ヤンマがいるのに山梨県。。。(これはかなーりキツい)
3月末に山梨からやってきた強敵のところへ乗り込む日がやってきた。
ここでも以前紹介したが、息子甘辛の所属するサッカー少年団がずいぶん昔から交流のあるチームで、向こうが先にお出でになり、この時期はこちらからおじゃまする。
前回まではそれぞれ訪れた先の選手の家にホームステイしていたのだが、先方のチームが他の2チームと合併し、それぞれ交流戦を持っていて今回は一気に全部集まることになったため宿泊施設に泊まることになった。
3月に藤沢にやってきたときは経験のある父母から
「とにかく韮崎ではものすごい歓迎をしてくれるんだよ。今、ちゃんとやっとかないと後で取り返せないからね」
こちらも全力で歓待したつもりではあったが、やはり至れり尽くせりで恐縮しまくりだった。
初日、息子甘辛は県選抜の練習会とかち合っていたのだが、うちはベンチメンバーも少ないし、一度きりしかないから皆とともに4時起きで出発した。
韮崎はサッカーの盛んな街だ。まず会場に着いて度肝を抜かれたのは、スタンド付き全面天然芝のピッチが二面ある。。。
人口だけは何倍もいるのに、こんなすごいグランドうちの街にはひとつもない。
16チーム集まるサッカーフェスティバルだが、うちと韮崎と町田のチームがその中でも交流戦と位置付けている。
我が家に「風の10番」が泊まっていった韮崎のチームは、すばらしいことに県で準優勝し、関東大会出場を決めたそうだ。
選手達はメールや手紙のやりとりをしてきたが、やはり再会にはおおはしゃぎしていた。
お互いのチームの試合は必ず応援に花を咲かせていた。いい光景だ。。。
ただ若干辛かったのは、試合の合間にやることがないこと。
うちの少年団長は70歳を越える方で、今年で29回目になるこの交流戦に25回は来ているって話だ。
「Mちゃん、悪いねえ」
その団長は朝5時に出発したコーチの車の中で日の出からビールを飲んでいた。
談合坂SAで朝食休憩で集まった時は、赤い顔をしており、もう一人飲んでいた副団長は酔いつぶれて車内で寝ていたんだって。
子供達の試合はしっかり観戦していたが、終わるとビールを飲んじゃ昼寝していた。恐るべし
私はさすがにビールは飲まなかったが、朝早かったしときどきうつらうつらしていた。
ふと顔をあげると見事な鬼ヤンマがテントの周りを飛んでいる。
「あれ、鬼ヤンマ?銀ヤンマ?すごいよね。さっきからこの辺飛んでるのよ」
赤ちゃんを連れ、妻ともう一人とおしゃべりをしていた監督の奥さんは驚いていた。
私の目がきらーんと光ったのは言うまでもない。ヤンマの飛行軌道を目で追いながら、パターンに照準をセットした。
ときどき木の枝とかに止まったときに背後から忍び寄るが、手で捕まえるのはさすがに無理だ。
虫取り網でも難しい鬼ヤンマの飛行スピードだ。ただ低空を飛んでるから何とかなりそうだ。
そばにあった、選手の帽子を片手に神経を集中する。「神経を研ぎ澄まし、心の目で見るのじゃ。」老師の声が聞こえてきそうだ。
目にもとまらぬ速さでテントに侵入してきたところを、シュートボールを投げる軌道で
ひゅん!
「捕ったよ、この人。。。」
妻は思わずつぶやいた。「老師、ボクはやりました!」私も心の中でつぶやいた。
まあ、なんだな。オレはトンボ捕らせたら県選抜くらいは軽いからな(なんの選抜や!)
子供達に見せるためコンビニの袋に入れておいたら、可哀想に弱ってしまった。だから手に止まらせても逃げないのだ。(写真)
しばらくして元気が出てくると鬼ヤンマは、また猛スピードで飛び立っていった。
1日目は終わると、夜はバーベキューにすいか割り、花火大会だ。子供達は朝早かったことも忘れて大喜びだ。
大人はもちろん大宴会だ。3次会で撃沈するまで私は様々なことをやらかしたらしい。。。
聞いて回るのもカッコ悪いから、色々状況証拠を集めていったが、皆怒ってはいないらしいので安心した。
朝、昨日と同じテントで監督がニッコリ笑って「お酒は抜けましたか?」
監督の奥さんは「すごーい、爆弾発言あったもんね」
エースのパパ(父母会長)は「普段あまり騒がないOコーチが喜んで、しきりに甘辛パパの真似してノッてましたよ」
まあ、何でもいいや。
選手達は2日で6試合、最後にファイナルマッチを行ったときは両チームも応援団も笑いが絶えなかった。
お別れ会のときはやはりグッときた。。。
抱えきれないほどの桃と一生の思い出を持って、富士山を横目に家路に向かったのであった。
みなさん本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。
3月末に山梨からやってきた強敵のところへ乗り込む日がやってきた。
ここでも以前紹介したが、息子甘辛の所属するサッカー少年団がずいぶん昔から交流のあるチームで、向こうが先にお出でになり、この時期はこちらからおじゃまする。
前回まではそれぞれ訪れた先の選手の家にホームステイしていたのだが、先方のチームが他の2チームと合併し、それぞれ交流戦を持っていて今回は一気に全部集まることになったため宿泊施設に泊まることになった。
3月に藤沢にやってきたときは経験のある父母から
「とにかく韮崎ではものすごい歓迎をしてくれるんだよ。今、ちゃんとやっとかないと後で取り返せないからね」
こちらも全力で歓待したつもりではあったが、やはり至れり尽くせりで恐縮しまくりだった。
初日、息子甘辛は県選抜の練習会とかち合っていたのだが、うちはベンチメンバーも少ないし、一度きりしかないから皆とともに4時起きで出発した。
韮崎はサッカーの盛んな街だ。まず会場に着いて度肝を抜かれたのは、スタンド付き全面天然芝のピッチが二面ある。。。
人口だけは何倍もいるのに、こんなすごいグランドうちの街にはひとつもない。
16チーム集まるサッカーフェスティバルだが、うちと韮崎と町田のチームがその中でも交流戦と位置付けている。
我が家に「風の10番」が泊まっていった韮崎のチームは、すばらしいことに県で準優勝し、関東大会出場を決めたそうだ。
選手達はメールや手紙のやりとりをしてきたが、やはり再会にはおおはしゃぎしていた。
お互いのチームの試合は必ず応援に花を咲かせていた。いい光景だ。。。
ただ若干辛かったのは、試合の合間にやることがないこと。
うちの少年団長は70歳を越える方で、今年で29回目になるこの交流戦に25回は来ているって話だ。
「Mちゃん、悪いねえ」
その団長は朝5時に出発したコーチの車の中で日の出からビールを飲んでいた。
談合坂SAで朝食休憩で集まった時は、赤い顔をしており、もう一人飲んでいた副団長は酔いつぶれて車内で寝ていたんだって。
子供達の試合はしっかり観戦していたが、終わるとビールを飲んじゃ昼寝していた。恐るべし
私はさすがにビールは飲まなかったが、朝早かったしときどきうつらうつらしていた。
ふと顔をあげると見事な鬼ヤンマがテントの周りを飛んでいる。
「あれ、鬼ヤンマ?銀ヤンマ?すごいよね。さっきからこの辺飛んでるのよ」
赤ちゃんを連れ、妻ともう一人とおしゃべりをしていた監督の奥さんは驚いていた。
私の目がきらーんと光ったのは言うまでもない。ヤンマの飛行軌道を目で追いながら、パターンに照準をセットした。
ときどき木の枝とかに止まったときに背後から忍び寄るが、手で捕まえるのはさすがに無理だ。
虫取り網でも難しい鬼ヤンマの飛行スピードだ。ただ低空を飛んでるから何とかなりそうだ。
そばにあった、選手の帽子を片手に神経を集中する。「神経を研ぎ澄まし、心の目で見るのじゃ。」老師の声が聞こえてきそうだ。
目にもとまらぬ速さでテントに侵入してきたところを、シュートボールを投げる軌道で
ひゅん!
「捕ったよ、この人。。。」
妻は思わずつぶやいた。「老師、ボクはやりました!」私も心の中でつぶやいた。
まあ、なんだな。オレはトンボ捕らせたら県選抜くらいは軽いからな(なんの選抜や!)
子供達に見せるためコンビニの袋に入れておいたら、可哀想に弱ってしまった。だから手に止まらせても逃げないのだ。(写真)
しばらくして元気が出てくると鬼ヤンマは、また猛スピードで飛び立っていった。
1日目は終わると、夜はバーベキューにすいか割り、花火大会だ。子供達は朝早かったことも忘れて大喜びだ。
大人はもちろん大宴会だ。3次会で撃沈するまで私は様々なことをやらかしたらしい。。。
聞いて回るのもカッコ悪いから、色々状況証拠を集めていったが、皆怒ってはいないらしいので安心した。
朝、昨日と同じテントで監督がニッコリ笑って「お酒は抜けましたか?」
監督の奥さんは「すごーい、爆弾発言あったもんね」
エースのパパ(父母会長)は「普段あまり騒がないOコーチが喜んで、しきりに甘辛パパの真似してノッてましたよ」
まあ、何でもいいや。
選手達は2日で6試合、最後にファイナルマッチを行ったときは両チームも応援団も笑いが絶えなかった。
お別れ会のときはやはりグッときた。。。
抱えきれないほどの桃と一生の思い出を持って、富士山を横目に家路に向かったのであった。
みなさん本当にお疲れさまでした。そしてありがとうございました。