以前は出先で時間が出来るとその土地の探鳥地を訪れたりしたのですが、最近ではその土地の神社仏閣を探したりしてしまいます。
“巡礼は現代人の娯楽”と言われることがありますが、当方も信仰心で行っているとは言えないので似たりよったりなんでしょうね。
さてこの地は大阪城の鬼門の方角にあたることから、この神社は鬼門鎮護の社とされているそうです。
従って御朱印も鬼門幇助の変わった御朱印になっています。
御祭神は建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)と菅原道真公:知恵、学問の神 。
縁起は2000年前に遡る日本書紀の時代ということですので西暦ではよく分からない時代ですね。
狭くて曲がり角の多い道路を通って探していって何とか見つけました。
古い町は、都会でも田舎の農村みたいに道路が入り組んでいるところが多いですね。
片埜神社は平安時代には社運隆盛を極めていたそうですが、その後は戦国の争乱があって荒廃していたそうです。
大阪城を築城した秀吉が修築し、豊臣秀頼が片桐且元に命じて造営したそうです。御朱印蒐集で訪れた寺社で片桐且元の名を聞くことがあります。
且元には、賎ヶ岳の七本槍の武将としての顔と寺社奉行としての顔があるようですが、且元は長浜市の須賀谷出身だそうですよ。
鬼門封じの神社らしく鬼面が祀られていましたが、神社自体はどちらかというと地域の鎮守の神社のような雰囲気がありました。
近所の方が日常的にお参りされているような場所なのかもしれませんね。
境内を歩いている間、ずっとニワトリの鳴き声がしていたのですが、どこで鳴いているのかは分からずじまいでした。
常世の長鳴鳥なんて言葉もありますから探してみたのですけどね。
“巡礼は現代人の娯楽”と言われることがありますが、当方も信仰心で行っているとは言えないので似たりよったりなんでしょうね。
さてこの地は大阪城の鬼門の方角にあたることから、この神社は鬼門鎮護の社とされているそうです。
従って御朱印も鬼門幇助の変わった御朱印になっています。
御祭神は建速須佐之男大神(たけはやすさのおのおおかみ)と菅原道真公:知恵、学問の神 。
縁起は2000年前に遡る日本書紀の時代ということですので西暦ではよく分からない時代ですね。
狭くて曲がり角の多い道路を通って探していって何とか見つけました。
古い町は、都会でも田舎の農村みたいに道路が入り組んでいるところが多いですね。
片埜神社は平安時代には社運隆盛を極めていたそうですが、その後は戦国の争乱があって荒廃していたそうです。
大阪城を築城した秀吉が修築し、豊臣秀頼が片桐且元に命じて造営したそうです。御朱印蒐集で訪れた寺社で片桐且元の名を聞くことがあります。
且元には、賎ヶ岳の七本槍の武将としての顔と寺社奉行としての顔があるようですが、且元は長浜市の須賀谷出身だそうですよ。
鬼門封じの神社らしく鬼面が祀られていましたが、神社自体はどちらかというと地域の鎮守の神社のような雰囲気がありました。
近所の方が日常的にお参りされているような場所なのかもしれませんね。
境内を歩いている間、ずっとニワトリの鳴き声がしていたのですが、どこで鳴いているのかは分からずじまいでした。
常世の長鳴鳥なんて言葉もありますから探してみたのですけどね。