超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

公式と法則

2011-04-26 17:12:01 | ホビー
この春、息子甘辛は中学2年生になったが、通っていた塾の曜日が変わってので、所属するクラブチームの練習日とかち合ってしまい、よく考えた結果塾を変わることになった。
全体の勉強量は減ってしまうことを妻は心配し、週末私がいるときは少しずつでも一緒に勉強することになっている。
その問題集をこの前書店で購入してきた。数学と英語の「特選最高水準問題集」だ。
むろん息子が取り立てて「できる」というわけでもないし、難関校を狙っているわけでも何でもない。
簡単過ぎると「私がつまらない」からである。

以前も定期試験の前など、よくテスト範囲を一緒にやっていた。大昔にやったうっすら記憶のある勉強を子供と一緒にやるのは実に楽しい。
こういうのは家庭教師(そのまんまの意味)になるよりも、趣味の世界で昔を懐かしみ一緒にやったほうがお互いに面白いものだ。
私たちの年代は戦後の詰め込み教育最高潮のときだと思うから、今のヌルい教科など高校卒業するまでは「追い付いていけない」ことはないだろう。

理科あたりが一番面白いんだろうが、理科は土曜日の塾でやるそうだ。今は電気について習っているらしい。時節柄電気についての勉強はちゃんとしてもらいたいが、原発について論じるなら「2万5千年の荒野」。国語はテレビのクイズ番組でやっている漢字以外は「本」でも読めばいいんじゃないか?
社会なんか結構変わってきたようだな。鎌倉幕府ができたのは1192年ではなく1185年という説が有力らしい。「イイクニ」ではなく「イイハコ」になってるそうなのだ。(ちなみに「ヨイクニ作ろう」で4192年と言った伝説はガッツ石松)

以前、英語のテキストをやったが、全然面白くなく、問題文に文句ばかり言っていた。
「あなたのお姉さんはリンゴが好きですね」という文の一体どこに「学ぶ」要素があるのか?!このやり方を数十年変えないから日本人は英語がダメなのだ。
文そのものではなく、日本語がダメなのだ。「おめーっちの美人のおねえはリンゴが好きなんだってな、でへへ。。。」
のように日常会話のようにしてほしいものだ。

数学は計算問題などやってられないから、文章問題を中心にパズル感覚で解いている。(あんまり意味ないような気もしてきたが)
先日、KICKPOP先生のサイトをお邪魔して衝撃が走った。。。ダヴィンチが「ピタゴラスの定理」をイラストだけ(センテンス抜き)で証明していたのである。
「ピタゴラスの定理」も「円の面積」も「球の体積」も結果だけ習い使うのは何でもないが、「何故そうなっているのか?」証明するのは結構大変なことだ。

覚えていたっけ?定積分を使うから高校数学だが、半径rの球の体積はたしか簡単だった。
原点に球の中心を置くと、X軸に(-r、0)で始まり、(r、0)で終わる球となるからその断面積πxⅡを積分すればよい。
V=∫π(√(rⅡ-xⅡ))Ⅱdx  (「Ⅱ」は2乗で積分区間は「-r」から「+r」まで)
 =∫π(r2-x2)dx
 =2π∫(rⅡ-xⅡ)dx (積分区間は0からrまで)
 =2π[rⅡx-xⅢ/3]  (積分区間は0からrまで)
 =2π(rⅢ-rⅢ/3)
 =4/3πrⅢ

円の面積はたしか難しかったぞ。原点を中心とする直径rの円の式はxⅡ+yⅡ=rⅡ

S=4∫√(rⅡ-xⅡ)dx (積分区間は0からrの四分円だから4倍する)
 =4rⅡ∫√(1-sinθⅡ)dθ  (X=rsinθという置換積分する)
 =4rⅡ∫cosθⅡdθ
 =2rⅡ∫(1+cos2θ)dθ (積分区間は0からπ/2)
 =2rⅡ[θ+sin2θ/2]    (積分区間は0からπ/2)
 =2rⅡ・π/2
 =πrⅡ

積分を使う証明は以前に習った公式を総動員して無理やり行うベタな方法だ。
インターネットで検索して見ると実に多くの「証明」が語られており、なかなか興味深かった。
忘れていて思い出した原理に「挟み撃ち」というのがある。
A(n)くB(n)くC(n)が自明である場合で、n→∞としたときに両サイドのA(n)とC(n)が同じ値に行きつくとき、挟まれたB(n)もその値になるという公理である。

円の面積は、内接する正n角形を構成するn個の二等辺三角形の面積の和と、外接する正n角形を構成するn個の大きな二等辺三角形の面積の総和の間にあるのは直感的に明らかだ。
その大小両サイドの正n角形の面積でn→∞(無限に細かく)としたときに、両者が等しくπrⅡになるというのを証明するのだ。この方法はアルキメデス的方法と言われているらしい。
絵で描くとすぐにわかるのだが、疲れたのでまた今度。。。。
直接的にうまく扱えないものが現れたときに、両サイドで挟み込んだ事象の行きつく先によって無理やり証明する、というのは数学でなくても色々なところで応用できそうな「社会の摂理」に思えて数学の深さを感じた。

次に・・・法則と言えば数多くを学んできたが、どういうわけか覚えているのは「マーフィの法則」だ。
我々はジョークっぽく「物事はどちらかと言うと裏目に出ることが多い」という使い方をするが、聞いてみると色々人によって使い方が異なるらしい。
心理学の自己暗示、サラリーマン川柳のようなノリ、失敗・ヒューマンエラー、確率論や認知科学などかなり奥が深いものらしい。
HPを見ていて、私の使い方に近いものを挙げると・・・・

「疲れて喋りたくないときに乗ったタクシーの運転手は話し好きである」
「テレビのロードショーでいい場面になるとニュース速報が入る。しかもその内容はどうでもいいことが多い」
「上司と一緒に昼食を食べに行くと、上司が注文したものが一番最後に出てくる」
「ものは捨てた途端すぐに必要になる」
「絶好のチャンスは最悪のタイミングでやってくる」
こういう使い方がスタンダードかどうか自信がないが、私はよく「マーフィの法則」を逆手にとる対処策をとる。キーワードは「敢えて」「わざと」である。
どうしても雨が降ってほしくないときには、「傘を持って行く」。気温が上がって汗をかきたくないときには、思いきり薄着で出かける。早く帰宅したときに自分のスケジュールに複数の仕事を入れておく。また飲んで帰りたくないときには、「飲み会がどこかでないか」スティーブに聞いてみる。
GWは「雨降り」を前提としたスケジュールでもたてるかなー・・・