▲アーネスト・ヘンリー・ウィルソン
『アーネスト・ヘンリー・ウィルソン(1876年2月15日 – 1930年10月15日)はイギリスのプラントハンター。
約2,000種のアジアの植物をヨーロッパ、アメリカ合衆国に紹介した。約60種に彼の名前がつけられた。屋久島の胸高周囲13.8mの切り株、「ウィルソン株」を調査、西欧に紹介したことでも知られる。』
以上は
ウィキペディアからの引用です。
▲ウィルソン株のハート
『ウィルソン株』
と呼ばれるその場所は
登山口から約3時間
標高1030mの山中にあります。
見上げた空がハート形のため
縁結びの場所
出会いの場所
として
人気のスポットになっています。
さて
ウィルソンが屋久島を訪れたのは
大正3年(1914年)2月のこと。
ハーバード大学
アーノルド植物園からの特命を受け
日本での調査旅行を実施。
家族を伴ってのものとなりました。
▲大正3年ウィルソン一家、東京での画像
現在と違い当時の屋久島は
登山道も物資も
整っていない状態でしたので
その苦労は伺い知れます。
しかし
そんな中にあって
夕刻には山中において
五右衛門風呂
に入って寛いでいたといいます。
現地の
日本人ガイドが
ウィルソンのために
鉄の釜を背負って
山道を登ったというのです。
すごい逸話ですね。
▲五右衛門風呂の鉄釜(イメージ)
ウィルソンは
その後、日本国中を調査し
大正4年(1915年)1月
帰国の途に就きました。
ウィルソンにとっては
屋久島の若者と過ごした時間は
特別だったようです。
また
屋久島の地元民にとっても
ウィルソン株の名とともに
深く記憶に刻まれました。
その後
地元民が株の下に
大株神社
として祠をたて
現在に至ります。
▲家族6人と祠
ウィルソンが残した
以下の言葉が胸に刺さります。
あなたが森を破壊する時あなたはまた自然のバランスを壊しているのだ。
将来の世代のために今の世代ができることは森を守っていくことに尽きるということを忘れてはいけない。
ウィルソン株に迎えられた
その瞬間
祈りのエネルギーを
感じました。
きっと
ウィルソンが遺したその言葉、
そのメッセージこそが
この場に刻まれていたのでしょう。
100年を超えてもなお
そのエネルギーは絶えていません。
▲大正3年(1914年)当時の画像
▲似たアングルからの家族6人画像
屋久島は
平成5年(1993年)12月
日本初のユネスコ自然遺産に登録されました。
ユネスコに登録される以前から
貴重な自然が活きた島であったことを
ウィルソンは記録に留めています。
ウィルソン株の由来を読み解きながら
その昔
学生の頃に読んだ
「尾瀬〜山小屋三代の記〜」
を思い出していました。
「まもる。峠の緑の道を 鳥たちのすみかを みんなの尾瀬を」
を遺言に36歳で亡くなった平野長靖や
「自分は尾瀬の自然の中に生きているひとつの生物である」
と語った平野長英の思いも
ウィルソン株のエネルギーに通じます。
▲amazon「尾瀬〜山小屋三代の記〜」
若かりし頃に感じた
大自然への憧憬や羨望を
この地、屋久島で
思い出すことになりました。
ワタシは
ウィルソン株に出会い
過去の自分に出会う。
そんな瞬間を
ここ屋久島で体感しました。
▲ワタシを思い出す旅になった
ウィルソン株
ワタシとの出会いの地に
なりました。
◎感謝
▲画像出典◎amazon「ウィルソンの屋久島」