわたしです。





このあたりのことは

生まれてもないから死ぬこともない

と禅問答でよく耳にするフレーズです。
わたしという
矛盾を抱えた不思議な存在は一体何なのか?
しっかりと
味わってみる必要がありそうです。

宇宙そのもの

2021年06月02日 | スピリチュアル日誌



6月になりましたね。
令和3年ももう半分近く経過したんですね。
こないだまで寒い日が続いていた記憶も
6月に入り、いきなり真夏日になりました。
本格的な夏の入り口でしょうか。



最近
リアルな夢をよくみます。
夢のなかの出来事を
翌朝覚えていることが多いのは
しっかり睡眠がとれていないと言われますが
今朝の夢は場面の記憶ではなく
言葉の捉え方の関する
メッセージのような内容でした。
それは
いのち
とは何かという問いかけから始まりました。



人間は
ひとりひとりが
魂という名のいのちを「所有」していて
死によって魂は本来居たふるさとへ戻る
という物語を信じさせられています。
あるいは
死んだあとは再び赤ん坊として生を得て
新しい人生において
また新たな学びが始まるという、所謂
輪廻転生
という概念を信じている方も
少なくないと思います。



これらはすべて
「概念」であって
「真実」はどうなのか?
日々の生活で忙殺され
いのちに関する問いを
真剣に考える時間もない昨今の風潮に
宗教者や科学者が警鐘を鳴らしていますが
今一つはっきりとした答えが得られないのは
概念で生きているということすら知らない
わたしたちの限界なのかも知れません。



わたしたちの存在は
樹木に茂る一枚の葉っぱのような存在です。
風に吹かれ、雨に打たれ
時には虫に喰われてズタズタにされてしまう。
太い幹や枝に繋がれて
逃げようにも身動きが取れません。
絶望的な日々を過ごすしかない存在です。



しかし
一枚一枚異なる個性を持った葉っぱは
樹木の一部なわけで
よく観察してみると
わたしは太く力強い
大樹そのもの
でした。






さらに観察をすすめていくと
大樹だと思っていたわたしは
大樹を養っている
大地そのもの
だったことを知らされます。





そうやって
観察をすすめていくと
なんのことはない
わたしは
宇宙そのもの
だった。。。。。






そこで眼が覚めました。



わたしたちは今この瞬間
同じいのちを生きている


ワンネスとはこのことなのかという
大きな気づきに包まれました。

祝10000人

2021年05月15日 | スピリチュアル日誌

▲Amazon



ベストセラー
「あの世に聞いた、この世のしくみ」の著者
雲 黒斎(ウンコくさい)さんのYouTubeチャンネル
「雲黒斎の『うんちャンネル』」が先日
チャンネル登録者1万人の日を迎えました。
本人曰く
「1万人超えたからって特に何もなし!」
と言いつつお祝いのビールで
顔が真っ赤に染まっていました。
まずは一区切りですね。
おめでとうございます。


▲YouTube【ゲリラ配信】感謝! チャンネル登録者数1万人!!



いわゆる
覚醒体験をもつ雲さんですが
「ワタシはいない!」のような
感覚的な表現ではなく
比喩を使った論理的なしゃべりで
体験をシェアしてくれます。
どちらかというと
話しが「男性脳的」というのか
哲学的に展開されていて
受験勉強で育ってきたガチガチ脳にも
比較的理解しやすい内容で話してくれます。


したがって
直観的な目覚めの体験を
期待するというよりも
大きな扉をちょっとずつ開けながら
その過程を楽しもうよ
というスタンスのように感じます。


動画1本あたり約1時間ですが
どの作品も雑談のようで奥が深い。
まずはこのあたりからみて
気になるようでしたら
深堀りしてみてください。
生き方が
どんどん楽になっていきます。


▲YouTube【ゲリラ配信】雑談アワー 「人生の意味」





呪力

2021年01月15日 | スピリチュアル日誌

▲小豆粥

小正月(こしょうがつ)にあたる1月15日
皇居宮中では両陛下がご朝餐に
「小豆粥」を召し上がられます。


元日を
「大(おお)正月」と呼ぶのに対し
正月15日を
「小正月」と呼びます。
本来の小正月は
一年の最初の満月の日であった
旧暦1月15日のことです。



小正月の朝に
小豆粥を食べる風習は古くからあり
平安時代の『土佐日記』にも記されています。
小豆の赤い色には
邪気を祓う「呪力」がある
とされ食されるようになったとか。



科学的な検証が進む昨今
「呪力」などを語ることは
憚られるかも知れませんが
日本の歴史を振り返るなかで
「呪」は避けて通れないのも事実です。
過去ブログでは竹田恒泰さんの
「怨霊になった天皇」を紹介しましたが
このところの疫病の蔓延には
何かしら呪力のようなものを
感じずにはおれません。



▲過去ブログ「怨霊になった天皇」



アニメの世界では
相変わらず劇場版「鬼滅の刃」が
ロングランで上映中ですが
少年ジャンプで連載中の
「呪術廻戦」
がテレビアニメとして大ヒット中とか。



▲「呪術廻戦」公式サイト




目には見えないけれど
確かに存在する不思議なチカラ。
そんなチカラを
思い出す時節が
近づいているのかも知れないと
アニメブームから感じる
今日この頃です。

見えないものへの感謝

2020年12月30日 | スピリチュアル日誌



令和2年(2020年)も
残すところあとわずかになりました。
今年は
例年に比べて月日の経つのが
早かったように感じます。



テレビでは
コロナ報道一色で
とにかく不安をあおるような論調のものばかり。
おそらくですが
今年はテレビ離れも顕著になったのでは
ないでしょうか?
マスメディアからソーシャルメディアへの
本格的な転換点になった年と記憶されるでしょう。



結局のところ
私たちが何を恐れているのかを考えると
「見えないもの」を相手にしているから
ではないでしょうか。
見えたり、聞こえたりの五感の範疇で
捉えられないからこそ恐れざるを得ない。



しかし
ウイルスという
見えない物体への畏怖はあっても
神様や仏様、ご先祖様への畏敬の念を
持ち合わせているでしょうか。
そのことを
思い出させてくれた一年だったとも言えます。



お正月を迎えるにあたって
大掃除やしめ縄を飾るという風習は
古来よりご先祖がやってきたことです。
そこには
無病息災などの願いがあって
その願いの先には見えない存在への
畏怖と畏敬がありました。



年末年始を迎えるにあたって
見えないものへの感謝の念を
今一度新しくしたいと思います。



先日
天満宮にお札を受けに参った際
「天満蓬莱」なるものを初めて知りました。
不勉強にも程がある。
神棚と伊勢のしめ飾りを整えたのち
神棚に備えさせて頂きました。






令和3年が良い年でありますように。







フシギなことは当たり前⁉️

2020年10月06日 | スピリチュアル日誌
先日お邪魔した「吉野神宮」でのこと。
鳥居の前に立ってスマホで写真を撮ろうと
構えたとたん、いきなりスマホ画面が
サンドストームに。
あれ〜?と思いホームボタンを押して
初期画面に戻し、カメラをタップすると
キチンと風景を捉えています。


▲サンドストーム


「なんだったんだろぅ?」と
改めて撮影を始めると
またまた同じ症状になります。
まさか故障か💦💦
と次にシャットダウンして少し時間を置くと
正常に戻りました。
こういうことが起こる時は経験上
なんらかのメッセージが発せられていて
無理に事を進めないほうが良かったりします。
なので写真は諦めて静かに境内を
歩くことにしました。



すると
山門をくぐるや否や
気持ちの良い風が吹いてきて
歓迎してもらっていることが
すぐに伝わってきました。
なるほど
写真は後にして早くおいで!
ということだったようです。
鳥居を出たあと撮影しましたが
何の問題もなく
キレイな写真を撮ることができました。


▲吉野神宮の狛犬


つづいて
天川村の早朝散歩時のこと。
薄暗い朝6時台なので
普通だと村人や観光客に出会うことは
まずありません。
なのに数十メートル先では
落ちた毬栗を踏ん付けて一所懸命に
実を取り出そうてしている
「おじさん」がいます。
そのあまりの懸命な様子に
前を横切るのは忍びないと思い
分岐から別の道に進みかけた時。


おじさんの居る方向に
押すチカラ→
をカラダに感じました。
アレアレ?と思い
益々分岐から離れるよう
歩きだすと今度はおじさん方向に
引っ張るチカラ←
が働きます。
こんな時は逆らわず
チカラのまま進むことがヨシとされるはず。
あえておじさんから少し距離をおきながら
遠回りに通り過ぎようとした時


「あんた!どこからきたんや?」
と声を掛けられました。
「あっ、広島からです」
「ほー遠くからご苦労様ぢゃな」



話しを伺ってみると
天河神社の鳥居近くで
オーガニックカフェ「naya」を
経営されているオーナーさんで
天川村の昔の様子など教えてもらいました。


所謂、修験の末裔の方とのことで
ご先祖はご利益のある弁財天のお札を
普及させるべく全国を行脚されていたそうです。
広島県の中山間地出身の義母が幼い頃には
月一程度で修験の方がお札を持って
玄関先で螺貝を吹いていたと
聞いたばかりだったので
なるほどおじさんの話しと合致し
納得した次第です。


▲naya


▲天川村韋駄天社から日の出を臨む


修験道は明治7年に廃止令が出され
表向きは絶滅危惧種となったものの
古くからの民間信仰が戦前までは
当たり前のように生きていたことを知ると
改めて日本人の信仰心の逞しさに
感動を覚えます。


神道や仏教、修験など違いを争うのではなく
民間レベルではありがたい存在として
混合していたのだと思います。
日本の厳しい気候風土には
この曖昧さこそが自然と同化するための
智慧だったのではないかと思います。


▲武田邦彦教授


科学者の武田邦彦先生は
日本人の信仰の根底には
形の整った教義に縛られるのではなく
先祖と自然に対する畏怖と崇拝
があると言われています。
全くその通りだと思います。


エビデンスを求める
科学的な手法を大切にしながらも
理屈を超えた不思議なことが
当たり前にあるのだと思って生きると
ずいぶんと楽に生きていけるのでは
ないでしょうか。



吉野という土地はそんな
大切なことを思い出させてくれる
フシギなチカラが溢れた場所です。
近々にまた
訪れてみたいと思っています。


運命数33

2020年09月14日 | スピリチュアル日誌

▲Amazonはづき虹映


「9の持つチカラ」
と題したブログを
先に掲載しましたが
今回も数に関する話題です。


人にはそれぞれ生まれながらに
運命数
と呼ばれる固有の数字を持っていて
誕生日を分解して足していくと
それが現れてきます。
実はワタシは今日が誕生日で齢57という
なんとも中途半端な年齢に
到達してしまったなあという
感がありますが
ありがたいことにこの日は
永ちゃんや上戸彩ちゃんも誕生日で
お亡くなりになりましたが尊敬する
赤塚不二夫さんもそうなんです。



▲矢沢永吉オフィシャルサイト




さて
自分の誕生日で運命数を出そうとすると
このような計算になります。


1963.9.14
1+9+6+3+9+1+4=33(6)



本来、二桁になる場合は
一桁の数に直し
つまりは「6」になるんですが
33はに関しては例外的に
そのままということです。
冒頭の画像にある
「数秘術で占う366日誕生日全書」には
それぞれが運命数を持つことの意味や
その運命が詳細に記されています。
ちなみに
2018年2月6日の
はづき虹映さんのブログから
33について拝借しました。


***************************
まず、「はづき数秘術」の特徴のひとつとして、
「運命数33」の存在があります。
「カバラ数秘術」では扱われなかった「33」という数字を
このようなカタチにまとめて、世に出したのは、
私・はづき虹映です!!
もちろん、「運命数33」の人だけを特別扱いする
つもりはありませんが、他の数字とはちょっと違う
「役割」を担っていることは間違いないと想います。

それも「今だけ」「期間限定」です…。

まさに「33」は、「今」という時代だからこそ、
必要とされている数字であり、だからこそ2000年代に入ると
「運命数33」は30年近く、生まれてこないのです。
***************************



このあと
文章がまだまだ続きますので
オフィシャルブログを添付しますね。



▲はづき虹映オフィシャルブログ




あわせて
運命数33の著名人を検索してみますと
以下のような方々が名前を連ねています。

***************************
■東山魁夷(1908.7.8→33)
日本画家

■羽生結弦(1994.12.7→33)
フィギュアスケート選手

■中曽根康弘(1918.5.27→33)
政治家、総理大臣

■いっこく堂(1963.5.27→33)
腹話術師

■黒柳徹子(1933.8.9→33)
女優、タレント、司会者、エッセイストなど

■松下幸之助(1894.11.27→33)
実業家、発明家:松下電気器具製作所創業

■アルベルト・アインシュタイン(1879.3.14→33)
理論物理学者:相対性理論

■野口英世(1876.11.9→33)
医師、細菌学者
***************************





ちなみに
はづき虹映さんが主宰の
「IMAJIN TV」
と題したYouTubeチャンネルでは
直近の話題やパワースポットの
紹介などもされています。
宮島の弥山に登ったレポートでは
御山神社磐座のナイスな映像が
アップされています。
ワタシも大好きな場所です。



▲9月3日 はづきなショーwith t




▲9月14日 はづきなショーwith t



自分の運命数を知ると
進むべき方向が分かり
ちょっと気楽になるかも
しれません。
はづき虹映さんの著書、YouTube
オススメです。

9の持つチカラ

2020年09月08日 | スピリチュアル日誌
9という数字には
不思議な法則があります。
9を足していくとすべて
9にしかなりません。
また1から9までの数字を
全部足すと45になりますが
ここでも(4+5=9)になり
9が姿を現します。


9+9=18
1+8=

18+27=45
4+5=

36+45=81
8+1=


100万人以上が登録している
YouTubeチャンネル
「Naokiman Show」の
2018年2月21日にアップされた動画
「宇宙の法則・3・6・9が意味するものとは・・・」には
このあたりのことが
分かりやすく解説されています。
興味のある方はぜひご覧ください。



▲YouTube Naokiman Show (12分16秒)



物事を判断するときに
「9」という数字が目に付くようだと
それは“すすめ”のメッセージだと
思います。
日にちはもとより
目の前に停まった
車のナンバープレートや
行った先の住所や電話番号などなど。
「9」は行動のヒントになります。



さて
9月9日は「重陽の節句」です。
陰陽において
偶数は陰で奇数は陽になります。
そして最も大きな奇数「9」は
陽が極まった状態を表します。
極まった陽が重なる日、つまり
重陽
ちょうよう
です。


何かを始めるのには
最も良いとされる日のひとつ。

さあ
一歩踏み出しましょう。

出雲國石巡礼(3-3)

2020年08月12日 | スピリチュアル日誌
須田郡司さんの丁寧な説明が
大変印象的な石巡礼ツアーも
夕刻に解散となりました。


出雲という土地は出雲大社という
所謂「観光資源」を中心としながらも
土地から得られる強力なエネルギーによって
多くの人々を惹きつける場所だな、と
ツアーに参加すると実感できます。


そんな訳ですから
出雲大社の参拝はもとより
近隣の神社、磐座巡りも
是非、おすすめしたいと思います。
ツアー日程はホームページに掲載されています。
興味のある方々
電話、メール等でお問い合わせください。



▲出雲國石巡礼ツアーページ



さて巡礼の後は
米子市の皆生温泉に移動して
恒例の「直会」です。
日本海を目の前にしたホテルの部屋からは
鮮やかに輝く朝日、夕陽を見ることができます。



現在
「Go Toキャンペーン」中でもあり
客室は満室状態とのこと。
直会会場のレストランは
連休ということもあって家族連れの
熱気で溢れ返っていました。

余談ですが
コロナ禍の折でも
食事はステーキやお寿司などの
出来立てバイキングも一部あり
密を避けながらも、顧客満足を優先させた
ホテルの計らいにとても感動しました。


▲お品書きの添えられた前菜


▲ビールはピッチャーで!


しかし
時節柄
カラオケバーやラウンジは休止となっていて
宿泊客の多くは、大浴場やゲームセンターでの
時間を楽しんでいるようでした。
そんななか
カクテルが楽しめる
ティーラウンジだけは営業していて
直会の二次会はそこに移動。
おかげさまで
貸し切り状態でお酒を楽しみ
直会の夜が暮れていきました。


▲水盤に浮かぶラウンジ


▲バーテンの吉岡さん


次の日
特に予定はなく帰省の道程にある
場所へと向かうため米子道を南へ進みます。
まずは大山へ。
モンベル大山店の近くにオープンした
焼き立てパンが美味しい
モンベルフレンドマーケットで小休止。
ミルクたっぷりのソフトクリームに大満足しつつ
大山の雄大な姿に暫し感嘆!


▲大山


▲サムハラ神社御神木


さらに米子道を南下し
中国道経由で津山に入り
週末は参拝客で行列ができるという
里山の神社
「サムハラ神社」へ行ってきました。
2015年に発刊された
物理学者の保江邦夫さんの著書から
火がついたとされるこの場所は
案の定
他県ナンバーの車で参道沿いは大渋滞。
合わせて女性の占有率は70%超で
お独りでの参拝の方も多く見かけました。
現地では
何かしらイベントのようなモノも
開催されていて長居は難しそうでしたので
お詣り後すぐに下山し、遅めのランチを
いただきました。
ランチは昨日につづき、またまた
「カレー」になりました。



▲「カフェ藍」のカレーランチ(FacebookページLink)



今回のツアーは
ギックリ腰に始まり
一時はどうなるかと思いましたが
磐座で癒され、温泉でも癒され
美味しい食事に囲まれた
幸せな時間を満喫することができました。
巡礼とはまさに
聖なるものは己と共にあることを知ることだと
あらためて感じた有意義な2日間でした。



▲YouTube「立石神社の蝉時雨」


出雲國石巡礼(3-2)

2020年08月11日 | スピリチュアル日誌
出雲國石巡礼の後半です。
午前中の雨模様から
過ごしやすい曇り空になりました。


出雲大社から
島根半島を東に進みます。
南に宍道湖を見ながら向かうその場所は
巨石が鎮座する立石(たていわ)神社です。
県道から少し下がった場所にあるそこは
社殿を持たない磐座だけの
神秘的で神聖なパワーに溢れています。
夥しい「ヒグラシ」の羽音を浴びながら
暫くその場を味わいました。



▲立石神社磐座


次に
車は松江市内を進み
「神魂(かもす)神社」に向かいます。
ここの本殿は
現存する日本最古の大社造りで
国宝に指定されています。
以下の画像は
手水社で撮影したモノですが
青竹をフシの下で切り
竹の枝2本をそのまま把手にした
柄杓の様子です。
こんな造りは初めて見ました。




▲Wikipedia 神魂神社本殿(最古の大社造)


国宝になるほどの
由緒ある神社ですが
実はここの境内地には
立正大学淞南高校があります。
Googleマップで上空から見ると
よくわかります。




昭和30年代に
境内地を削って
高校がつくられたらしいのですが
造成された際にどうやら神籬のような
場所があるとの報告があったようです。
それが
上空写真の中にある
出雲大神宮
と言われる場所です。


所有権は
淞南高校になるのですが
その重要性を鑑み敷地を整理し
きちんとお祀りされるようになりました。
現在
学生達の手によって定期的に清掃活動が
されています。
須田郡司さんが作成された「巨石マップ」によると
通称「宿弥岩」とも呼ばれるこの場所について
以下のブログに詳しく紹介されています。


▲ブログ「出雲大社の歩き方」



▲立正大学淞南高校



▲宿弥岩前で撮影(太陽神経叢に光が入りました!)


この場所は一種独特で
上空から渦を巻きながらエネルギーが
降り注いでいる感覚に包まれます。
熊野三山の聖地
「玉置神社」の遥拝地
「玉石社」に似た
エネルギーを感じました。


ちなみに
神魂神社から出雲大神までは道がなく
直接行くことはできません。
必ず淞南高校の正門を通っての参拝になります。
したがって
参拝には高校からの許可が必要だそうです。
須田郡司さん曰く
事務室に届け出を行い参拝してください
とのことです。


ところが
高校内でクラスターが発生した
との報道があり現在校内への
立ち入りが制限されています。


ツアーでは
「巨石マップ」が配布されます。
出雲國編と出雲市編の2冊です。
このマップがあれば
どこに磐座や神籬があるのか
一目瞭然です。
マップを手に入れることが
できるだけでもこのツアーに
参加する価値があります。




ツアーの詳細は
VOICE OF STONEの
ホームページをご覧ください。


▲VOICE OF STONEホームページ



出雲國石巡礼(3-3)につづきます。