熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「嵐山」間狂言「猿聟」

2015年04月30日 | 能・狂言
   単独で上演されることが多いと言う狂言「猿聟」が、本来の上演通りに、能「嵐山」の替間として演じられ素晴らしい鑑賞の機会を得た。
   能「嵐山」は、式能と国立能楽堂の定期公演で観ており、狂言「猿聟」は、萬狂言で観ており、夫々、独立した舞台で楽しませて貰っているのだが、全く切れ目なしに、能と狂言を、同時に楽しめると言うのも、また、格別である。

   能「嵐山」は、
   帝の臣下が勅命を受けて、吉野から移植された桜の花を見に嵐山にやって来て、花守の老人夫婦に出会い、この花が神木であり、吉野山の神が姿を現すのだと説明して、自分達こそが、その神木の花に姿を現す子守明神と勝手明神と告げて、老夫婦は南方へと消える。
   この後、替間の狂言「猿聟」が演じられる。
   後場となって、子守明神と勝手明神が現れて、桜の花を喜び、優雅に舞を舞う。さらに蔵王権現が現れ、蔵王・子守・勝手の三体は一体分身であると語って、栄え行く世のめでたさを讃える。

   嵯峨野あたりも含めて今の嵐山の桜は、ソメイヨシノが多いと思うのだが、この能の頃には、まだ、染井吉野がなかったので、詞章の謡の如くヤマザクラで、苗木の移植ではなく、実生なので、千本と言っても移植は簡単であった。
   熊野や高野詣には、大変な困苦を厭わずに、皇室も上級貴族も出かけて行ったようだが、吉野の桜は、簡便法で鑑賞したと言うのが面白い。
   昔、市村真一教授から、正調黒田節だと言って、”吉野山も嵐山も、花が咲かねば、ただの山・・・”と教えて貰ったのだが、吉野山と嵐山の桜は、最早、同格だと言うことであろうか。

   この能では、前場に、桜の立木の作り物が正先に据えられて、桜花爛漫の風情を現す。
   前場でシテであった尉(勝手)が、後場では、後ツレとなって現れ、後シテは、大飛出の凄い井出達の蔵王権現として登場する。
   美しい舞は、手に桜の枝を右手に持って登場した後ツレ勝手明神と子守明神が、はじめは橋掛かりで、途中から舞台に入って、嵐山の風光を描写して舞い、桜の枝を扇に持ち替えて天女ノ舞を相舞するところである。
   打って変って、早笛で、後シテの蔵王権現が、勢いよく舞台に飛び出して来て数拍子を踏み、両袖をかずき、払いのけたり、力強い所作ながら、シテが、舞働をしないのは珍しいと言う。
   シテは、観世芳伸、前ツレは、坂口貴信、後ツレは、角幸二郎、清水義也、
   ワキは、福王和幸、

   狂言「猿聟」は、
   全狂言師が、猿の面をつけた猿装束で登場し、舅猿・召使い猿・聟猿・姫猿・家来猿多数登場と言う賑やかな舞台で、「ギャアギャアギャア」「キャッキャッキャ」と猿言葉を交えての愉快な舞台である。
   普通の能「嵐山」の間狂言では、ただ一人のアイ/末社之神が登場して吉野千本桜の様子などを語り、目出度く三段之舞を舞い納めるといった演出だが、今回の舞台は、30分の充実した劇中劇と言う趣向で非常に楽しい舞台となっていて、大いに楽しませてくれた。

   吉野山に住む聟猿が姫猿や大勢の供猿を伴って、嵐山の舅猿の処へ聟入りにやってくる。舅との対面を果たし目出度く盃事を済ませ、酒を振舞われ祝いの宴となり、聟猿が三段ノ舞を舞うと、舅猿も立ち上がって、聟猿と一緒に舞う。
   非常に大がかりな狂言で、囃子方も能の奏者と同じで本格的であるし、パンチの利いた地謡に合わせて最後の婿猿と舅猿の相舞の素晴らしさなど、能の舞台を観ているような感じであった。

   オモアイ/聟猿は、三宅右矩、アドアイ/舅猿は、三宅右近、太郎冠者猿は、大塚出、姫猿は、三宅近成、
   野村萬斎が、地謡頭で、表情豊かに力一杯謡っていたのが印象的。

   さて、「聟入り」と言うことだが、風習が違うのか、何時も気になってみている。
   俗に言う養子になると言う 「結婚した男が妻の姓を名乗ること。入り婿となること。」とは違って、「結婚後,夫が初めて妻の生家を訪れること。また,その儀式。」と言うことらしい。
   他の聟狂言でも同じことのようだが、狂言「船渡聟」では、聟入りする聟と舅が初対面で、酒飲みの船頭の舅が、聟の持参する祝い酒を船を揺すって強引に飲んでしまって、面会時に聟舅と分かって大恥をかくと言う話を考えても、先に結婚ありきで、その後で、聟舅が面会するようである。
   学生時代に宇治に下宿をしていた時に、縣神社の暗闇祭りとか夜の奇祭とか何かで、夜這いの話を聞いたことがあるのだが、太古の昔には、色々な婚姻方式があったのであろう。
   聟入りと言う慣習が普通にあったのかどうかは分からないが、聟狂言と言うレッキとした狂言のジャンルがあるのだから、面白いと思っている。

   この日、同時に演じられたのは、人間国宝野村万作の一人狂言「見物左衛門」であった。
   素晴らしい至芸を魅せて健在。
   狂言方の人間国宝の元気さ、全く衰えを見せずに益々深まり行く芸の奥深さに、感嘆しきりである。
   
コメント
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