駄楽器駄日記(ドラム、パーカッション)

ロッキンローラーの打楽器日記

JOGと選挙とビール

2019年07月21日 | 駄日記
7月21日(日)
昨日のライブから帰宅したあと、いつもなら一人ウチアゲでお酒を飲みまくるのを節制した。
それはなぜかというと、ライブのあとのミーティングで、ミッチーのバースディケーキをみんなで分けて食べて結構お腹が膨れてしまい、お酒が進まなかったことと、今日の朝は早起きしたかったからだ。

朝、起きて雨が降っていなかったら、JOGしたかった。
そして、いい汗をかいて選挙に行きたかった。

実際、目が覚めたら曇りだったのでその通りになった。
どんよりと重い空気だったけれど、朝のJOGは休日ならではの楽しみだ。
シャワーを浴びてさっぱりして、さて選挙に行こうかなと思ったが、クルマの中の機材の片付けをしていたら再び汗にまみれてしまった。
機材が多すぎる。。。
ドラムだけじゃなくて、音響関係の必要な分を倉庫から出して持っていったんだけど、それをしまうのに、倉庫を洗いざらい外に出して再びしまうという作業がたまらなくしんどい。
まあ、月に一度のことだし、この苦労でひとりでもお客さんが満足してくれるのであれば、よしとするのだ。
投票所へ行くとすごい人だった。駐車場はほぼ満車で、受付もけっこう並んでいた。
投票を済ませ、安心して午後からビール。

大相撲の千秋楽を見ながらグビグビと。
美味いのう。。。
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祇園花火と競合

2019年07月20日 | ザ・スターキー
7月20日(土)
毎年の悩みの種でもある祇園の打ち上げ花火大会。
7月の定期ライブと必ずバッティングするという恒例行事がもうこれで8年目!(笑)
それなりの興奮と、花火への対抗心みたいなやる気を漲らせてのライブとなるわけです。

さらに7月は、スターキーでは記念の月でもあります。
ミッチーの誕生月と、モーリーとヒロの加入記念月でもあり、まあおめでたい事尽くしなわけです。

そんなライブの内容は、例によってザ・スターキーのブログで確認していただくとして、今回はスネアのお話。

昨日届いたばかりのニュースネアをこのライブで筆おろし。
まったくの新品状態で、試打すらしていないバージン状態。
リハの始まるほんの数分で、とりあえず勘で表と裏を軽く締めて即曲へ。
すると、割と想像通りのサウンド。もちろんそりゃそうで、よく似たスネアを3台使っていますからね。



光の加減で色合いが違っちゃってますが、まぎれもなく新品ちゃんです。

今一番使っているスネアは「レガシークラシック」というスネアで、構造とか材質がよく似ているので音も似て当然なんですが、それとはちょっと違う「甘い」感じの音があることが分かった。チューニング次第で、その「甘さ」を引き出してみたいものだと思いました。


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Ludwig JazzFest Vintage Black Oyster

2019年07月19日 | スネア
やっと、入手できました。
2019年版のジャズフェスティバル。ラディック社の110周年記念モデルということで、1960年版と同一スペックのリメイクバージョンです。
去年、米国の世界的な楽器フェスでのラディックコーナーで出品されているのを知って、「はは~ん、こりゃ商品化されるぞ」と、わが国でも購入できそうだなとアンテナを高くしていたところ、限定販売というのを知って即予約しました。
そして今日、やっと入荷したのあります。じゃ~ん!



今回のモデルは特別で、リンゴ・スターの愛用したスネアとほぼ同じ規格の商品だということが売りなんですね。
今まで限定スネアは「ジャズフェスティバル」のネーミングはあっても、10テンションだったり深さが5インチだったり、材質がメイプルだったり、なぜかところどころ当時のオリジナルスペックを外すという、ちょっと残念なシリーズでした。
とにかく、当時のヴィンテージ・スネアが欲しくても、程度のいいスネアは今では投資対象になっちゃって、クルマを買うぐらいの値段なので手が出ないし、あわよくば買えたとしても骨董品としてもったいなくてライブで叩けないぐらいの価値なんですね。
だから、当時と同一スペックの現行モデルを出して欲しいなって、ずっと願っていたわけです。

見た目は今までのスネアと変わりませんが、まずは深さが5.5インチ。なぜかこれが出ていなかった。



また、内面をホワイトコーティングするという手の込みようで、一気に当時のヴィンテージ感が出てきますね。



内面ミュートも当時の雰囲気を持ったまま復活しています。
個人的にはいらないかもしれないんだけど、このスイッチが可愛いんですよね。
早速お試ししたいと思います。楽しみ!
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ビートルズの前期・中期・後期について

2019年07月18日 | ビートルズネタ
ビートルズの前期・中期・後期とはどこからどこまでなの?といえば、正式に決まっているわけではありません。人によって感覚も意見も違い、人それぞれの考えでいいんじゃないかと思います。
時に「ビートルズに中期なんてない。前期と後期だけである」という意見もあったり、中には「○○~○○に決まっておる!」と言い切ってしまう人もいますが、それはどうかなと思いますね。



まず、前期がどのアルバムで終わるか、という点では『ヘルプ!』が分岐点となることが多いのではないかと思います。
そして、特に意見が大きく分かれるのは後期の分岐点ですね。ある人は『ホワイトアルバム』からと言えば、『サージェント』だ、いやいや『マジカル』からだと言う人もいて、それぞれ言い分があると思います。まあそう感じればそうってところなんでしょうけれどね。
自分的には、どのアルバムからというのではなく、年代別に考えたいと思います。
時系列にアルバム発表時期を並べてみます。

1962 ザ・ビートルズデビュー
1963  3月プリーズ・プリーズ・ミー
     11月ウィズ・ザ・ビートルズ
1964  7月ア・ハード・ディズ・ナイト
     12月フォー・セール
1965  8月ヘルプ!
     12月ラバー・ソウル
1966  8月リボルバー
     12月ベスト盤オールディーズ※未CD化
1967  6月サージェント
     11月マジカル
1968  11月ホワイトアルバム
1969  1月イエロー・サブマリン
      9月アビー・ロード
1970  5月レット・イット・ビー

個人的には、初期は62年のデビューから64年までで、65年の『ヘルプ!』は敢えて中期に持っていきたいと思います。
前作の『フォー・セール』までは今までの持ち歌、または演奏していたカバー曲が中心だったのが、『ヘルプ!』から書下ろし中心に変わっており、音楽的にもサウンドががらりと変わり、アルバム自体が映画音楽というコンセプトとなっているからです。
日本公演が66年でした。その後のフィリピン公演でひどい目にあい、それを最後にライブ活動をやめてしまいます。したがって中期は65年~66年とさせてもらいます。

後期としては、67年の活動から解散までとします。
音楽的に言えば、スタジオに閉じこもって『サージェント』『マジカル』『サブマリン』を同時進行で制作していき、そのままの流れで69年、『ホワイトアルバム』の発表へと続いていくわけですからね。
アルバムは団子状態で発表しましたが、作成月日はアルバムの順番どおりではなかったんですね。

ただし、後期が解散への道という見方をすれば、『ホワイト・・』からとも言えますね。
要するに、どこに視点を当てて分割するか、という事で変わってくると言えるんじゃないでしょうか。



モチロン異論はあるでしょうね。
まあ、いつまで経ってもビートルズ談義は尽きないって事で。
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電車止まったり中日勝ったり

2019年07月17日 | 駄日記
7月18日(水)
昨日の仕事の帰りは、いきなり東海道線が止まってわけもわからぬまま30分ほど遅れて、途中で運転打ち切りとなった。
車掌がろくに事情も説明せず、「遅れたのでここからは後続の普通電車にお乗り換えください」とアナウンス。
途中駅でいきなり放り出されてホームに立ち尽くす数百人。
しばらくして後続の電車は来るにはきたが、普通車両は両数が少ないので、ホーム後方で待っていた乗客は通り過ぎる電車を追いかけて一斉に駆け出すというパニック。
すげえサービスだな。閉じ込めて運動不足になった客を走らせて解消か。
家に帰るだけで2時間以上かかってしまった。
JRなにやっとるんだ。。。

今朝は大雨が降った影響で、朝から電車が止まっていた。
TVの情報で動き出したと出たのでいつもの時間に出かけるけれども、早朝からホームは大混雑。
おかげで始発から遅れて、各駅では満員の電車に乗りきれなくてさらに遅れ、会社に着くのに2時間半もかかってしまった。
すげえ~ストレス。
残り少ない人生の時間を、電車の中でムダに過ごしておるようだ。。。

今日の帰りはたいして遅れもせずに帰宅。
豊橋球場は2年ぶりの公式戦(去年は雨だった)中日×阪神が始まっていて、球場は満員チケット売切れだったそう。



TVで見ていたけどいい試合だった。
藤井君は三振して残念だったけど、堂上、平田、阿部ちゃんの大活躍で快勝。
TV中継が終わった直後で見られなくてさ。
でも豊橋で勝つってのはいいよねやっぱし。

別に中日ファンじゃないけど(笑)
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ザ・ビートルズのレコードからドラムの進歩とリンゴさんの変化を考える(その7)

2019年07月16日 | ビートルズネタ
デビューの1962年から年ごとにビートルズの歴史とリンゴさんのドラミングを追っかけるシリーズ、その7であります。
今回はデビューから6年目の1968年にスポットを当てます。

デビューから一気に世界のトップスターに駆け上がったザ・ビートルズの4人組。
ライブ活動をやめ、新曲作りとレコーディングに集中しようとしたものの、映画制作やマスコミ対応に追われて、いくら元気のいい若者とはいえ、いささか疲れがきたか。
しかも前年の8月には、彼らを支えてくれたマネージャーのブライアン・エプスタインが若くして死去し、気持ちの支えを失ってしまった4人の間に不穏な空気が漂う年でした。



ジョージのインド音楽への傾倒ぶりにますます拍車がかかり、メンバー全員インドへ瞑想旅行に行くのはこの年の2月の事。



インドで刺激を受けた4人は、その後の行動が過激になっていったようです。楽曲作りにも変なアイデアを思いついて実践しています。ジョンが寝転がって歌ってみたりと、過激というより奇行といった行動も目立ってきます。
5月にはビートルズとして、「若きアーティストたちを育てる」という崇高なコンセプトでアップルレコードを立ち上げますが、ブライアン亡き後、取り仕切る者がいないために経理はメチャクチャになり、金目当てのハイエナにたかられて早々に潰れてしまうことになります。

この年、オリジナルアルバムとして2枚組『The Beatles(ホワイトアルバム)』を制作・発表することになります。


(白いのでよくわかりませんが、レコードジャケットです)
しかし、前述のように精神的にはインドで刺激を受けたりもして自由な発想が飛び交っていたのですが、メンバーの行動がバラバラになっており、レコーディング作業は思うように進みません。
曲の完成は時間がかかり、何度も録音しては破棄され、メンバーもイメージ通りに進まないとイライラしたんだろうと思われます。
また、ジョンはスタジオにその当時不倫相手だったヨーコを参加させて、ボーカルを取らせたり、ヨーコがレコーディングに口出しするようになる。これはダメよダメダメ(古!)。最悪ですよね。「メンバー不仲説はヨーコが原因だった」と言われても仕方がない気がします。
だけど、新しく彼女ができたら連れて行きたいって気持ちは男として分からないでもない。まあ実際に連れて行っちゃうジョンってスゲーなともちょっと思う。。。
でもやっぱり当時のスタジオはそうとう険悪な雰囲気になったようです。メンバー間のストレスはマックスだったんでしょう。
エンジニアのジェフ・エメリックに続いて、人間的に一番丸いと言われたリンゴさんが脱走事件を起こします。「ビートルズを辞める!」と言ってレコーディングを放棄するのです。
結局2週間足らずで戻ってくるのですが、結果として「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」と「ディア・プルーデンス」はポールが難なくドラムを叩き完成させてしまう。
これでポールのドラミング能力の高さも証明してしまうことになるのですが、肝心のリンゴさんはやるせなかったんだろうなと思います。
だって、アルバムA面最初の曲ですもんね。「やり直させてくれ」「オレに叩かせてくれ!」と言ったのかどうか。多分言わないかな(笑)
これまで、メンバーの要求に対して的確に応えてレコーディングしてきたリンゴさん。どんな心境の変化があったんだろう。相当しんどかったんでしょうね、すごく知りたい。。。
ただ、レコーディング技術はさらに進歩し、8トラックレコーダーが登場。ますます作業がしやすくなります。
ドラムセットも、今までの3点セットから4点セットに変更しました。やっぱりどういった心境の変化なんでしょうね。これも気になる。



さてさて、肝心のリンゴさんのドラミングですが、アルバム通して前に出ていない印象です。それは、脱走という自業自得でポールに演奏を取られたり、ドラムレスの曲もけっこうあったりするせいなんですけれど。
実は、アルバムは2枚組なんですが、ジョージ・マーティンには曲を削って1枚にするように言われていたそうです。これはクオリティを上げるという意味合いだったようですが、確かにごった煮感はありますよね。
「レボリューション9」は聞かずに飛ばすって人も多いし、そもそも楽曲ですらないわけで、削ることはできたと思います。
ですが、今となってはこれがビートルズ。時代背景が音に出ていますもんね。今となっては絶対に削れない作品ですが、これを女子に聞かせたところ、ほぼ「何?怖い。。。」という反応が返ってきたような。
これはある意味「前衛音楽」として成功であり、ヨーコの思う壺だったんだと思います。いえ、ヨーコを否定するのではなく、この曲によってビートルズとしてのヨーコの立ち位置が確立したんだという意味ですけどね。

話がずれました。ロックっぽい曲の数々、「ヤー・ブルース」、「へルター・スケルター」の鬼気迫るプレイはリンゴさんならでは。ファンから言えば凄いの一言。上手いことを言うとしたら「イカレるメンバー達に怒(いか)れるドラマー」なんです。へへへ。。。
「ハッピネス・イズ・ア・ウォーム・ガン」のドラムは、「おっ、セット違くね?」って思える音色。
タムの音が、なんかしょぼくていい。これもヘッドにミュートの布をかぶせてレコーディングしているからですね。せっかくドラムセットを変えても、全篇ミュートしているから音がヘッド自体ののアタック音だけで、奥深い響きが全然なくてしょぼい。。。
その中で、オレが絶賛したいのは「サボイ・トラッフル」のドラムサウンド。軽いエフェクトでディレイがかかってデッドなタムやスネアに奥深さがプラスされて、当時は最先端なサウンドとなったはずです。これはもう一度、ドラムに注目して聴いてみてほしいと思います。この辺のリンゴさんの斬新さは評価しないわけにはいかないですね。
ついでにもう一つ。
2枚組の1枚ごとに、リンゴさんのボーカル曲が収録されています。リンゴ初自身のオリジナル曲「ドント・パス・ミー・バイ」、アルバム最後を飾る「グッド・ナイト」。どちらもすこぶるいい出来ですよね。
ポールの独擅場みたいに言われるアルバムですが、リンゴさんはやっぱりここでもすごい存在感を示しているんです。
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寒いんだか蒸し暑いんだか

2019年07月15日 | 駄日記
7月15日(月)海の日
全然暑くない海の日でしたね。雨が降ったり止んだり、梅雨真っただ中。
海の家やプールが閑古鳥だと嘆いておった。
暑い夏が来るのは来週以降、或いは8月からみたいだね。

土曜日のライブの後、のんびりしていましたが、飲みっぱなしでした(笑)
日曜日は、ドラム教室の振り替えレッスンをしました。土曜日にライブが入ると、調整がなかなかタイヘンなんだ。帰ってきて料理しながら酒飲んじゃってちょっと飲み過ぎ。
今日は、朝から娘と映画デート。へへへ。。。(嬉)
スパイダーマンが見たいというので、一緒に行ってみる。娘は満足していたようでよかった。
マーベル映画なので、所詮マンガなんだけど、その分映像と音が凄くて疲れる。。。
出掛ける前に、雨が上がるかなと思って洗濯物を外干ししたんだけど、しとしと降ってて生乾きだったなあ。
映画から帰ってきて、料理しながら飲酒。毎日飲み過ぎです。。。

明日からまた仕事だ。
フツーに頑張るぞと。
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West Houseの画像です

2019年07月14日 | ザ・スターキー
7月14日のウエストハウスさんでのザ・スターキーライブの写真をまとめたらアップしましょうと書いたけれど、なかなか進まなくて2日経ってしまった。
今さらな感じがしないでもないけれど、ちょっとだけアップします。




ドラム席からの写真です。照明がまぶしくてよく見えませんが。




ドラムセットはお店のセットをお借りして、スネアとシンバルだけ取り換えました。
日頃、対バンでやることがあまりないので、いつものラディックのセットじゃないと違和感が多少ありますね。でも楽しく演奏できました。感謝。

ライブレポはいつものようにザ・スターキーのブログにて確認してみてね!

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West Houseありがとう!

2019年07月13日 | ザ・スターキー
7月13日(土)
長いことたいへん世話になったウエストハウス(旧コニーキャッツ)さんが閉店することになり、これでラストライブというイベントにザ・スターキーで参加しました。
「The Beatlesまつり ときどきOldies」ということで、今月末で閉店する前に面白いことをやりたいと、コニーキャッツ時代にブッキングマネジャーとして何かとお世話になったジークさんが企画してくださいました。
出演は3バンド。
①「T.T.R.D」
②「The Wonkees」
③「The Starkey」
と、それぞれの演奏を約1時間演奏して、さんざん盛り上がった後で「スペシャルバンド」ということで、各バンドメンバー入り乱れて、スペシャルタイムということで4曲ほど演奏しました。
たのしかった~。ありがとう!
いろいろと感謝だらけです。

画像がちょっと整理できていないので、またのちほど仕上げたいと思います。
少々お待ちください。
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ザ・ビートルズのレコードからドラムの進歩とリンゴさんの変化を考える(その6)

2019年07月12日 | ビートルズネタ
その6です。
デビューの1962年から年ごとにビートルズの歴史とリンゴさんのドラミングを追っかけておりますが、今回は1967年にスポットを当てていこうと思います。
が、その前に66年にアルバム『Revolver』を発表したザ・ビートルズについて。
年に2枚のアルバムとシングル数枚を発表する契約だったのだが、この年にはついに追いつかなくなってしまいました。
それは、若き天才4人のアイデアが枯れてきたという事などでは決してなく、技術の進歩とともに実験的作業が増えていき、1曲を作り上げるのにかつてのように数時間で済む話ではなくなってしまったからである。
そのため66年の年末には、ベストアルバム『A Collection of Beatles Oldies(邦盤:オールディーズ)』を発表する。このアルバムはCD化されていないようですね。



そして、いよいよ年も明けて67年。
ライブ活動をやめてレコーディングに集中するという、いわゆるビートルズ後期の活動が始まった年と言えるでしょう。(この後期の時期についてはいろいろな議論があるのでまた別途述べたいと思います)

この年は、アルバムのコンセプトをいくつか持ったまま同時進行していくという離れ業を行っていきます。
66年から引き続いての『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を制作しながら、4月に『Magical Mystery Tour』を開始した。するとすぐ5月には『Yellow Submarine』も制作開始するというとんでもない忙しさ。毎日スタジオでのレコーディングが繰り返されます。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は架空のバンドのライブというコンセプトアルバムで、『マジカル・ミステリー・ツアー』はビートルズがバス旅行するという映画でのアルバム。
『イエロー・サブマリン』はアニメ映画の挿入曲というような塩梅でした。
次々とやってくる注文にアイデアは枯渇しないのかと思ってしまいますが、そこはやっぱり音楽の神様の申し子4人組です。結局は契約をきちんとこなして、6月に『サージェント・・』、11月には『マジカル・・』を発表します。
そしてそのクオリティは皆さんご存知の通りなんですから、やはり凄いとしか言えませんね。

さあ、ここでのリンゴさんのプレイはどうだろう。
遡って、66年の『Revolver』のレコーディング中に、シングル盤として「Rain(レイン)」を録音します。これは「ペイパーバック・ライター」のカップリング曲としてなのですが、このドラミングがご本人も自画自賛するいい出来となりました。
確かに小節またぎの難解なフィルインなど、今までと違うアグレッシブなプレイはファンとしても聞き応えバッチリで心地いい。しかも、この曲はドラムトラックを遅回ししてジョンの歌入れをしたというのだから驚きです。ということは逆にレコーディング時はもっと素早くキレのいいプレイをしていたはずで、いかに当時のリンゴさんがノリノリだったかがわかります。

そんな絶好調のリンゴさんが臨んだ『サージェント・・』でのアルバムでのドラミングです。



アルバムタイトルナンバーの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」での、ゆったりと重たいサウンドは、落ち着いた大人のロックな気分。余分なことは一切やらず、もはや貫禄すら感じさせるという27歳のリンゴさん。
そしてそのまま続くリンゴさんの歌う名曲、「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」では、とことん心地よいごく軽いシャッフル曲。普通に8ビートを刻んでいながら軽く跳ねるのは、リンゴさんの得意技。この曲、歌い出しのハットの刻みでのっけから跳ねを感じさせ、BDのドンパンドッドパンで軽~くシャッフルに持って行ってます。オレ好きだな~。
続く「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」では、ジョンの難解な曲によくも堪えたもんだと、変な老婆心すら起きるほど。イントロからトップシンバルのみで耐え忍び、サビで一気にリズムを引っ張る。男だなあ。
4曲目の「ゲッティング・ベター」のリズムの要はなんと言ってもハットですよね。オープンのタイミングが、これしかないってところにしちゃうリンゴさん。でも、最初はポールはドラムが気に入らなかったようですね。結局は録り直ししなくて済んだようですが、リンゴさんも胃が痛くなったんじゃないんでしょうか。
アルバム最後の「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」に至っては、壮大な実験曲であり、オーケストラ以外にもビートルズの友人たちを巻き込んでの録音となったようです。
「アンソロジー2」でも完成前のテイクを聴けますが、面白がって作り上げている感じがすごい。リンゴさんも嬉々として、或いは戦々恐々としてドラムセットに向かったんだろうなと想像します。
『サージェント』でのドラムプレイは、基本として重たい8ビートであり、曲の構成によって足すのではなく引く・抜くという後期のスタイルが確立されていく時代だった気がします。

これは同時進行の『マジカル・・』にも言えて、レコーディング技術の進歩で、楽器以外にも「音」でありさえすればなんでも曲に取り込むことが可能になった分、ドラムセットの使い方を試行錯誤していった時代なのだろうと思います。



このアルバムは、67年の4月から制作開始して約半年後の11月に完成しています。繰り返しますが同時進行だからね、ゴイス。
タイトル曲の「マジカル・ミステリー・ツアー」も、例によってバスの音を挿入したり、ブラスセクションを入れたりと遊び心いっぱいのポップな曲ですが、ドラミングはスピード感あふれてキレのいい8ビートです。途中曲調も6/8に変わったり相当難しかったと思いますが、素晴らしい出来栄えとなっています。
個人的に3曲目のインスト曲「フライング」も大好きです。リンゴの軽~い8ビートが優しくて、これまた軽くて優しいポールのベースにマッチしています。まさにフライング。飛びます飛びます。
ポールの軽快なポップス曲も魅力的なアルバムで、「ハロー・グッドバイ」でのタムやスネア中心のフィルインも、コピーして楽しいですし、「ペニー・レイン」はポップな曲調にクラシック系の楽器を組み合わせてアイデアいっぱいに仕上がっています。リンゴさんは淡々と脇役に徹していますね。
最後の「愛こそはすべて」はもうお祭り騒ぎ。世界へのTV中継とレコーディングをコラボするなんて、当時も今も誰もやりません。
いずれにせよ、遊び心いっぱい。面白半分というか面白全部。リンゴさんも充実していたのでしょうね。
リズムというものに関し、ドラムセットという枠に全くはまらない自由な発想のリンゴさん。50数年経った今聴いても新しいと感じます。
我々も、ドラマーとして「ドラムセット」という枠に自ら押しはめてしまいがちな、ステレオタイプな考えをビートルズのサウンドを通じて払拭できるんじゃないかと感じました。
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