超兵器磯辺2号

幻の超兵器2号。。。
磯辺氏の文才を惜しむ声に応えてコンパクトに再登場。
ウルトラな日々がまたここに綴られる。

笑笑

2009-07-06 22:21:31 | 出来事
「誕生日祝いにどこか食べに行きたいところはあるのか?」

と問うと息子甘辛は

「SYUちゃんちとご飯が食べたい!」

と言い続けていた。かの一家も忙しく昨日はサッカーを始めた弟りょんりょんの招待杯があったそうだが、会食の申し込みに快く付き合ってくれた。
りょんりょんは小学2年だが、なーんとその招待杯でキャプテン、優秀選手賞を獲ったそうだ。おめでとう。
兄のSYUちゃんは甘辛の一つ上で中学から卓球を始めたそうだ。社宅のときからのお友達でやさしいSYUちゃんはよく息子の面倒を見てくれた。

行先は辻堂駅前の笑笑。何かあると友達家族グループがよく集まるところだ。
ただの居酒屋なんだが、奥にカラオケ付きの個室があり子供も含めていくら騒いでもいいし、煙草の煙もこないから小さい子でもOKだ。
甘辛は午前中チーム練習で途中で移動し、選抜の練習試合だった。なんと相手はJリーグジュニアユース(中学生)でボロ負けもいいところ。

3試合で活躍したというりょんりょんと同じくヘトヘトになったいるはずだったが、7時の待ち合わせに6時から「早めに行く!」と騒ぎ出し、先に車を出してやる羽目になった。。。
ここんところずーっと車内ではGreeeeNをかけ続け、すべての曲を歌えるように鍛練していたようだし。
DSからカードゲームと、ありとあらゆる遊びグッズをリュックに詰め込んでいた。

「おうっ、オレ今日は歌うつもりで来たんだ。」にっこり笑うSYUちゃんに

「オレも!いっぱいマスターしてきたんだぜ」甘辛も応える。

カードを並べ始める二人に少し年下のりょんりょんも一生懸命のぞき込んでいる。しかし何と言っても優秀選手のメダルがうれしそうだ。
乾杯が終わって食事がワンラウンド周り、余裕が出てくると大人陣はただの飲み会に変貌する。
たまさんが少し若いくらいで、似たような年齢だからな。やはりマイケルジャクソンなどの話になっていく。。。

SYUパパはずいぶん熱心にマイケルの踊りを練習したそうだ。たぶん合コンネタだろな。
「初めて買ったレコードは何だったか?」というよくある話題に

SYUパパは「RIDE ON TIME」
うーむ、山下達郎か。。。この歌は売れたよな。磯辺太郎的にはYOUR EYESかなあ。

たまちゃんは「ジパング」
ピンクレディ初期の歌なら振り付きで踊れるという妻にとってもビミョーなところ。次あたりから小夏さん風に言うとピンクレディーも行き過ぎ!?

きなこもちは「ブルドッグ」
フォーリーブスって4人で歌っているシーンはよく見たが、歌そのものはこれしかしらない。「にっちもさっちもどうにも・・・」というフレーズは今でもたまに使う。(ドン引きされるか、樋口カッター)

磯辺太郎は「青葉城恋歌」ついでにその次は「かもめはかもめ」
ホントに正確に言うと、茅ヶ崎の我が家に初めて「コンポ」というモノが届いたときに買ったレコードだ。
父からもらった古い小さなレコードプレーヤーを持っていた幼い私が真に最初に買ったのは「オバQ音頭」

コンポとはレコードプレーヤーやアンプ、チューナー、カセットデッキなどが別々にラックに収納され、両サイドにスピーカが安置されるという高さ1m、全長(幅?)2mにもなる場所取り王だ。
「今、何か通らなかったか?」
学生時代に実家で徹マンをやっていて一人の悪友がつぶやいた。。。
かなりの熱を発するコンポを四畳半の畳部屋に無理やり置いていた実家では、友達と麻雀しているときにどこかに生息してると思われる家ねずみが右に左によぎったものだ。

そんな話で大人が盛り上がっているときに、子供陣は何やらひたすら歌い始めた。
昔は特撮ヒーロー、ハム太郎、ポケモンなどを恥ずかしそうに歌っていた彼らも、マイクの取り合い、採点競争だ。
息子甘辛はGreeeeNを熱唱していた。なーるほどこのために練習してたのか。映画「ルーキーズ」では号泣してたらしいが、そのせいか「遥か」なんてサビのところでわざと音程をはずす芸の細かさだ。しかしあの詩はグッとくるね。

それにしてもSYUちゃんパパはホントにストライクゾーンが広い、子供らが歌っている私にとっては聞いたこともない歌を一緒になってハモっている。
早口言葉としか思えない「ラップ」調の最近の曲もなんなくついていくし、ちょっと前の曲なんかも見ないで歌える。
彼はまさしくバットの届く距離ならどこでもヒットが打てる広角打法、一方私は肩口からすぅーっと真ん中に入る半端なカーブと同じく真ん中高めにくるフォークのすっぽ抜けしか打てないピンポイント打法だ。

そのうち、大人陣は子供以上の大騒ぎになり、いつの間にか妻の声が「もんたよしのり」になっていた。

「この子たちが大人になっても、集まりたいよねえ」

まさしくその通りだ。
30年後。。。彼らは今の我々と同じような年齢になる。50周年の笑笑(があるかどうかわからぬが)でこれまた同じような子供が騒いでいて、親たちは昔話に盛り上がっている。
そのとき42歳で後役を迎える磯辺甘辛は

「父ちゃんよ。たしかオレが初めてカラオケ歌ったのはGreeeeNの『キセキ』だったよなあ。」

一瞬キラリと目を光らせた磯辺翁はニッコリ笑ってうなずくが、心の中では・・・

「ちがうだろ。お前が最初に歌ったのは『ウルトラマンパワード」だよー」

トイレに立つたびに感心して読んでいた「親父の小言」。
相馬藩大聖寺暁仙増上という人が作者らしいが、どこかでこの額縁を売っていたらぜひ購入したいものだ。
オープニングが「親父の小言と冷酒は後で効く」、エンディングが「さればとて墓に着物は着せられず 」。。。最高だな。

みなさんおつかれさまでした。