さあ、今日から夏休みだ!っとその前にたまには真面目な話を少し。。。
1学期が終わり、子供達はめいめい通信簿を渡されて帰ってきた。
今日は早速市内選抜の練習試合があったのだが、親達が子供の通信簿について盛上っている。
このあたりじゃNO.1キーパーのT河クンは先生にもらった通信簿を開けたとたん
「えええっ!?」とオーバーアクション。
「お前。。。ええって言うほどのもんじゃないだろ」と先生にたしなめられたらしい。
同じくこの辺じゃNO.1ディフェンスのS也クンちは8/31まで通信簿は開けないらしい。
「だって、夏休みが楽しくなくなっちゃうじゃーん」このママも「太か人」だ。。。
私は子供の通信簿の結果には意外と興味がわかないが、息子のヤツで一つ面白いのがあった。
「生活時間の有効な使い方を工夫する」が×になっている。。。
どぎゃーっはっはっは。そうなんだよ!キミは何をやっても遅いんだよ。もっとキリキリ動かなきゃ。。。
しかし待てよ。。。「有効な使い方を工夫する」って、何すりゃいいんだ?iPodを聞きながら漢字の書き取り?
「家庭」という教科だからストップウォッチでも持って、家事みたいなことを短時間にいっぱい消化するってことか?これじゃまるで「人生皿回し」に過ぎぬ。。。
朝ごはんをものの5分で平らげる私は30分もかかる息子にいつも文句を言っているが、朝ご飯食う時間って無駄じゃないよな。
有効かどうかは結構人それぞれだからな。風呂入りながらマンガ読んでたって貴重な知識は得られるぞ。
よくよく考えると結構いい加減なことを子供に言ってるような気がしてきた。
さて、先日の授業参観は「算数」で、「もし万が一自分が先生に指されたら、どんな『気の利いたこと』を答えようか」そればかり考えていた私だが、一つだけ真面目に見ようと思っていたことがあった。
新しいことを学ぶにあたって「楽しそうにしているか」どうかである。
ここに最近の私のモノの考え方に大きく影響を与えた神戸女学院大学教授の内田樹という人が登場する。
それは知人が紹介してくれた会社の機関誌の巻末の記事だった。実はその機関誌「トップ登場」というダサい特集に私の上司が出ていたのだが、私はそんな記事には目もくれず内田樹さんの記事で目の覚める思いがした。
およそ我が社の事業とは縁の遠い「教育」に関する記事だ。
今、日本の子供の学力が下がっているのは『教育の現場』が市場原理に侵食されているからだという。。。
つまり「こんな勉強して一体何の役に立つの?」という子供が増えているってことだ。
それに対し「一生懸命勉強すれば、より高い水準の学歴が得られ、その結果社会で収入他高い水準の利益を手にすることができるという「にんじん」を目の前にぶら下げられ、本来は黙っていても喜んで学ぶはずなのに「耐えている」と彼は言う。
面白くもない授業をいやいや受ける「苦痛」の報酬として「将来」を買い取る。まさしくこれが市場原理だが、そこにこれまで想像もしなかった現象が起こるそうだ。
「良い物を少しでも安く」というのが発想の原点だから、役に立つかどうかわからないものには手を出さない、少しでも少ない苦痛で効率的に最大の結果を得るためには、全体のレベルが下がったほうがよい、という結論に子供達が達してしまったというのだ。
なーるほどね。私は思わず膝を打った。
そしてこの人は「『こんな勉強をやることに何の意味があるのか』という問いそのものが市場原理に侵された思考なのである。いいから黙って勉強しなさい」と言いだす。
これだけではただのゴリ押しのようだが、「人間は『理解しがたいこと』を受け容れ理解しようと願い、それを受け容れるために脳の容量を押し広げているときに脳の情報処理能力が最高速になる」と言われると教育者って子供の知的パフォーマンスを最大化するのが仕事よね、と確かに思う。
早速読んだ内田樹著の「下流思考」にはこのような「学ぶこと」の意義と、類似した「働くこと」の意義が怪傑ズバット揚げられている。
私もボストンのビジネスサマースクールに行ったことがあるから、ビジネスライクな発想にとり憑かれていた。
「金持ち父さん貧乏父さん」シリーズを読み漁り、「いかにビジネスで成功して金持ちになるか」は学校では教えてくれない、学校の勉強の大半は社会では一部を除いてあまり意味をなさないと思い込んでいた。
「キャッシュフロー101」という専門のゲームを買い込み、ひたすら新しいビジネスアイディア出しに明け暮れていたのもHBSに行ってきた直後だ。
しかし、正直どこかに違和感があった。。。うまく言えないがどうも違うんじゃないかという気がしてきた。
もし世の中がホントにそういう構造なのだったら、大学など行かずに全員ビジネススクールに行けばよい。MBAなんか通信教育でも取れる時代だ。
できるできない、役に立つ立たないは別としても、子供(いや人間?)って本能的に学ぶことが好きなんじゃないかと思う。
私はこの前の参観のように「何かしながら」学ぶ学校の勉強は好きだった。
確かに中高と進むにつれ、目的が生々しくなって面白くなくなってはきたが。。。
社会人になってからは勉強を懐かしみ、「金を出しても何か学びたい」と思うようになる。
目的が生々しくないとなおさら「学ぶこと」は楽しい。
内田樹著「下流思考」はここ数年、何かもやもやしていた霞みをパーッと晴らしてくれた私にとっての名著だ。
さて、話をうーんと元に戻す。参観で見た息子ら子供達は少なくとも楽しそうではあった。
濃度の算出に使った砂糖水を隣りのグループのまで飲んじゃうくらいだから無邪気に勉強しているようだ。
甘辛の通信簿で「考えや気持ちを文章に表す」というのが×になっていて妻が気にしていたが。。。
まーったく心配なし!達人は考えや気持ちは「顔」で表すものだが。。。
深すぎて何を言ってるかわからなくなっちゃった。今日のレクチャーはここまで。
1学期が終わり、子供達はめいめい通信簿を渡されて帰ってきた。
今日は早速市内選抜の練習試合があったのだが、親達が子供の通信簿について盛上っている。
このあたりじゃNO.1キーパーのT河クンは先生にもらった通信簿を開けたとたん
「えええっ!?」とオーバーアクション。
「お前。。。ええって言うほどのもんじゃないだろ」と先生にたしなめられたらしい。
同じくこの辺じゃNO.1ディフェンスのS也クンちは8/31まで通信簿は開けないらしい。
「だって、夏休みが楽しくなくなっちゃうじゃーん」このママも「太か人」だ。。。
私は子供の通信簿の結果には意外と興味がわかないが、息子のヤツで一つ面白いのがあった。
「生活時間の有効な使い方を工夫する」が×になっている。。。
どぎゃーっはっはっは。そうなんだよ!キミは何をやっても遅いんだよ。もっとキリキリ動かなきゃ。。。
しかし待てよ。。。「有効な使い方を工夫する」って、何すりゃいいんだ?iPodを聞きながら漢字の書き取り?
「家庭」という教科だからストップウォッチでも持って、家事みたいなことを短時間にいっぱい消化するってことか?これじゃまるで「人生皿回し」に過ぎぬ。。。
朝ごはんをものの5分で平らげる私は30分もかかる息子にいつも文句を言っているが、朝ご飯食う時間って無駄じゃないよな。
有効かどうかは結構人それぞれだからな。風呂入りながらマンガ読んでたって貴重な知識は得られるぞ。
よくよく考えると結構いい加減なことを子供に言ってるような気がしてきた。
さて、先日の授業参観は「算数」で、「もし万が一自分が先生に指されたら、どんな『気の利いたこと』を答えようか」そればかり考えていた私だが、一つだけ真面目に見ようと思っていたことがあった。
新しいことを学ぶにあたって「楽しそうにしているか」どうかである。
ここに最近の私のモノの考え方に大きく影響を与えた神戸女学院大学教授の内田樹という人が登場する。
それは知人が紹介してくれた会社の機関誌の巻末の記事だった。実はその機関誌「トップ登場」というダサい特集に私の上司が出ていたのだが、私はそんな記事には目もくれず内田樹さんの記事で目の覚める思いがした。
およそ我が社の事業とは縁の遠い「教育」に関する記事だ。
今、日本の子供の学力が下がっているのは『教育の現場』が市場原理に侵食されているからだという。。。
つまり「こんな勉強して一体何の役に立つの?」という子供が増えているってことだ。
それに対し「一生懸命勉強すれば、より高い水準の学歴が得られ、その結果社会で収入他高い水準の利益を手にすることができるという「にんじん」を目の前にぶら下げられ、本来は黙っていても喜んで学ぶはずなのに「耐えている」と彼は言う。
面白くもない授業をいやいや受ける「苦痛」の報酬として「将来」を買い取る。まさしくこれが市場原理だが、そこにこれまで想像もしなかった現象が起こるそうだ。
「良い物を少しでも安く」というのが発想の原点だから、役に立つかどうかわからないものには手を出さない、少しでも少ない苦痛で効率的に最大の結果を得るためには、全体のレベルが下がったほうがよい、という結論に子供達が達してしまったというのだ。
なーるほどね。私は思わず膝を打った。
そしてこの人は「『こんな勉強をやることに何の意味があるのか』という問いそのものが市場原理に侵された思考なのである。いいから黙って勉強しなさい」と言いだす。
これだけではただのゴリ押しのようだが、「人間は『理解しがたいこと』を受け容れ理解しようと願い、それを受け容れるために脳の容量を押し広げているときに脳の情報処理能力が最高速になる」と言われると教育者って子供の知的パフォーマンスを最大化するのが仕事よね、と確かに思う。
早速読んだ内田樹著の「下流思考」にはこのような「学ぶこと」の意義と、類似した「働くこと」の意義が怪傑ズバット揚げられている。
私もボストンのビジネスサマースクールに行ったことがあるから、ビジネスライクな発想にとり憑かれていた。
「金持ち父さん貧乏父さん」シリーズを読み漁り、「いかにビジネスで成功して金持ちになるか」は学校では教えてくれない、学校の勉強の大半は社会では一部を除いてあまり意味をなさないと思い込んでいた。
「キャッシュフロー101」という専門のゲームを買い込み、ひたすら新しいビジネスアイディア出しに明け暮れていたのもHBSに行ってきた直後だ。
しかし、正直どこかに違和感があった。。。うまく言えないがどうも違うんじゃないかという気がしてきた。
もし世の中がホントにそういう構造なのだったら、大学など行かずに全員ビジネススクールに行けばよい。MBAなんか通信教育でも取れる時代だ。
できるできない、役に立つ立たないは別としても、子供(いや人間?)って本能的に学ぶことが好きなんじゃないかと思う。
私はこの前の参観のように「何かしながら」学ぶ学校の勉強は好きだった。
確かに中高と進むにつれ、目的が生々しくなって面白くなくなってはきたが。。。
社会人になってからは勉強を懐かしみ、「金を出しても何か学びたい」と思うようになる。
目的が生々しくないとなおさら「学ぶこと」は楽しい。
内田樹著「下流思考」はここ数年、何かもやもやしていた霞みをパーッと晴らしてくれた私にとっての名著だ。
さて、話をうーんと元に戻す。参観で見た息子ら子供達は少なくとも楽しそうではあった。
濃度の算出に使った砂糖水を隣りのグループのまで飲んじゃうくらいだから無邪気に勉強しているようだ。
甘辛の通信簿で「考えや気持ちを文章に表す」というのが×になっていて妻が気にしていたが。。。
まーったく心配なし!達人は考えや気持ちは「顔」で表すものだが。。。
深すぎて何を言ってるかわからなくなっちゃった。今日のレクチャーはここまで。