鈴鹿山系の霊仙山麓に霊仙三村といわれた「落合・今畑・入谷」の集落があり、そのうちの落合と今畑の2つの集落はすでに廃村になっていて、入谷は冬季無人になる集落だといいます。
かつては畑作や林業、炭焼き等で生計を立てていたと考えられますが、炭や林業が産業として成り立ちにくくなったことや豪雪地帯ゆえの不便さなどにより過疎化していったのかと思います。
多賀町の最奥にあたるのが落合集落で、集落の神社には「落合神社のケヤキ」という巨樹があり、雪で通行止めになる前に落合集落へと向かいました。
県道・多賀醒井線を走行している時には路肩に雪だまりを見るだけでしたが、「河内の風穴」のあたりから積雪量が多くなり、入谷集落・今畑集落あたりから積雪量が多くなってくる。
平地に全く積雪のない状態でも山麓には雪があるのには当然のことながら驚くとともに、我ながら無謀さに呆れてしまいます。
道路の雪は開けられているとはいえ、芹川には雪が残ります。もう芹川の源流近くまで来ているのでしょう。
山側に墓地が見えたので落合集落近くまで来ているのは把握できたものの、もうUターンできる場所はなく、戻るつもりもない。
集落の建屋が見えてきたのはいいが、この道を進めというのか。ギリギリ通れる道幅でカーブの先も見えない。
道路脇は雪だまりがあって駐車する場所がありませんので、止む無く道に車を停めたまま「落合神社」へ参拝します。
尚、落合集落から先に細い道(おそらく男鬼集落とか武奈集落の方向)はありましたが、通行止めで除雪は全くされておらずここが終点となります。
雪は固まってはいたものの、歩いていると雪にズボッと足がはまってしまい、雪に慣れていないので歩きにくい。
祠へ近づいていくと、祠の左奥に「落合神社のケヤキ」が黒く大きな影のように見えてくる。
「落合神社のケヤキ」は幹周7.4mで樹高は30m。推定樹齢は300年以上とされており、主幹は苔に覆われている。
根元は雪のため確認できませんが、太い主幹は過酷な環境を行く抜いてきたたくましさがあります。
このケヤキは見ようによっては巨大な巨人が両手を上げてこちらを睨んでいるようにも見えます。
場所の凄さもあるとはいえ、この迫力にはあらがうことは出来そうにはありません。
境内には魅力的なスギの巨樹があります。
このスギは分岐した支幹がさらに分岐して独特の形となっており、落合神社のもう一つの見所かもしれません。
手水舎の奥にもまだ太さはありませんが、樹が育っています。
集落の方も歩いてみたかったのですが、雪が多く踏み跡もないので入れず集落の全貌は分からずじまい。
小川を挟んだ向こう側に祠がありました。
地蔵堂かと思いますが、とてもじゃないけど渡る勇気のおこらない橋しかありませんでしたので、これは諦めます。
祠の前には注意書きと箱が見えますが、これは登山届を入れる箱で、ここは「霊仙山落合登山口」のようです。
ところで、河内の風穴から落合集落との間の道に他府県ナンバーを含む数台の車が駐車しているので不思議に思い見てみると、そこには「霊仙山今畑登山口」がありました。
“熊出没注意”とある看板の横から続くこの登山道を登って行かれる方は凄いなぁと改めて感心します。
落合集落から河内地区へ戻り、芹川に沿って下流に向かうと、道幅は広くなり積雪量も減ってきて、人の姿もある普通の集落になります。
下村集落に入って目に飛び込んできたのは「山之大神」の石碑です。
かつては山之神の祠があったようですが、今は石碑のみ。
後方の山の斜面には神木らしき樹がありますが、神木とされているかも不明の若い樹です。
さらに道を戻ると、「鯖大師」の石碑と弘法大師の名前が書かれた祠が祀られている場所がありました。
関係あるかは不明ですが、四国の遍路には鯖大師と空海に関係する伝説があるといい、塩鯖を運ぶ馬方に空海がおこした奇跡譚だそうです。
さて、鯖大師の祠を過ぎると今度は小さな名もなき滝に出会います。
霊仙山は標高1094mのピークを持つ山ですが、広がる山中には廃村になった集落を含めて、幾つもの集落があり、かつては学校や役場などもある生活圏が築かれていたようです。
舗装された細い道路は通じているとはいえ、麓辺りでも携帯電話は圏外になってしまう今の人間からすると不安を感じてしまう所です。
しかし、かつては笑い声が絶えないようなつつましくも穏やかな集落だったのではないかと想像します。
かつては畑作や林業、炭焼き等で生計を立てていたと考えられますが、炭や林業が産業として成り立ちにくくなったことや豪雪地帯ゆえの不便さなどにより過疎化していったのかと思います。
多賀町の最奥にあたるのが落合集落で、集落の神社には「落合神社のケヤキ」という巨樹があり、雪で通行止めになる前に落合集落へと向かいました。
県道・多賀醒井線を走行している時には路肩に雪だまりを見るだけでしたが、「河内の風穴」のあたりから積雪量が多くなり、入谷集落・今畑集落あたりから積雪量が多くなってくる。
平地に全く積雪のない状態でも山麓には雪があるのには当然のことながら驚くとともに、我ながら無謀さに呆れてしまいます。
道路の雪は開けられているとはいえ、芹川には雪が残ります。もう芹川の源流近くまで来ているのでしょう。
山側に墓地が見えたので落合集落近くまで来ているのは把握できたものの、もうUターンできる場所はなく、戻るつもりもない。
集落の建屋が見えてきたのはいいが、この道を進めというのか。ギリギリ通れる道幅でカーブの先も見えない。
道路脇は雪だまりがあって駐車する場所がありませんので、止む無く道に車を停めたまま「落合神社」へ参拝します。
尚、落合集落から先に細い道(おそらく男鬼集落とか武奈集落の方向)はありましたが、通行止めで除雪は全くされておらずここが終点となります。
雪は固まってはいたものの、歩いていると雪にズボッと足がはまってしまい、雪に慣れていないので歩きにくい。
祠へ近づいていくと、祠の左奥に「落合神社のケヤキ」が黒く大きな影のように見えてくる。
「落合神社のケヤキ」は幹周7.4mで樹高は30m。推定樹齢は300年以上とされており、主幹は苔に覆われている。
根元は雪のため確認できませんが、太い主幹は過酷な環境を行く抜いてきたたくましさがあります。
このケヤキは見ようによっては巨大な巨人が両手を上げてこちらを睨んでいるようにも見えます。
場所の凄さもあるとはいえ、この迫力にはあらがうことは出来そうにはありません。
境内には魅力的なスギの巨樹があります。
このスギは分岐した支幹がさらに分岐して独特の形となっており、落合神社のもう一つの見所かもしれません。
手水舎の奥にもまだ太さはありませんが、樹が育っています。
集落の方も歩いてみたかったのですが、雪が多く踏み跡もないので入れず集落の全貌は分からずじまい。
小川を挟んだ向こう側に祠がありました。
地蔵堂かと思いますが、とてもじゃないけど渡る勇気のおこらない橋しかありませんでしたので、これは諦めます。
祠の前には注意書きと箱が見えますが、これは登山届を入れる箱で、ここは「霊仙山落合登山口」のようです。
ところで、河内の風穴から落合集落との間の道に他府県ナンバーを含む数台の車が駐車しているので不思議に思い見てみると、そこには「霊仙山今畑登山口」がありました。
“熊出没注意”とある看板の横から続くこの登山道を登って行かれる方は凄いなぁと改めて感心します。
落合集落から河内地区へ戻り、芹川に沿って下流に向かうと、道幅は広くなり積雪量も減ってきて、人の姿もある普通の集落になります。
下村集落に入って目に飛び込んできたのは「山之大神」の石碑です。
かつては山之神の祠があったようですが、今は石碑のみ。
後方の山の斜面には神木らしき樹がありますが、神木とされているかも不明の若い樹です。
さらに道を戻ると、「鯖大師」の石碑と弘法大師の名前が書かれた祠が祀られている場所がありました。
関係あるかは不明ですが、四国の遍路には鯖大師と空海に関係する伝説があるといい、塩鯖を運ぶ馬方に空海がおこした奇跡譚だそうです。
さて、鯖大師の祠を過ぎると今度は小さな名もなき滝に出会います。
霊仙山は標高1094mのピークを持つ山ですが、広がる山中には廃村になった集落を含めて、幾つもの集落があり、かつては学校や役場などもある生活圏が築かれていたようです。
舗装された細い道路は通じているとはいえ、麓辺りでも携帯電話は圏外になってしまう今の人間からすると不安を感じてしまう所です。
しかし、かつては笑い声が絶えないようなつつましくも穏やかな集落だったのではないかと想像します。
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