連日、韓国の客船沈没事故の報道が流れる中、その報せは突然届いた。
健民少年団の先輩「ばくさん」が出張先の鹿児島で倒れて亡くなったと。
電話に対して「はああ?」と思わず言った。わが耳を疑った。
58歳だった。
心筋梗塞だったとあとで知った。
10代から20代にかけて大変お世話になった方だ。
当時はいっぱい怒られた。まじめに怒られた。自分の人間形成に多大な影響を与えた方だ。
紅茶が好きで、議論が好きで、歌が上手く、団員には時折ビンタを張り、
笑い方が独特で、その笑いが出るとつられて他の者も笑った。
ヒゲが濃かった。
議論のときはいつも接続詞「が、しかし」で話を切り出した。
昔、ハイライトを吸っていた。
スリムのジーンズにサンダルを履いていた。
健少の活動後、小学校の体育館でハレーボールが当たって外れた天井の照明カバーを直すため
ロープを腰に巻いてRの鉄骨梁づたいに天井を移動し、直してみせた。
SIBIEのでかいフォグランプと、パホ~~ンとエコーのかかるホーンのついた
マニュアルミッションの黒いタウンエースワゴンに乗っていた。
大学のゼミ合宿の時、自分の初代プレリュードととりかえっこして借りて、
初日いきなり中央高速でネズミ撮りにつかまった。
総合体育館周辺で健少の全国大会があったときには、テントサイトの配置図を作るため
野球場で測量を手伝った。
いっしょに軽井沢や白樺湖にキャンプに行った。
中央高速の渋滞中、後ろの仲間の車に何やら歩いて届けに行き、車列が動き出して置いてけぼりをくい
高速道路を走って追いかけてきた爆笑のワンシーン。。
思い出がどんどんよみがえってくる。
とても悲しい。とても残念。いまも信じられない。無常のひとことで片付けられない。
お棺の中に横たわるその顔はふっくらとして血色がよく、ほんとに眠っているようだった。
「ばくさん、ありがとうございました。」
「ばくさん、ほんとうにいろいろありがとうございました。」
健民少年団の先輩「ばくさん」が出張先の鹿児島で倒れて亡くなったと。
電話に対して「はああ?」と思わず言った。わが耳を疑った。
58歳だった。
心筋梗塞だったとあとで知った。
10代から20代にかけて大変お世話になった方だ。
当時はいっぱい怒られた。まじめに怒られた。自分の人間形成に多大な影響を与えた方だ。
紅茶が好きで、議論が好きで、歌が上手く、団員には時折ビンタを張り、
笑い方が独特で、その笑いが出るとつられて他の者も笑った。
ヒゲが濃かった。
議論のときはいつも接続詞「が、しかし」で話を切り出した。
昔、ハイライトを吸っていた。
スリムのジーンズにサンダルを履いていた。
健少の活動後、小学校の体育館でハレーボールが当たって外れた天井の照明カバーを直すため
ロープを腰に巻いてRの鉄骨梁づたいに天井を移動し、直してみせた。
SIBIEのでかいフォグランプと、パホ~~ンとエコーのかかるホーンのついた
マニュアルミッションの黒いタウンエースワゴンに乗っていた。
大学のゼミ合宿の時、自分の初代プレリュードととりかえっこして借りて、
初日いきなり中央高速でネズミ撮りにつかまった。
総合体育館周辺で健少の全国大会があったときには、テントサイトの配置図を作るため
野球場で測量を手伝った。
いっしょに軽井沢や白樺湖にキャンプに行った。
中央高速の渋滞中、後ろの仲間の車に何やら歩いて届けに行き、車列が動き出して置いてけぼりをくい
高速道路を走って追いかけてきた爆笑のワンシーン。。
思い出がどんどんよみがえってくる。
とても悲しい。とても残念。いまも信じられない。無常のひとことで片付けられない。
お棺の中に横たわるその顔はふっくらとして血色がよく、ほんとに眠っているようだった。
「ばくさん、ありがとうございました。」
「ばくさん、ほんとうにいろいろありがとうございました。」
ご冥福御祈りします。
もうこの世にいないなんて、いまだに考えられないな。