超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

金八ファイナル

2011-04-05 14:16:07 | ヒーロー
先々週末だったろうか、「3年B組金八先生」が32年(続いたわけではないけど)の幕を閉じた。
「金八先生が定年退職で桜中学を去る」という設定だと聞くので、第1回シリーズの年齢は28歳というところだろうか。。。
歳バレするのであまり詳しく語らぬが、我々はまさしく「リアル金八世代」である。トシちゃんもマッチもいたし(野村義男はいたかなー)、「顔はやばいよ。ボディやんな」の三原順子もいた。その次のシリーズにはシブガキ隊も出ていた。

当時「青春モノ」と言ったら圧倒的に高校が舞台で「剣道部」や「ラグビー部」のスポ根混じりの番組ばかりだった。「●●青春」とか「ゆうひがおかの総理大臣」、村野武範とか中村雅俊あたりは我々よりも微妙に(半世代くらい?)上で、どうもピンとこなかった。
「金八先生」も最初のほうはあまり見ていなかった。。。15歳の杉田かおるが妊娠したり、カトウが教室で大暴れしていてもあまり現実感が湧かなかったものだ。
ずばり我々を掴んだのは、多くの生徒の場合生まれて初めての試練?となる「受験」がシンクロしたからだと思う。

金八先生の都立高校とは異なり、我が県には中学2年生の終わり頃に受けるアチーブメント・テストという怪しげな試験の結果で1年先の公立高校志望が半分くらい決まってしまう、という悪夢のような制度があった。
終盤になるに従って、「受験」が物語の題材の中心になり、その心構えや微妙に不安定になる生徒の心理に共鳴し、何かと教室でも話題になるようになった。
まあ、こちらは当事者そのものだから、そもそもそんなテレビ見てる余裕すらなかったのも事実だが。

第1回シリーズ、第2回シリーズはたしか連続であったような。。。しばらく冬のシーズンになると再放送していた。
リアルだったか再放送だったか微妙だが、ホントの受験生だったので「最終回」以外はあまり見ていないからあまり記憶が定かではないが、金八シリーズで今でも覚えているのが「荒川土手の課外授業」だ。
確か「入試(何とか)前心得」とかいうタイトルだった。
15歳だった私にとって当時から不滅の輝きを持ち、今でもヤマトの「慌てず急いで正確に」と並んで、何か訓示をたれるときにパクるのが、「文化とはフグちりである」とかます、あの課外授業でのお説教である。

「フグという魚を知らずに食べて死ぬときに、「どうも○○が悪かったらしい」と言い残す。そんな何十何百の死んでいった祖先たちが残していった積み重ねで今、我々は安心してフグを食すことができる。だから我々も何か次の世代が幸せになるようなことを残す責任がある。だから君たちは勉強しなければならない。」
全然正確ではないが、こんなような話だ。。。そしてむろん当時は将来何になるのか見当さえしていなかった私にとって打った言葉は、それぞれを目指す生徒に向けて放った言葉だった。
「東大を出て大蔵省に勤めた者は困った人のために1円でも多く予算を分捕れ。酒屋を継ぐ者は客の気持ちが明るくなるような笑顔を、美容師になる者は客の心まで美しくなるような技術を、音楽家を志す者は聴く者の魂を揺さぶる音楽を・・・・・」
これまたうろ覚えだが、30年たった今でもこれだけ鮮明に覚えている。
我々もまさしく受験直前。。。校庭に出て志願する高校ごとにグループを作り、何とみんなで駅まで歩いて願書を取りにいった。共に同じ高校を受験する者どおし仲良く暗記モノの問題を出し合って歩いていたが、私は金八先生の土手の授業が頭から離れなかったのものである。

あれから32年たって・・・金八先生もさすがにヨレヨレになってしまったな。明るく噛みつくようなパワフルさが、かなりナリを潜め「好々爺」という感じだった。
奥さん(倍賞美津子)はいつの間にか亡くなってしまったのか。。。娘の結婚式も感動的だった。
ファイナルで「金八先生自身の卒業式」は実に1時間くらい続いていた。今から遡ること32年、歴代の出演生徒がそろって出席していた。
数年前に卒業した生徒は、まだまだ「生徒」と言っても何とかなるが、平成ひと桁あたりから急におじんおばん臭が増して(間が長かったからかなー)、「昭和」ときたときゃかなりドキッとした。
さすが今でも現役の俳優はキリっとしていたが、「カトウマサル」の変身した姿は衝撃的だった。。。

息子甘辛もそう遠くないうちに同じ年齢になるが、金八先生のような教師、3Bのようなクラスに恵まれて欲しいものだが、なかなか難しいかなー。
15歳はその昔で言えば元服の年齢、銀河鉄道999で言うと惑星「ヘビーメルダー」のような人生て初めて踏み込む分岐点だ。
また歴史上めったなことでは経験できない「未曽有の危機に直面した人間」を目の当たりにすることにもなる。

金八先生の課外授業では最後にこのように結ぶのだ。「そして、この川の流れ込んだ海の向こうでは、受験戦争どころか、本物の戦争で傷つき、肉親を失い、食べ物すらない、そんな少年少女がいることをおまえたちは忘れるな。そして・・・」
息子甘辛達の場合は「戦争」ではなく「災害」となるのだろうかな。

我々も「フグを食べられるように」100年以内にまた来るかもしれない大地震に耐えうる社会システムを作らなければならない。
そのための「大人」の責任のひとつは今度の大震災で気付いた日本の「リスク」「矛盾」「脆弱性」など災禍をもたらすものをあらん限り露呈させすことだろう。
変えるのは次々代くらいまでかかるかもしれない。「元あったモノに戻す」だけでは金八先生の雷撃にあうだろな。。。