超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

雷電神社となまず

2011-04-14 22:27:14 | 出来事
ここのところ余震が続いている。私のオフィスはたいしたことないが、連日「震度5とか6」の余震に見舞われる「福島浜通り」には「絶対何かいる」と皆地名を覚えてしまった。
原発の近くだから大きな余震が来るとドキリとするよなー。
我が方は宮城県エリアの復興をお手伝いする分担だ。県内で数千件あった一般の故障は第4次復旧支援隊で一段落するはずだったのだが、大きな余震でさらに故障が相次ぎ、第5次支援隊25名を派遣することになった。

燃料や既にいる派遣隊との引き継ぎやら色々と事情があって、出発の仕方が様々だが何人のチーム(例え二人でも)が何時に出発(夜中の3時というときも)しようが、必ず私は「出陣式」に出席する。
自分もいずれまた行くことにはなろうが、直接的な役には立てないのでせめて敬意を表すためだ。立場上一言発することになる。
今回の第5次支援隊は朝6時に大型バスで出発し、4拠点でメンバーを拾って県東部の拠点で出陣式を行う予定で、私は7時にオフィスを出て向かった。

特殊高所用作業車11台を1ヶ月前に送り込み、ずーっと現地に配備していたがメンテナンス等もあって前々回の3次隊で一旦引き揚げ、4次隊が新たな車両を繰り出したから今回は大型バス1台だ。
正直今回は何とも言えない「重い気分」であった。高所作業中に震度5の余震などがやってきたらどう考えても危険なのだが、安全を確保しようがないからである。
「とにかく気を付けてください」としか言いようがなかった。。。それでも被災地の救済に向かってくれる隊員に敬意を表したい。

見送りに出向いたのは私と保全部門の長スティーブとその腹心である「隊長」、さらに派遣隊の輜重をあずかる「しもやん」だ。
県の最東部に近い拠点に赴いた我々にスティーブは

「さらにホントの最東端まで行くと『雷電神社』ってのがあるんですよ。御札もらいに行きませんか?」

この地方は夏場、実に「雷」が多い。地下の部屋にいても壁が震えるほどすごく着任したての頃はいきなりその洗礼を受けて腰を抜かしかけた。
昨年は例年になく活発でシステム故障等も含めて散々な目にあった。
私の3代前任が祈祷してもらったようだが、前年の倍近く被害があったそうだ。(ご利益無いんじゃないの?)
しかしこういう機会でも無ければ2時間近くかけて行くことはないから、「これも何かの縁よね」と行ってみることにした。

     

春のうららかなホントの田舎だった。「雷電さま」というのは関東地方に数多いそうだが、ここ「雷電神社」が総本営なのだそうだ。
そのまんまのネーミング「雷除け」の御札を求め、賽銭を差し上げて祈った。

「今日、仙台に向かったチームが無事に帰ってきますように。原発の神が早く御静まりくださいますように。今年だけ雷いくら来てもいいので、地震を落ち着かせてください」

神頼みなど笑われるかもしれないが、真面目にそういう気分だった。「あんまり雷に関係ないことばっか頼んじゃったよ」と苦笑する私に「しもやん」は「ここ、地震除けもあるんですよ」と驚きの発言。。。
実はこの地方にとって昔からの「神の賜物」だという「なまずさん」というのがあったのだ。
「なでると地震を除けて自信が湧き出、受験や仕事やスポーツの勘にも通じます」
私たちは「なまずさん」拭き用のハンカチを買って熱心になでまわした。

   

帰り道になっていたので、「分福茶釜」のルーツという御寺に寄った。顔つきはちょっとグロテスクなのだが、狸の像がずらりと並び満開の桜と微妙なハーモニーを醸し出していた。
それにしても震災など忘れてしまうほどの陽気だ。。。
分福茶釜って名前は知っていたが、どんな話だったっけ?狸と茶釜が合体してしまうような恩返しの話だったような・・・

   

「神の賜物」というなまずだが、実は水郷地帯であるこの地方の名産であったようなのだ。
確かによく見ると、「川魚料理」の店が結構多い。昼には少し早かったが来客時間までに帰らなくてはならないから、この際「なまずを食べて行こう」ということになったのである。
店頭にあった姿だけ見るとちょっと勇気がいるんだけどねー。大昔、栃木にゴルフ旅行したときに「なまずの刺身」食した以来だが。。。
選んだのは「天然なまず定食」だ。なまず重(いいずらい)はアナゴをねっとりさせた感じ。洗いはもちっとした淡泊な感じかな・・・
もう神頼みでも願掛けでも何でもいいから、地震がおさまるといいなあ。