エコでピースな市民のひろば

『ひとりの百歩より百人の一歩』をスローガンにライフスタイルやスピリチュアル系情報を交換するWebひろばです

小便するのと一緒

2019年06月30日 | スピリチュアル日誌
NHK「宗教の時間は」
ラジオ第2放送で放送されている番組です。
戦前から放送されていましたが
第二次世界大戦激化のため一時休止。
昭和21年1月20日に再開し現在に至っています。
毎週日曜日、朝8時半から9時の30分間の番組です。


ところで
同名のテレビ番組が
昭和37年4月8日から昭和57年4月4日まで
NHK教育テレビで放送されていました。
現在は「こころの時代」と改題され
宗教にとどまらない内容で放送されています。


▼NHK




一昨年
小倉での参禅会でご縁を頂いた井上哲玄老師。
この方は井上義衍(ぎえん)老師のご長男で
50歳を過ぎて見性され、現在80歳半ばを過ぎてなお
全国の参禅会に飛び回っておられます。
「カフェ寺」と題して、近しい場所での講話会も
主宰されています。


▼井上哲玄老師動画


▼井上義衍老師/過去ブログより




昨年11月、小倉での参禅会後の懇親会で
井上義衍老師のDVDを紹介され即購入。
DVDは先に紹介したNHK「宗教の時間」に
老師が出演された会、3回分をまとめたモノでした。
今でも車内で見聴きしながら、毎日触れています。
番組の中で
グラフィックデザイナーの横尾忠則さんとの対談の場面があります。


▼横尾忠則現代美術館





横尾「死の恐怖はないですか」

老師「死なんて、そんなもん小便するのと一緒」

横尾「ショーベンといっしょ???でも以前はそうじゃなかったでしょ?」

老師「無論!しかし知ってみたらなんてことなかった!」





見性や悟り、一瞥など
表現の仕方は異なりますが
体験者はおしなべて
「すでに知っていた」
と言われます。
どうやら特別なことではなく
シンプルなモノなのかも知れません。
DVDは以下のサイトから購入できます。



▼書籍、DVDはこちらから

新しいお仕事(続々)

2019年06月26日 | ライフワーク

▲1829年刊 草木錦葉集


その昔観葉植物は一年中緑を保つことで
長寿や繁栄のシンボルとされ
実際に庭園に植栽されることも多かったようです。


日本ではサカキなどが宗教的に重要視され
江戸時代には、カエデやマンリョウなど
低木、草本に至るまで葉の美しい植物を
観賞することが盛んになり
1827年には世界で初めての植物の専門書である
「草木奇品家雅見(そうもくきひんかがみ)」が
1829年には「草木錦葉集」が出版されています。


もとより日本では
一般的な家庭でも軒にシノブを吊るしたりして
緑の葉を楽しむなど観葉文化は
都市部に定着しています。




オフィスや店舗で
生き生きとしたグリーンがあると
豊かで幸せな感じがします。


グリーンには
空間を変える不思議なチカラがある。
日本人は
昔からその事を良く知っている民族です。
グリーンとヒトを繋げる事業。


グリーンポケット広島西店
明日6月27日(木)に開店します。

新しいお仕事(続)

2019年06月24日 | ライフワーク
「人生はひまつぶし」
「日日是好日」
の意味がわかると
ちょっと変わったことが
やってみたくなりました。


思いついたのが
「カレー屋さん」でした。
しかも
酵素玄米をメインとした
酵素玄米に合うカレーをつくるため
色々と食べ歩き
結局のところフランチャイズの
ノウハウをいただきながらの運営を
選びました。


10年近く炊いてきて
もっと多くの方々に
酵素玄米をお知らせしたい。
カレーだったら
ご飯がたくさん食べられますから。

サラパパの食日誌21
↓↓↓



酵素玄米は
あっさりとした甘めのルーに
良く合いました。
おー、なんかいい感じ!!


ちょうどその頃
資料請求をしていた観葉植物の
レンタル事業の担当者さんから電話が。
「来週、広島に行きますから!」


とにかく一度会うことに。
そしてシフトが始まりました。

新しいお仕事

2019年06月23日 | ライフワーク


6月27日より
観葉植物のレンタル事業を始めます。
店舗の所在地は広島市西区の
上天満町(かみてんまちょう)です。

その名のとおり
近くには天満宮があり
静かで趣きがありながら
市内中心部へのアクセスが良好な場所です。

観葉植物は
自宅に何鉢かあるにもかかわらず
植物自体の知識は少なく
見た目が良いように管理するだけの
シロウト同然の愛好家です。

専門的な知識を付けたいと思い
通信講座や寄植え教室などを
ネットで検索していました。

すると
観葉植物のレンタル事業に辿り着いて
ホンの軽い気持ちで
資料請求をしてみました。


それが
どういう風の吹き回しか
あれよあれよという間に
ショップを持つ羽目に。


事の顛末は続きます。

グリーンポケット
↓↓↓


ひまつぶし

2019年06月22日 | 阿部敏郎さん
先のブログで
ワタシと思っているこのワタシは
五感の働きそのもののことで
五感を司っている正体不明の「何か」と
同じ存在であると結論付けました。


ワタシ=五感=「何か」


仮に「何か」を神と例えるなら
五感を与えた意味とは何でしょうか。
それは
“五感を使って楽しんで!”
ってことだと思います。
思考ではなく五感でね。


思考はあくまでも五感のあと。
思考は常に後回しになっています。
だとすれば
思い悩む前にやっちゃいましょう。


人生はひまつぶし。
気楽に行きましょう。

阿部敏郎「かんながら」
↓↓↓

ワタシはナニ?!

2019年06月21日 | 阿部敏郎さん
五感を働かせている「何か」によって
司られているこの「ワタシ」は
なぜ、今ここでこうしているのか?
その意味を知りたい。

物心ついた頃だろうか。
ヒトはいつか死ぬんだと知ったとき
巨大な恐怖に押しつぶされそうになった。
生が死の始まりであるなら
何のためにワタシはここに居るのかを
ずっと考えてきた。
虚無感に襲われる時もしばしばだった。

成人して働き始めると日々の忙しさに紛れて
虚無感に襲われることもなくなる。
しかし、この年齢になるとまた
ふと思考の世界が蘇ってくる。


ヒトは何にために生きるのか、と。


この問いに答えは出ない。
なぜならワタシと思っているこのワタシは
思考に中で「生きている」と
思っているだけで
実際には存在していないからだ。

存在していないと言っても
目にはモノが見えるし
耳には音、鼻は香りを嗅ぎ分ける。
つまり五感の働きこそが
生きている証拠となる。

であるなら
「五感がワタシ」
ってことになる。
五感があるから思考が湧くわけで
思考があるから五感があるわけではない。
五感が先なのだ。

冒頭に戻れば
五感を働かせている「何か」によって
司られているワタシが
「五感である」ということは
つまり

「ワタシ=何か」

ということにならないか。


なーんだ
“ワタシって「何か」”
だったんだ。

ん〜ん?!?!
「何か」ってなんだろう。


阿部敏郎「かんながら」
↓↓↓

五感のはたらき

2019年06月20日 | 阿部敏郎さん
今日一日をどう生きようかと悩み
しんどくなることがある。
そういう時は大抵、未来が見えず
過去を悔やんでいる。

そんな時は何もせず只々
目を閉じてゆったりと坐ってみる。

するとまた
同じような思考がどんどん湧いてきて
収集がつかなくなる。
どこまでいっても思考はやまない。
思考しているうちにも
呼吸をし、五感は勝手に働いている。
ただそれだけなのに。

誠にこの思考には困ってしまう。
どうすれば迷い悩む生活から脱却できるのか。
それは
迷い悩む「ワタシ」を一旦捨ててみる思考に
切り替えてみること。
目には目を、思考には思考を、で対処する。

ワタシと思っているこのワタシは
五感の動きに従って生きているだけ。
つまり五感を働かせている「何か」
によって司られている訳で
何をしようが、どう思おうが全て
「何か」の仕業であるということ。

じゃあ、ワタシってなんだろう?

神さま、教えてー!?


阿部敏郎「かんながら」
↓↓↓

使命を生きる人

2019年06月19日 | 赤塚高仁さん
人生は出会いで変わる。
本当にそうだと思う。思考の中では生き方は変わらない。
動き回って人に会い言葉を交わす。
立場や地位など考えず、霊止(ヒト)として交わっていく。
平成23年、冬の伊勢でこの方に出会ってから生き方、考え方が大きく転換した。
そして
本当のワタシを思い出し、生き方が楽になった。生きていく方向がわかる。
これまでの手探りだった歩みに
キチンとした視界を得る。
令和の御代を迎え
生き方を変える方々に多く出会う。
これまでの思考では乗り切れない時代になると感じる。
ぜひこの方に出会ってほしい。心から願う。

↓聖書漫談師 赤塚高仁