エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

小庭の春

2018年04月22日 | いろいろ日誌
4月も後半です。

自宅の小庭にも春が来ました。

例年より

少し開花が早いようです。

このところの

高温の影響でしょうか。



春の日曜日

今日は何をして楽しもうかな。






















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甲州印傳

2018年04月20日 | いろいろ日誌


以下は
甲州印傳(こうしゅういんでん)の
HPからの抜粋です。

『南蛮貿易が盛んな17世紀、東インド会社より輸入されたインド産の装飾革に『応帝亜(インデヤ)革』と呼ばれた革があり、印度伝来を略して印伝となったと伝えられています。

江戸時代に入ると、遠祖上原勇七(現十三代)が鹿革に漆付けする独自の技法を創案、ここに甲州印伝がはじまったといわれています。この技法により作られた巾着、莨入れ、早道などは、当時の上層階級にたいへん珍重されました。

江戸後期に数軒あったといわれる印伝細工所のうち、時の流れのなかで、印傳屋だけが唯一残りました。その理由は、「技」の継承を代々の家長「勇七」のみに口伝されたことによります。家伝の秘法は、現在では印伝技法の普及のため、広く公開されています。

1987年、甲州印伝は経済産業大臣指定伝統的工芸品に認定。印伝の伝統技は、生活を彩る実用美として、稀少な日本の革工芸の文化を伝える担い手となっています。』




▲甲州印傳ホームページ



とても
魅力的な案内だったので
思わずネットで注文しました。

価格も手頃で
品質にも満足。

使い込むごとに
味が出てきそうな予感です。




良いものに出会うと
ドキドキしますね。


◎感謝
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屋久島エコツアー◎その6「まとめに」

2018年04月17日 | 趣味日誌
屋久島エコツアー報告も
そろそろまとめに入ります。


縄文杉までの往復
約22キロのトレッキングは
時間にして9時間半
スマホの歩数計では
33323歩を刻みました。


一眼レフで撮った写真の多くは
手ブレや雨の影響で
期待した状態ではありませんでしたが
そのうちの
何枚かを抜粋してみました。


まったくもって
異次元に迷い込んだ、
そんな不思議な画像です。


生命エネルギーが溢れている
ステキな画像を添付して
屋久島エコツアーの
まとめとします。




▼杉の森

















▼苔の森



















◎感謝

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屋久島エコツアー◎その5「出会いの地」

2018年04月15日 | 趣味日誌

▲アーネスト・ヘンリー・ウィルソン


『アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(1876年2月15日 – 1930年10月15日)はイギリスのプラントハンター。
約2,000種のアジアの植物をヨーロッパ、アメリカ合衆国に紹介した。約60種に彼の名前がつけられた。屋久島の胸高周囲13.8mの切り株、「ウィルソン株」を調査、西欧に紹介したことでも知られる。』




以上は
ウィキペディアからの引用です。



▲ウィルソン株のハート


『ウィルソン株』
と呼ばれるその場所は
登山口から約3時間
標高1030mの山中にあります。



見上げた空がハート形のため
縁結びの場所
出会いの場所
として
人気のスポットになっています。




さて
ウィルソンが屋久島を訪れたのは
大正3年(1914年)2月のこと。
ハーバード大学
アーノルド植物園からの特命を受け
日本での調査旅行を実施。
家族を伴ってのものとなりました。



▲大正3年ウィルソン一家、東京での画像



現在と違い当時の屋久島は
登山道も物資も
整っていない状態でしたので
その苦労は伺い知れます。


しかし
そんな中にあって
夕刻には山中において

五右衛門風呂

に入って寛いでいたといいます。



現地の
日本人ガイドが
ウィルソンのために
鉄の釜を背負って
山道を登ったというのです。


すごい逸話ですね。



▲五右衛門風呂の鉄釜(イメージ)


ウィルソンは
その後、日本国中を調査し
大正4年(1915年)1月
帰国の途に就きました。
ウィルソンにとっては
屋久島の若者と過ごした時間は
特別だったようです。
また
屋久島の地元民にとっても
ウィルソン株の名とともに
深く記憶に刻まれました。



その後
地元民が株の下に

大株神社

として祠をたて
現在に至ります。



▲家族6人と祠



ウィルソンが残した
以下の言葉が胸に刺さります。


あなたが森を破壊する時あなたはまた自然のバランスを壊しているのだ。
将来の世代のために今の世代ができることは森を守っていくことに尽きるということを忘れてはいけない。




ウィルソン株に迎えられた
その瞬間
祈りのエネルギーを
感じました。


きっと
ウィルソンが遺したその言葉、
そのメッセージこそが
この場に刻まれていたのでしょう。
100年を超えてもなお
そのエネルギーは絶えていません。




▲大正3年(1914年)当時の画像


▲似たアングルからの家族6人画像



屋久島は
平成5年(1993年)12月
日本初のユネスコ自然遺産に登録されました。
ユネスコに登録される以前から
貴重な自然が活きた島であったことを
ウィルソンは記録に留めています。


ウィルソン株の由来を読み解きながら
その昔
学生の頃に読んだ
「尾瀬〜山小屋三代の記〜」
を思い出していました。

「まもる。峠の緑の道を 鳥たちのすみかを みんなの尾瀬を」
を遺言に36歳で亡くなった平野長靖や

「自分は尾瀬の自然の中に生きているひとつの生物である」
と語った平野長英の思いも
ウィルソン株のエネルギーに通じます。



▲amazon「尾瀬〜山小屋三代の記〜」




若かりし頃に感じた
大自然への憧憬や羨望を
この地、屋久島で
思い出すことになりました。


ワタシは
ウィルソン株に出会い
過去の自分に出会う。


そんな瞬間を
ここ屋久島で体感しました。



▲ワタシを思い出す旅になった


ウィルソン株
ワタシとの出会いの地に
なりました。

◎感謝



▲画像出典◎amazon「ウィルソンの屋久島」



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屋久島エコツアー◎その4「トロッコ道」

2018年04月13日 | 趣味日誌


屋久島エコツアー報告の4本目は
「トロッコ道」についてです。


トレッキングの雑誌などでは
縄文杉までの道のりにある軌道を
トロッコ道と記載してありますが

安房森林軌道
(あんぼうしんりんきどう)


が正式な名称です。
大正12年に完成し現在
日本で唯一現役で稼働している森林鉄道で

安房森林鉄道
屋久島森林鉄道


とも
言われています。


実際に走っているところを
見ることはできませんでしたが
月に数回、登山道にある
トイレなどの維持管理に必要な物資の輸送や
屋久杉の土埋木や切り株などの運搬に
使用されています。


ガイドさんによると
本土の受刑者によって
突貫で作ったらしく
トンネル工事では
ダイナマイトを使用した
非常に危険な作業だったようです。



▲トロッコ道のトンネル内


さて
そのトロッコ道の全容ですが
荒川登山口から縄文杉までの
往復約22キロの道のりの
約3分の2がそれにあたります。


かつては
軌道の枕木を渡っての登山でしたが
現在は枕木に屋久杉の板を打ち込んであり
ランニングも可能な状態が
維持されています。


しかも
今年2月には
未整備だった一部の箇所に手が入り
全線すべてが屋久杉板の歩道になりました。


▲トロッコ道を歩く


ちなみに
全線整備に予算が執行されたのは
昨年11月の天皇陛下のご訪問が
その理由だそうです。
以下
ワタシが宿泊したエアポートホテルの前を
両陛下を乗せた車が通り過ぎる様子です。


▲平成29年11月16日天皇陛下屋久島ご訪問の様子



ところで
縄文杉までの登山道の全容は
以下のようになります。
見てわかる通り
トロッコ道の高低差は約300メートルです。
片道約8キロですので
そのなだらかさはわかっていただけると
思います。
お散歩コース
といっても良いかも知れませんね。




そんなわけで
縄文杉からの帰りのトロッコ道は
半分ウツラウツラ状態で
同行したメンバーも
同じように睡魔と戦いながらの
トレッキングになりました。



▲屋久杉歩道に刻まれたハート


エコツアー報告
まだまだ続きます。



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屋久島エコツアー◎その3「家族」

2018年04月11日 | 趣味日誌

▲“家族”6人の後ろ姿(ひとりカメラマン)

エコツアーの参加者は6名。
男性3名、女性3名の
バランスの取れたパーティになりました。


このツアーには

“お一人様限定”

の縛りがありました。
つまり皆さん現地で初対面!



にもかかわらず
どう言うわけか
初日の夕食交流会から
アットホームな感じになりました。


しかも
明日の縄文杉ツアーの出発時間が
朝4時だと言うのに
夜11過ぎまで呑んで、騒いでおりました。


このような場合は
年長者のワタシが皆を諌めて
部屋に戻すのが役目なんでしょうが
率先して呑んでおりました。
いや〜
屋久島のお酒が美味しかったんですよ、ホントに!




▲夕食交流会のお膳



ところで
参加者はそれぞれ
神奈川県、石川県、大阪府、愛知県の方。
出発地の空港の天候で到着時間がバラバラだったため
ワタシを含めた2名の福岡空港組が
最後の到着になりました。



先着の4名は
屋久島西部地区の観光。
福岡空港組の2人は
帰りのフライトが早いために
到着してすぐに
お土産の買い出しとなりました。



▲Link:屋久島みやげ「武田館」



▲屋久島焼酎「三岳」



結局
2日目もお土産の時間がありましたので
急いで買うことは
なかったんですけどね。
しかも
武田館で試飲といいながら

三岳

を半分くらい開けてしまうという
予想外の展開に。


その結果
最終日の朝の体調は最悪で
白谷雲水峡ツアーは
直前までキャンセルを考えていました。
しかし
皆さんに元気をいただき
無事3日間を過ごすことができました。


ご縁とは不思議なものですね。
屋久島の「家族」に感謝します。



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屋久島エコツアー◎その2「フライト」

2018年04月09日 | 趣味日誌


エコツアー報告を続けます。

先のブログは
福岡空港の搭乗口からの
報告でした。


条件付きフライトで
1時間半遅れのアナウンスが入り
横なぐりの雨の中
空港バスで飛行機まで移動しました。


飛行機を使っての移動は
あらためて思い出してみると
久しぶりのこと。


羽田でトランジットして
青森県の佐藤初女さんの
「森のイスキヤ」
のイベントに家内と一緒に
参加して以来です。




▲過去ブログ「おむすびの祈り」



さて
冒頭の画像は
搭乗した日本エアコミューターの
プロペラ機です。


行きも帰りもほぼ満席でした。





40リットルのバックパックを
通路側席の足元において
ちょっと窮屈にしていましたら
CAさんが声をかけてくれました。


「後ろの席が2席空いておりますので
よろしければいかがでしょうか」


そんなわけで
CAさんと一緒に
バッグパックを抱えながら後ろに移動。
窓際の席に座らせてもらえました。
しかも
バッグパックにも席が。







旅の始まりから
なんとなく
良い流れになっています。


九州地方はこの日
どこも雨天でしたが雲の上は快晴。
しかも
まるで雪山を思わせるような
分厚い雲たちの表情が
とても豊かでした。







雲を抜けて着陸態勢に入ってすぐ
一瞬ですが陽の光が差し込み
機体に虹が映り込みます。


屋久島上陸
どうやら歓迎されている様子を
感じることができました。





ちなみに
帰りの便は快晴の元での
フライトでしたので
航路下には雄大な
桜島
を見ることができました。


▲桜島上空


次回も
引き続きトレッキングツアーの
報告です。


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屋久島エコツアー◎その1

2018年04月06日 | 趣味日誌


桜の季節も終盤になりました。

新しい年度が始まり

新たな気持ちでのスタートですね。





さて

平成30年度は屋久島から始まります。

冒頭の画像は

一昨年たまたま手にした冊子の画像です。

掲載されたその写真を

のみこまれるように眺めたのが

昨日のようです。




年度始めという

このタイミングは

色々と不都合がありましたが

すべて整い、エコツアーに

参加することが可能になりました。






ちなみにこのブログ

今、福岡空港の搭乗口前で書いています。




ここに来て

悪天候でフライト中止の可能性あり

のアナウンスが流れています。



ひと月に35日も雨が降る

と言われている屋久島。



今日の雨は特別ひどい模様。



▲屋久島雨雲レーダー



さて

このあとどうなるのか。




エコツアー報告

このあとも続きます。
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