熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

秀山祭九月大歌舞伎・・・時今也桔梗旗揚  

2012年09月03日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   染五郎の奈落転落事故で役者に交代のあった秀山祭で、この日観た夜の部で、「時今也桔梗旗揚」の小田春永が、染五郎から歌六に変更になった。
   丁度3年前のこの秀山祭で、この「時今也桔梗旗揚」が上演され、吉右衛門が武智光秀を演じて、大体、主要な役どころは今回と同じだったと思うが、小田春永は、富十郎であった。
   謂わば、この芝居は、光秀と、徹底的な暴君で、光秀を徹頭徹尾苛め抜く偏執狂的な春永との二人の心理戦争のようなものなので、春永役者の力量によって、芝居の出来不出来が大きく違って来る。
    
   前回の芝居の富十郎の春永に対して、私はこう記している。
   ”春永・富十郎は、灰汁の強さがない分あくどさが前面に出てこないので、極端な嫌味がなく、私など、この方が良かったと思うのだが、凛として滔々と流れるような高い声音が光秀の対極にあって良い。光秀を追い詰める暴君としては、もう少し、毒々しい凄さがあっても良いかのも知れないが、台詞回しだけで十分である。”

   この芝居での春永像だが、と言うよりも、織田信長については、日本の歴史を変えた屈指の偉大なリーダーだと思っているので、元々、鶴屋南北のこの姑息極まりない春永像には抵抗があり、単なる芝居のキャラクターだからそのつもりで見ようと思って見ている。
   しかし、やはり、信長と光秀の関係を意識するとそれも、それ程単純には切り替えられないもので、その意味では、全く印象の違う若い染五郎の舞台に期待をしていた。


   さて、歌六の春永だが、私自身は、これまで歌六の芸には心服しており、高野聖の親仁や、伊賀越道中双六「沼津」の平作などでの、非常に滋味深い人間性の滲み出た演技や、任侠ものの親分や忠臣蔵など古典の重要な脇役など、貫録のある渋くて重厚な演技には感服しているのだが、今回は、少し、ミスキャストの様な気がしている。
   仮にも、春永は、天下人寸前の権力者で、光秀の上司であるから、そこはかとした威厳と貫録がなければならないのだが、如何せん、苛め抜く相手が吉右衛門の光秀であるから、冒頭から位負けしていて、どうにも軽っぽくて嫌味だけが突出してしまう。
   そうであればある程、光秀が、何故こんな詰まらない暴君に、それ程まで這いつくばって耐えねばならないのか、隙を見て切り殺せば良いではないかと思ったりしてしまって、そのフラストレーションがつのって行く。
   他の多くの舞台、例えば、義経などの様に、それ程演技をせずに登場する比較的良い役なら別だが、丁々発止の火花が散るような対決で、このような相手の主役を心理的に追いつめて行くような舞台では、少なくとも、それを越えた威厳と貫録、そして、芸格の高さが要求される筈である。

   この「時今也桔梗旗揚」は、4代目鶴屋南北の珍しい歴史物で、怪奇と言うか鬼気迫る作品の多くとは、一寸雰囲気が違っているのだが、やはり、重臣である筈の光秀に、これだけの嫌がらせと悪質な苛めに徹して、万座の前で恥をかかせると言う作品に仕上げてしまうと、悪趣味の極みと言う以外にはないような気がする。
   唯一の救いは、堪忍袋の緒が切れて、本能寺の春永を討つ決心をして、勇み立つラストシーンである。
   明智光秀については、史実上いろいろ言われているが、大半は、江戸時代の価値観で処理されてしまっているような感じで、真実は藪の中だが、同じ光秀が主人公でも、人形浄瑠璃が元になっている「絵本太閤記」になると、光秀の扱いが、もっと、人間的になっており、面白くなっている。
   いずれにしろ、太平天国で、爛熟して(?)殆ど変化が止まって沈潜し切っていた江戸の世相を色濃く反映していて興味深いのだが、私には、重い舞台である。

   吉右衛門にとっては、推敲に推敲を重ねて満を持して立った舞台であるから、一挙手一投足を噛みしめながら演じている。
   下戸である筈の光秀が、無念残念の思いをかみ殺して、馬盥の酒を飲み乾す仕草を、幸いに少し斜めの席だったので双眼鏡で大写しで表情を見ていたが、何とも言えない程険しく崩した表情で断腸の悲痛を表現していたのだが、もう、吉右衛門は、演技の域を超越していて、光秀になり切っていた。
   凄いのは、シーン展開が悲劇的な様相を加えて行くにつれて、表情が徐々に険しさを増してくるのだが、その台詞回しが、テンポと表情に少しずつ変化を兆して悲劇性と凄さが現れて来ることで、心の起伏が途切れることなく流れるように展開して、クライマックスの終局に向かうことである。

   最後の出陣で大見得を切る四天王但馬守は、前回は幸四郎で、今回は梅玉。
   いつ見ても、絵になるシーンである。

   この日の夜の舞台の最後は、
   中村芝翫を忍んで、福助の「京鹿子娘道成寺」であった。
   道成寺ものには、随分バリエーションがあって面白いのだが、これは、もっと本格的で、鐘供養から、最後には、松緑の大館左馬吾郎が勇ましい恰好で花道から登場して渡り合う押し戻しまであって、福助が、厳つい隈取をした蛇身姿で鐘の上に立ち上がって幕となる。
   五頭身くらいの芝翫の踊りも優雅で美しかった筈だが、福助の花子には、更に、スタイルの良さが加わって、非常に華やかで綺麗な舞台で、1時間をはるかに超える長丁場を楽しませてくれた。
   ところで、もう20年以上も前の舞台写真だと思うのだが、「日本の近世 伝統芸能の展開」に芝翫の「京鹿子娘道成寺」の組写真が載っているのだが、鐘の上での見得では、隈取ではなく普通の顔である。

   歌舞伎座の正面の板囲いが少しずつ外されて、新装なった古い歌舞伎座のファサードが、見えて来ている。
   後半年で、新歌舞伎座がオープンのようだが、さよなら公演と同じで、当分は満員御礼となるのだろうが、今は端境期か、空席がある。
   来月から、国立劇場も始まるのだが、顔見世もあるので、客足もまずまずであろうか。
コメント
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