何年ぶりだろうか、久々に「通信教育」というものに手を出した。この夏ソウルにプチ旅行して以来、ついつい気分の盛り上がりで「韓国語」の本などを読んでいるうちにホントに語学として勉強する気になり、会社に登録されている唯一の「やさしいハングル」に申し込んだのである。
もちろん、もう一人の私は「止めたほうがええんちゃうかー?」(なぜか関西弁)としきりに囁いていたが・・・
我が社では資格取得や自己研鑽のため比較的広範囲で「通信教育」」を奨励しており、直接業務に関係ない分野でも結構支援してくれる。
「ウルトラ検定」のような娯楽系でさえなければ大抵登録認定されている通信教育のジャンルは半額まで会社が支給してくれることがある。(漢検や英検などはさすがに無かったかも・・・)
ただ所定の結構面倒な手続きが必要で、なおかつ承認されてから始まるまでが「申し込んだことを忘れてしまう」ほど長い。。。8月末に申し込んで教材が届いたのが9月末、コースが始まるのが10月だ。
通信簿に「飽きっぽい性格」と何度も書かれた私が帰国後の興奮など今今までも持続しているはずがない。。。
調べてみると1ヶ月に1回、全課題を提出して合格点を取ると、会社が半分負担してくれるコースだった。テーブルの上でいつまでも梱包を解いていない教材を見ながら「明日こそは」と自分に誓いながらいつの間にか10月最後の土日になってしまった。
別に期限は厳密にはないのだが、教育案内に「提出の目安を外して溜めてしまった多くの人が挫折していきました」というゾッとするような文句が・・・もう後が無くなって、ようやくテキストを開くに至った。
通信教育というものを初めて経験してから約30年「目的を全うしたことは一度もない」と言って過言ではない。我ながら「ここまで相性の悪いものか」と思う。塾や予備校、講習といったものに行ったことがない私は受検勉強は一通りやったが、すべて我流でおよそポイントとか要領とは縁遠い「雑食風」勉強法だった。問題集や参考書なども見た目の「それらしさ」で手当たり次第に買って机に並べていたり。。。(さすがに受験生、一度は流してやってはいる。しかし同じ問題を繰り返してマスターしたほうが効率がよい、というのはずーっと後になって知った。
さらに何故か流行っていたのが「Z会」である。基本から応用、難関、超難関大学入試向けなどあらゆるコースが学年と科目ごとに用意されており、添削が親切で専門的かつ的確だというのが評判だった。私は「難は易を兼ねる」という独自理論で超難しいコースを国数英で選択してしまった。
結果はご想像の通りである。2週間に1回、提出するペースだったと思うのだが、4問くらいしかないのに恐ろしく難しい(というより、どこが難しいのかがわからないくらい難しい)。
それでも国語は何かしら答えを書くことができるし、英語は辞書引きまくりで時間さえかければ何とかなることもあった。しかし数学だけはそうはいかない。宇宙語のような文字の連続で問題分が何を言っているのかすらよくわからない。。。かくして人生初の通信教育は無残にも提出率20%以下でしかも帰ってくる答案など見ることもなく頓挫するに至ったのである。
その後、学生時代には通信教育など綺麗さっぱり忘れており、社会人になってから再び周期的に「学習欲」がもち上がりその度に何か「通信教育」に手を出すのだが、「TOEIC」「電気関係」「電化製品」・・・どれも最後まで行ったことがない。。。
通信教育では定期的に教材がやってくるために、夏休みの宿題と同じ・・・「持ってきたら一気にやっつけてゆっくり余裕をかます。」というスタイルが取れないのである。コツコツと持続的に何かに取り組む、というのが最も不得意なのがわかっているのに、何度も同じことを繰り返している。しかし今度の「ハングル」の勉強はこれまで(の語学では)見たことも無い不思議な経験で、すこーしは続きそうな気がする。
数ヵ月後には社内資格をいくつか受検するので、あんまり悠長なことを言ってられないなー。毎週自宅に帰るときに「休みの間に集中的に」と重い教材を持ち歩くのだが、やったことがない(まるで筋力トレーニングだ)
さて今回の「ハングル」、朝鮮王朝時代は漢字が正式文字だったようで今でも街中に漢字があるから少しは意味がわかる。しかし○や□が意味不明に並ぶハングルは全くお手上げだと思っていたら、数百年前に王朝の王がシステマティックに構築した言語ということだ。だからすごく法則性が高い。つまり勇気を出して壁に挑めば意外とフレンドリーなのではあるまいか・・・
さらに語順は日本語とほぼ同じ、「てにをは」もほぼ同じような使い方をする。目上の人には尊敬後、目下の人にはぞんざい語。今まで知らなかったのが不思議なくらい身近な「お隣の国言葉」のようなのだ。
韓流ドラマに嵌ったマダム連中には本気で韓国語を勉強している人もいるらしい。。。今は母音、子音、「あいうえお」的な「字」の繰り返し練習だ。(まるで大昔やった「書き方」そのものである)
しかし再びかの国へ訪れたときに、あの謎の文字を少しでも読めるようになったら実に愉快だと思えるのである。そう思えるうちに一気に課題をやっつけよう・・・
もちろん、もう一人の私は「止めたほうがええんちゃうかー?」(なぜか関西弁)としきりに囁いていたが・・・
我が社では資格取得や自己研鑽のため比較的広範囲で「通信教育」」を奨励しており、直接業務に関係ない分野でも結構支援してくれる。
「ウルトラ検定」のような娯楽系でさえなければ大抵登録認定されている通信教育のジャンルは半額まで会社が支給してくれることがある。(漢検や英検などはさすがに無かったかも・・・)
ただ所定の結構面倒な手続きが必要で、なおかつ承認されてから始まるまでが「申し込んだことを忘れてしまう」ほど長い。。。8月末に申し込んで教材が届いたのが9月末、コースが始まるのが10月だ。
通信簿に「飽きっぽい性格」と何度も書かれた私が帰国後の興奮など今今までも持続しているはずがない。。。
調べてみると1ヶ月に1回、全課題を提出して合格点を取ると、会社が半分負担してくれるコースだった。テーブルの上でいつまでも梱包を解いていない教材を見ながら「明日こそは」と自分に誓いながらいつの間にか10月最後の土日になってしまった。
別に期限は厳密にはないのだが、教育案内に「提出の目安を外して溜めてしまった多くの人が挫折していきました」というゾッとするような文句が・・・もう後が無くなって、ようやくテキストを開くに至った。
通信教育というものを初めて経験してから約30年「目的を全うしたことは一度もない」と言って過言ではない。我ながら「ここまで相性の悪いものか」と思う。塾や予備校、講習といったものに行ったことがない私は受検勉強は一通りやったが、すべて我流でおよそポイントとか要領とは縁遠い「雑食風」勉強法だった。問題集や参考書なども見た目の「それらしさ」で手当たり次第に買って机に並べていたり。。。(さすがに受験生、一度は流してやってはいる。しかし同じ問題を繰り返してマスターしたほうが効率がよい、というのはずーっと後になって知った。
さらに何故か流行っていたのが「Z会」である。基本から応用、難関、超難関大学入試向けなどあらゆるコースが学年と科目ごとに用意されており、添削が親切で専門的かつ的確だというのが評判だった。私は「難は易を兼ねる」という独自理論で超難しいコースを国数英で選択してしまった。
結果はご想像の通りである。2週間に1回、提出するペースだったと思うのだが、4問くらいしかないのに恐ろしく難しい(というより、どこが難しいのかがわからないくらい難しい)。
それでも国語は何かしら答えを書くことができるし、英語は辞書引きまくりで時間さえかければ何とかなることもあった。しかし数学だけはそうはいかない。宇宙語のような文字の連続で問題分が何を言っているのかすらよくわからない。。。かくして人生初の通信教育は無残にも提出率20%以下でしかも帰ってくる答案など見ることもなく頓挫するに至ったのである。
その後、学生時代には通信教育など綺麗さっぱり忘れており、社会人になってから再び周期的に「学習欲」がもち上がりその度に何か「通信教育」に手を出すのだが、「TOEIC」「電気関係」「電化製品」・・・どれも最後まで行ったことがない。。。
通信教育では定期的に教材がやってくるために、夏休みの宿題と同じ・・・「持ってきたら一気にやっつけてゆっくり余裕をかます。」というスタイルが取れないのである。コツコツと持続的に何かに取り組む、というのが最も不得意なのがわかっているのに、何度も同じことを繰り返している。しかし今度の「ハングル」の勉強はこれまで(の語学では)見たことも無い不思議な経験で、すこーしは続きそうな気がする。
数ヵ月後には社内資格をいくつか受検するので、あんまり悠長なことを言ってられないなー。毎週自宅に帰るときに「休みの間に集中的に」と重い教材を持ち歩くのだが、やったことがない(まるで筋力トレーニングだ)
さて今回の「ハングル」、朝鮮王朝時代は漢字が正式文字だったようで今でも街中に漢字があるから少しは意味がわかる。しかし○や□が意味不明に並ぶハングルは全くお手上げだと思っていたら、数百年前に王朝の王がシステマティックに構築した言語ということだ。だからすごく法則性が高い。つまり勇気を出して壁に挑めば意外とフレンドリーなのではあるまいか・・・
さらに語順は日本語とほぼ同じ、「てにをは」もほぼ同じような使い方をする。目上の人には尊敬後、目下の人にはぞんざい語。今まで知らなかったのが不思議なくらい身近な「お隣の国言葉」のようなのだ。
韓流ドラマに嵌ったマダム連中には本気で韓国語を勉強している人もいるらしい。。。今は母音、子音、「あいうえお」的な「字」の繰り返し練習だ。(まるで大昔やった「書き方」そのものである)
しかし再びかの国へ訪れたときに、あの謎の文字を少しでも読めるようになったら実に愉快だと思えるのである。そう思えるうちに一気に課題をやっつけよう・・・