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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ドイツの好況に学ぶ米国経済 NYT:The German Example

2011年06月11日 | 政治・経済・社会
   先日のニューヨーク・タイムズ電子版に、この口絵写真の「The German Example」と言う経済ニュースが掲載されていた。
   アメリカ経済の陰りが問題になり始めた時期でもあり、緊縮政策を取っているにも拘わらず、何故、財政出動している米国と比べて、ドイツの方が経済成長しているのか。1985年から、インフレ調整後のドイツの時間給は、30%増加しているにも拘わらず、アメリカでは50年代60年代とも、そのような恩恵はなく、同じ1985年からの時間給の上昇率は、たったの6%だと言うのである。

   ドイツの教訓から見えてくるのは、リベラルでも保守でもなく、両方の政策効果だと言う。
   ドイツは、経済を活性化するために、政府を上手く使って、非情とも思えるほど、財政面での無駄を削減して来ている。
   過去10年間の内、半ば頃から、米国経済の悪化とは逆に、ドイツ経済は活況を呈し始めたのだが、2007年以降の金融危機後も、ドイツでは、住宅バブルはなかったし、国家財政の赤字も少なく、第一、失業率が、米国の9.1%に対して、6.1%と低い。数学と科学に対する子供の能力は、ドイツの方がはるかに高いと言うのである。

   米国がドイツから学ばねばならないのは、政府を、もっともっと効率化することだと言う。
   長年、ドイツの失業保険制度は、多くのヨーロッパ諸国と同じように、就業意欲を失わせるほど完備してしたのだが、10年前に大ナタを振るった。
   多くのベネフィットに関して、期間や水準を切り下げて、早期引退へのインセンティブを抑えて、長い間失業していた人々を就業させるように切り替えた。
   長い間仕事についていない人については、働けるのか働けないのか調査をした。
   健康で働ける人は、それに似つかわしい仕事につけて、賃金の低い仕事についている人は、ベネフィットを切り下げ、働かない人には、更に、一層切り下げた。
   就業に対するインセンティブを高めて、従わない者には制裁を強化するなど、改革が進むにつれて、労働者が、スキルを向上させ、そのための支出を増加し始めるなど、仕事が仕事を生み、労働人口が増加して行った。

   また、ドイツ優位を示しているのは、前述の数学や科学の学力の高さで、2000年以降急速に高まり、ドイツ平均が、全米一のマサチュセッツ州よりも高く、ドイツ人の技術力の卓越性や製造業優位の源となっている。
   Pisaと言う国際的な数学、リーディング、科学テストについては、アメリカ人はピサの斜塔と言う認識しかないが、ドイツでは、国民の関心事だと言うから、そのあたりからして差が大きい。
   
   また、政府の対応も、強力な効率化対策だけではなく、アメリカは住宅バブル後の政策は煮え切らないが、ドイツでは、銀行が40%の頭金を要求するようになった。
   労働組合も比較的穏健で、ミドルクラスの賃上げも、トップの報酬アップと呼応していて、トップ1%の家庭所得は、全体の11%で、その後もこの構成比は変わっていないが、アメリカの場合には、9%から20%へとアップして格差が拡大している。

   最後の指摘は、税の差で、かっての福祉国家政策から決別して支出を切り詰めており、ベネフィットに見合った税制度を取っているので、財政赤字と国家債務は、かなり、低い。
   最近の政策は、60%の財政削減で、40%の増税である。
   贅肉を取るために、食べるのを減らして、より多くの運動をすると言う政策の追求である。

   ところで、ラグラム・ラジャンが、「フォールト・ラインズ」で、アメリカ経済の強みは、他の国と比べて、国家の福祉政策が貧弱で、失業や貧困に喘いでも、国民が、自助努力で立ち上がらなければならないところにあると論じていたが、この記事では、そのアメリカの福利厚生システムや経済社会のセイフティ・ネットでさえ、ドイツと比べれば、恵まれていて、生ぬるい、もっと切れということである。
   もっともっと、経済的に苦境にある日本においては、左派政党などが、格差の拡大やワーキングプア―問題に危機感を感じて、更なる、福祉向上政策を求めているのだが、どう考えれば良いのであろうか。
   今や、先進国ドイツでさえ、米国以上に、福祉厚生政策を切り詰めて対応しなければ、グローバル競争に勝てない、生きて行けない時代に突入したとするのなら、日本も、このまま経済停滞のまま行くのなら、皆平等に貧しく行くのか福祉を切り捨てるのか、どっちの道を歩むのか、肚を決めないと振り飛ばされてしまうであろう。

   ところで、この記事は、何も、アメリカが、ドイツに成れと言っているのではない。依然、アメリカは、世界の一等国であり、Wal-Mart, Google, Apple, Facebook, Twitter など世界に冠たるイノベイティブな企業を有する移民のメッカであり、ドイツより、はるかに豊かであると言う。
   では、何故、ダメなのか、それは、ドイツは、自分たちの弱点に対する対応に真面目に取り組んでいるが、アメリカは、そうではないと言うのである。
   銀行が、頭金支払いに対する規制に反対して、或いは、ウォール・ストリートが、金融規制の強化に水を差すなど激しいロビーイング活動を展開したり、また、民主党が、社会保障やメディケアの変更を阻止し、共和党が、税制の1990年代レベルへの回帰を拒否し、ドイツが、財政出動なしに金融危機を乗り切った貧困絶滅プログラムの大幅カットを主張するなど、今回の金融危機で、どれ程、アメリカ経済が壊滅的な打撃を受けて疲弊したかを、何も理解していないと言うのである。
   There is no getting around the fact that financial crises wreak terrible damage. It’s too late for us to prevent that damage, and it will take a long time to recover fully. It is not too late to learn from our mistakes.
   
   日本の事情も、全く同じこと。
   イギリスも、一時は、サッチャー革命で蘇ったが、日本の起死回生は、いつになるのであろうか。


   
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「題名のない音楽会」:公開録画~人気歌手による歌謡曲と辻井伸行のラフマニノフ

2011年06月10日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに、友人に誘われて「題名のない音楽会」の公開録画コンサートを聞く機会があった。
   佐渡裕のベルリン・フィル定期公演指揮と言う記念すべきコンサートの後でもあり、大変、盛り上がっていたが、現在の日本音楽を代表する歌手たちの出場する「歌い継ぎたい歌謡曲」コンサートは、私にしては初めての視聴経験であり、それに、何よりも、辻井伸行のダイナミックなラフマニノフのピアノ協奏曲第2番第1楽章の演奏と、辻井自身の作曲によるオーケストレーションされた二曲の自作自演の素晴らしさは格別であった。

   最初の「歌い継ぎたい歌謡曲~しりとり歌合戦」は、加山雄三、天童よしみ、サーカス、友近、ジェロと言った人気歌手が、入れ代わり立ち代わり色々な歌謡曲を、休憩なしで次から次へと歌い継ぐのであるから、実に楽しい。
   私の場合には、昔から、音楽と言えば、意識的には、クラシック音楽しかコンサート会場には行かなかったし、それに、カラオケにはアレルギーがあるので、それ程、歌謡曲を聞く機会は多くはないのだが、別に、嫌いでもないので、テレビやラジオは勿論、あっちこっちで聞いており、口遊んだりしていて生活の一部になっている。
   海外生活で、14年間ブランクがあり、歌謡曲を聞くのは、ブラジルやイギリスで放映されていた紅白歌合戦くらいしかなかったので、早い話、ピンクレディーやキャンディーズさえもよく知らなかった。
   ルパング島のジャングルに何十年もいた筈の小野田寛郎少尉と、サンパウロのカラオケ・ナイトクラブに行った時に、彼の方が、歌謡曲をよく知っていて上手かったのであるから、推して知るべしであろう。

   加山雄三は、私より少し先輩だが、若大将シリーズで青春を送った年代なので、彼の自作自演の歌や、スーダラ節などは懐かしき限りだが、最初に歌った「知床旅情」などは、琵琶湖周航の歌などとともに、京都での学生時代に友と安保闘争や世界平和論議で明け暮れていた時のテーマ音楽のようなものであったから、涙が零れるほど感激して聞いていた。
   海外で生活すると言うことは、あくまで異国人である日本人として生活している以上、故郷が懐かしくなるのは当然で、絶えず望郷の念に駆られれいると言うのが正直なところで、そんな時には、日本食は勿論だが、歌謡曲や小学唱歌を聞くと居ても立っても居られない程懐かしくなるし、寅さんの映画などを見ると堪らなくなってくる。
   私は、アムステルダムにいた頃、某レストランが、喜太郎の「シルクロード」を流していたので、それを聞きたくて通ったことがある。
   石川啄木が、故郷の訛りを聞きたくて上野駅に行ったと言うあの心境かも知れない。
   
   友近が、少し、パンチの利いた現代的な曲を歌っていたが、加山雄三や天童よしみやジェロの歌謡曲は、非常にオーソドックスな曲ばかりだし、サーカスの歌は、私の趣味に一番合っており、とにかく、どちらかと言えば、穏やかで大人しい歌声主体だったので、楽しませて貰った。
   それに、ピアノ、ベース、ギター、ドラムスが加わった東京フィルの伴奏が素晴らしく、佐渡裕が時々後ろを振り返りながら、楽しそうに嬉しそうに指揮していたのが印象的であった。

   ガラッと雰囲気が変わって、後半は、辻井信行をゲストに迎えたピアノ協奏曲の夕べと言うべき「佐渡裕と辻井信行の新たなステージ」と言うコンサートで、私自身は、佐渡裕の指揮は何度か聞いているが、辻井信行の演奏会は初めてであった。
   2009年6月のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで優勝したのを聞いて初めて知り、その後、テレビで、コンサート風景やドキュメンタリーを何度か見て、イメージを掴んではいたのだが、今回の舞台に接して、改めて、その才能の豊かさとピアニストとしての卓越した能力と作曲の才に感服した。
   今回演奏されたラフマニノフは、佐渡とのこの題名のない音楽会で最初に演奏された曲(その時は、第3楽章)だと言うことで、今回は、ベルリンを突破した佐渡と新境地を開きつつある辻井が再会して、もう一度ラフマニノフに挑戦して新たなステージを目指そうと言うことらしい。

   二人が語っていたが、この二月に、辻井伸行がソリストで、マンチェスター(イギリス)のブリッジウォーター・ホールで、佐渡裕がBBCフィルハーモニックを振って、このラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番を演奏した時には、切符は勿論完売で、感激した聴衆が、スタンディング・オベーションで応えたと言う。
   私は、イギリスに5年間生活していて、ロイヤル・オペラは勿論、ロンドン交響楽団やウィーン・フィルやベルリン・フィルなどクラシック音楽のコンサートには随分出かけたのだが、スタンディング・オベーションで聴衆が応えるなどと言うのは、稀有の稀有であったから、その素晴らしさと聴衆の感激ぶりは如何ばかりであったかは良く分かる。
   ラフマニノフのリリシズムを内に秘めたダイナミックなタッチが会場を圧倒していたが、あのエネルギーと紅蓮の炎のように爆発する熱情は何処から迸り出るのか、私には正に驚異であり、演奏後の赤く上気した辻井の何とも言えない表情に激しい魂の燃焼が見え隠れしていて感動した。

   この日演奏された辻井作曲の映画「神様のカルテ」のエンディング曲と、ショパンが病気療養時に、ジョルジョ・サンドと過ごしたスペインのマジョルカ島の「風の家」で着想を得たと言う同じ題名の曲「風の家」が、夫々、松谷卓と服部之の編曲でオーケストレートされて、辻井のピアノで演奏されたが、実に、温かくて優しくて穏やかな曲で、感動的であった。
   佐渡裕が、辻井のピアノを聴くと、1週間は、良い人で居られると言っていたが、一週間どころか、ずっと、人々を幸せにするような曲であった。
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六月大歌舞伎・・・「夏祭浪花鑑」

2011年06月08日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   大坂を舞台にした侠客ものだが、文楽は別として、中々、私のイメージする上方歌舞伎と言う雰囲気の舞台を見たことがない。
   今回も、関西オリジンの一寸徳兵衛の仁左衛門と傾城琴浦の孝太郎は別だが、大阪弁の雰囲気を上手く醸し出していた釣舟三婦の歌六以外は、当然のこととして、関西的なイメージは殆どなかった。
   これは、私自身の拘りで、芸とは何の関係もないのだが、何故、上方、大坂に拘るかと言うと、天神祭の頃の大阪の盛夏は、耐えられない程むし暑くいのだが、この歌舞伎の題名が、夏祭浪速鑑と銘打った以上、あの地面の底から湧きあがってくるようなムンムンした気が狂いそうな程のむし暑さを滲みだせなければ、舞台のイメージを損ねるのではないかと言うことである。
   悪い人でも舅は親。南無阿弥陀仏。凄惨な親子の殺戮劇の後の団七の言葉だが、正気を逸して気が狂っても当然かも知れないと言う、どろどろした大阪の大地と空気の香りが欲しいのである。

   ところで、これも、実際に大坂の長町裏で起きた魚屋殺人事件を題材にした芝居で、幼いとき浮浪児だったのを三河屋義平次(段四郎)に拾われ、泉州堺で棒手振り(行商)の魚屋で生計を営む侠客団七九郎兵衛(吉右衛門)を主人公とした人気舞台となっている。
   中村勘三郎が、ニューヨークで大当たりを取ったので有名だが、米国人にも、それなりに理解されたようなので、スタンダードな芝居だと言う位置づけであろうか。

   全編九段目までの狂言だが、今回も、定番と言うべきか、団七の出所と徳兵衛との義兄弟の契りの「住吉鳥居前」、徳兵衛の女房お辰(福助)が磯之丞(錦之助)の国元への同道を認めさせるために自らの顔を鉄弓で焼くシーンや、義平次に騙されて連れ出された琴浦を追っかけて団七が駆け出す「難波三婦内」、そして、義平次に追いついて諍いの末団七が義父を殺害する「長町裏」までで、その後の団七が捕われる終幕九段目までは演じられない。
   これらの舞台だけ見ていると、団七、三婦、徳兵衛の粋な男伊達侠客、そして、健気で気風の良い三人の女房、そして、どうしょうもない優男で道楽者の磯之丞と傾城琴浦が、演じる粋で見せ場の多い舞台だが、団七の生い立ちもそうだが、徳兵衛も以前は物乞いだったと言うのだから、極々普通の大坂の裏町の庶民の話であって、吉右衛門や仁左衛門と言う天下の名優が、目をむき出して大見得を切って演じるほどの大袈裟なことではないのだが、そこは、芝居の世界で、観客は、その義侠心や気風の良さ、恰好の良さに感激して拍手を送る。

   この芝居の山場と言うか見どころは、どうしても名優たちが演じる歌舞伎の伝統と芸の積み重ねによって培われた様式美にあるようで、団七と徳兵衛の立ち回りと中に割って入るのお梶たちのシーン、そして、団七と義平次との殺戮劇と義平次の死のシーン、なのであろうが、所謂、スローモーションの世界で、これでもかこれでもかと見どころ満載の見得の連続で、絵葉書や舞台写真などの恰好のシャッター・チャンスを提供してくれる。

   吉右衛門の得意とする決定版の舞台であり、義平次の段四郎の泥塗れの奮闘も中々のもので、最後の殺戮の長丁場も様式美の極致と言うか、多少、テンポの遅れともたつきが気になったが、丁寧な舞台展開で面白かった。
   仁左衛門の格好良さは、勿論だが、琴浦の孝太郎のムードのある演技が印象的であった。錦之助は、地で行く好感度の優男。
   何と言っても、三婦を演じた歌六の実に貫録のある情の籠った侠客が光っていて、私自身、何となく大坂を感じて懐かしかった。
   侠客の女房を演じた芝雀のお梶の品格、福助のお辰の粋、それに、おつぎの芝喜松の控え目な女房姿なども、三人三様の中々味のある女房役で良かった。
   
   私が今回、特に気になったのは、最後の泥場と言われる団七と義平次の殺しの場で、段四郎に台詞が入っていないので、喧しいプロンプターの声の後で思い出したように鸚鵡返しに、ワンテンポもツーテンポも遅れて、義平次が応えるので、スピード感が損なわれて、間髪を入れずに台詞が飛び交う丁々発止の舞台が、実に間が悪くて間延びしてしまった。
   これまで、歌舞伎のプロンプターについては、何度か、このブログで書いて来たが、私のように、シェイクスピア戯曲から入って歌舞伎を鑑賞し始めた人間には、どうしても、台詞が入らなくて、プロンプターに頼らなければならない芝居の世界は不思議で仕方がない。
   芝居における台詞とは、一体何なのか、最も大切な要素ではないのであろうか。  
   確かに、歌舞伎は、他の舞台芸術とは違って、視覚芸術として素晴らしさや、その洗練された様式美など、卓越した古典芸能としての特質は突出しているのだが、やはり、芝居は芝居で、台詞は、舞台芸術の命であることは無視できない。

   シェイクスピア劇は、鑑賞するのに、昔から、観に行くと言わずに、聴きに行くと言う。
   あのグローブ座のように、青天井の劇場であったから、炎天下であったり風雨の吹き晒す劇場で演じて魅せるのであるから、ハムレットの闇夜のシーンを思い出せば分かるが、台詞が総てであって、役者は、自分のセリフ回しで総てを語って演じなければならないのであるから、まともな役者なら、まかり間違っても、台詞を忘れて舞台になど立てる筈がない。(誤解を避けるために、シェイクスピア劇でもプロンプターは居る。)
   同業と言って良いのか分からないが、文楽の世界でも、浄瑠璃を聴きに行くと言う。文楽は、観に行くと言うよりも聴きに行くのである。
   大夫は、床本を読むので、当然台詞忘れなどはある筈がないが、三味線は楽譜なしであるし、とにかく、舞台芸術は、間髪入れずの即興のパーフォーマンスが命であって、観客との協創の世界が人々を魅了するのである。
   島田省吾は、「芝居ひとすじ」で、台詞が入らなくなったら舞台を降りると言っていたが、100歳近くまで舞台に立っていた。
   歌右衛門との「建礼門院」の舞台が忘れられない。
   
   誤解を避けるために、蛇足を覚悟で付記すれば、私自身、歌舞伎のプロンプターには、全く異存はないし必要だと思うのだが、他のパーフォーマンス・アートと比べて、台詞が入っていなかったり台詞を忘れて立ち往生する役者が多くて、舞台鑑賞の妨げになったり感興を削がれることが多いような気がするので、改善の余地はないのかと言うことである。
   極論を許して頂ければ、功なり名を遂げた至芸を演じる国宝級の役者を重宝するのも伝統古典藝術ゆえであることを十分に理解している心算だが、場合によっては、芸は未熟でも、機動力と俊敏さと、芸に対する新鮮な感覚・感性を備えた若手の舞台の方が魅力的であったりするし、どんどん若手を登用して、新しい芸術感覚を涵養して清新の気風を吹き込むことが大切だと思っている。
   その意味でも、昨年見た海老蔵や勘太郎、獅童、市蔵などのテンポの速い威勢の良い「夏祭浪速鑑」の舞台は、非常に魅力的であったし、かつ貴重であり、色々意欲的に展開されている若手花形歌舞伎に人気が出るのも当然であろうと思う。

   歌舞伎ファンの方には、今回の私の戯言などは、耳障りで面白くなかったと思うが、その場合は、お許しを乞う。

(追記)口絵写真は、ホームページから借用。
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佐倉城址公園のハナショウブ

2011年06月06日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   佐倉城址公園の姥が池の隣の湿地帯が、菖蒲園になっていて、6月に入ると、綺麗な菖蒲が見ごろを迎えて、静かになっていた園内が華やぐ。
   今の時点では、満開に咲き切った菖蒲もあるが、まだ、蕾の固い菖蒲も多くて、最盛期はもう少し後になるであろう。
   周りが切り立った森に囲まれており、その裾に一直線に植えられたアジサイが、まだ、咲き始めなので、これが咲き切ると、青紫の鮮やかな帯に囲まれた菖蒲園が、一層引き立って美しくなる。

   私自身、アヤメとハナショウブとカキツバタの区別を、聞いたり勉強した時には、分かったつもりでいるのだが、すぐ忘れてしまって、勘と経験だけで、決め込んで花を観賞していると言うのが正直なところである。
   ヨーロッパで見慣れているので、アイリスの方は、何となく区別がつくのだが、ハナショウブの方は、花が大きくて、大体、青系統や白系統の花が多くて、ひらひらしている感じだと思って見ている。

   私は、どうしても、一輪の完璧な花を探す習性がついていて、菖蒲園でも、これを追っかけるのだが、横からだと、ひらひら薄い花弁が、だだっ広く広がっている場合が多いので、中々難しく、それに、幅広の行列や面として沢山の花がびっしりと植えられていて、重なって見えるので、絵葉書スタイルなら別だが、写真に撮るのは、かなり、難しいのである。
   モンシロチョウが飛び交っていたが、まだ、トンボは出て来ていなかった。
   鶯が、姿は見えねど、すぐそばでしきりに鳴き続けていた。

   隣の姥が池には、びっしりとハスの葉が広がって、ところどころに、清楚な真っ白なスイレンが顔を出している。
   普段濁っている水が綺麗に澄み切っていて、沢山の亀が泳いでいる。
   朽ちた浮き木の上に、何匹かの大きな亀が甲羅干しをしていたが、皆判で押したように太陽の光に背を向けて並んでいるのが面白い。
   何を思ったのか、ウシガエルが一匹鳴きだしたら急に大合唱が始まって、ひとしきり鳴きつづけて急に静かになった。
   池も生きているのである。
   
   先日、潮来で、震災を免れた菖蒲園で催された菖蒲祭りで、花嫁舟の映像が流れていた。
   実に、風情があり情緒豊かで、日本の文化の香りがする懐かしいシーンなのだが、観光と言うイヴェント色が伴うと、何となく白けてしまって、映画のロケシーンのようになってしまう。
   以前、珍しい内は、佐原の水生植物園に良く出かけて、写真を撮っていたのだが、園内で四六時中、無粋極まりない音楽を、大音響のスピーカーで流し続けているので、堪えられなくなって、その後、行っていない。
   佐原囃子の演奏と手踊りと言ったイヴェントがあるようだが、関東でも珍しい文化観光都市としての佐原には、素晴らしい文化財が沢山ある筈なのに、ここだけは異常に観光観光していて、美しい筈だが、どうしても性に合わない。
   アヤメ祭りが終わると静かになるだろうから、スイレンを見に出かけようかと思っている。
   花は、世界中歩いてみて、静かに鑑賞するものだと言う印象しかないのだが、日本人は、何故、飲んで歌って景気を付けなければ、花を楽しめないのであろうかと思うことがある。
   
   
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トマト栽培日記2011~(8)大玉・中玉がゴルフ・ボール大に

2011年06月05日 | トマト・プランター栽培記録2011
   この写真は、デルモンテの大玉サマーキッスだが、どうにか、大玉・中玉とも、早く大きくなった実は、ゴルフ・ボール大に成長して来た。
   この果房は、もう少し様子を見て、果実を、1つか2つ間引かなければならないのだが、今年は、何故か、結実しながら、特に、大玉の場合に、途中で茎が黄ばんで落果するものが多いような感じで、花房に、1つか2つしか残っていないものもある。
   脇芽が伸びすぎて、摘まずにおいて、二本仕立てにした桃太郎ファイトの苗は、やはり、花付きも結実も遅く、やっと、上の方が一人前に花房が付き始めた。
   勿論、これは、大玉トマトでも、二本仕立てが可能かどうかの試みなので、実成りは、問題外なのだが、他の苗との比較を楽しみにしている。
   その点、中玉トマトの方は、一つの花房にかなりの結実をみるのだが、歩留まりが良い。

   ミニトマトの方は、小桃も、アミティエも、予定通り、花芽もしっかりと付き、結実も順調で、果房も少しずつ下に垂れて来た。
   イエローアイコの実は、大きいものは、殆ど既定の大きさに近づいた感じで、色つきも早いかも知れない。
   気になるのは、他のミニトマトの木と比較して、アイコやキャロル7などサカタのミニトマトの木が細くて貧弱なことである。
   昨年も、アイコとイエローアイコの木が、果実の重みに耐えかねて、支柱からずり落ちたので、引揚げて補強した記憶があるのだが、やはり、殆どの大玉トマトの木が頑健なように、沢山の実が成るので、ミニトマトにもそれなりの強さが必要である。

   ところで、ミニトマトの二本仕立てだが、副枝もしっかり伸びて来たので、殆どのトマトは二本の支柱に固定した。
   サカタのミニトマトは、大事を取って、一本仕立てのままで行くことにした。
   主柱枝の結花や結実は、一本仕立ての場合とは変わらないが、二本目の副枝の方は、やはり、大分成長しないと花房が出ないようで、少し遅れているが、2番花房以降は、普通の花房付きと変わらない。
   NHKテキストのように、結実倍増などと言うことはないと思うが、成功すれば、2~3割くらいは収穫増になるかも知れない。
   元肥で十分に手当てをしていないので、これからの施肥がポイントかも知れない。

   マイクロトマトは、元気よく、どんどん伸びて、小さなスグリのような実を沢山付け始めた。
   と言っても、背丈は、まだ、1メートルには、大分間があるのだが、とにかく、トマトを育てていると言うよりは、草花を栽培しているような感じである。
   先祖がえりというか、道端に植えれば、面白いかも知れないと思っている。

   このマイクロトマトと他のトマトの木の何本かの、下の方の葉が、やや、黄ばんできた。
   原因を調べてみると、黄ばむのは、肥料不足であるとか、カリやマグネシュームの過不足だとか、窒素不足だとか、中には、それ相応の自然の黄変だとか、色々書いてあるのだが、一応、野菜培養土を使っての栽培であり、不都合はないように思うので、薬剤を散布して、適当に施肥して、当分様子を見ることにした。

   
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2008年の危機:黒い白鳥ではなかった~ナシーム・ニコラス・タレブ

2011年06月04日 | 学問・文化・芸術
   「ブラック・スワン」の著者の追加エッセイ集「強さと脆さ」だが、セクションⅠの「母なる自然に学ぶ」のなかで、2008年の金融危機について、書いているので触れてみたい。
   「あの危機には、色々な面があったが、少なくとも黒い白鳥ではなかった。あれは、黒い白鳥と言う事象に対する無知――そして無視――の上に築かれたシステムの脆さが現れただけだ。無能なパイロットが操縦する飛行機ならいつか墜落するなんて、ほぼ間違いなく分かり切っている。」と言う。

   危機の展開を見ても、過去になかった要素は一つもなく、それまでの方が規模が小さかっただけだ。2008年の危機には、新しいところなんか一つもなかったのだから、危機から何一つ学ばないし、今後も同じ誤りを犯し続けるだろう。と言うのである。
   フランシス・フクヤマの「歴史の終わり」がなかったように、ニュー・エコノミーも金融革命も幻想だったのである。

   過去2500年、記録に残る思想の歴史上、人の手でつくられた理想郷を信じていたのは、バカとプラトン派(それに輪をかけてどうしようもない中央銀行の職員という種)だけだと辛辣だが、現存する最古のシステム「母なる自然」の教義に背けば、その報いを受けると言うことであろうか。
   「母なる自然」とは、明らかに複雑なシステムで、そこでは、相互依存と複雑系と頑健な生態系が絡み合っており、自然は、完璧な記憶を持ったまま年老いて、とても長い年月を生きて来た人みたいなもので、アルツハイマーにかかったりしない。とも言う。

   興味深いのは、母なる自然は、無駄が好きだとして、色々な無駄を列記しており、まず、「守るための無駄」として、人間の体の、目や肺や肝臓が二つずつあり予備の部品を授かっているのはその例で、普通の環境で必要になる以上の能力を備えており、いわば、保険である。
   ところが、全く逆方向の無駄は、浅はかな「最適化」で、大部分この最適化に依拠している経済学などは、科学的な厳密さに欠けて害の方が大きく、ない方がましだ。標準経済学の主要な考えは殆ど全部、仮定をいくらか変えれば、すぐに破綻すると言う。
   「ブラック・スワン」で、経済学のみならず、経済予測など予測を専門とする人々をコテンパンに扱下ろしているのだが、この「母なる自然」論から、考えてみると興味深い。

   もう少し、タレブの議論を進めると、今回の金融危機などに対しても、
   ”金融政策や補助金などの誤りを正したり、社会や経済の日常からのランダム性を取り除いたりなんてやめた方がよく、むしろ、人間らしい誤りや見込み違いは起こるままにしておいて、それが、システム全体に広がるのを防ごうと言うのが私の考え方だ。”と言う。
   つまり、これが、母なる自然のやり方で、たとえ、ボラティリティや通常のランダム性を抑え込もうとしても、黒い白鳥に振り回され易くなり、うわべは平穏だが根本的な解決にはならない。
   本物の認識主義社会、すなわち、専門家の間違いや予測の誤りや思い上がりに振り回されにくい社会であり、無能な政治家や規制当局の役人や経済学者や中央銀行の職員や銀行員や政策通や疫学者に対して、抵抗力を持つ社会を作ることが、自分の夢だと言うのである。

   もう一度、タレブの説く「黒い白鳥 THE BLACK SWAN」だが、普通は起こらないこと、とても大きな衝撃があること、そして、事前ではなく事後には予測が可能(それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまう)と言う三つの特徴を持つ。
   黒い白鳥など居る筈がないと言う常識(?)が、オーストラリアで黒鳥が発見されて、一挙に覆されてしまったのだが、今回の金融危機などは、タレブが言う如く何度も歴史上起こっていて人類は経験済みである。
   馬鹿と言うか、当事者たちが、黒い白鳥ではないと言うことを認識できなかっただけの話である。

   これと全く同じことは、今回の大震災にも言えることで、大地震も大津波も原発事故も、先刻、人類は経験済みで、黒い白鳥でも何でもなかったし、要するに、「母なる自然」の声が聞こえなかった、聴きたくなかっただけの話である。

   タレブは、”この世界の問題には一意な解が存在し、その解は黒い白鳥に対する頑健性と言う線で設計できるはずだと確信している。”と言う。
   そうでなければ、せっせと予測する輩が社会を吹き飛ばし、まぐれに振り回されるアホどもに無茶苦茶にされてしまうと言うのである。
   「母なる自然」の教えに耳を傾けずに、当たる筈のない所謂エセ専門家の予言や提言を真に受けて右往左往し、「まぐれ」に一喜一憂する人々の「脆さ」を克服して、如何に、「強い」社会を作るのか、大震災で多大な教訓を得た日本の課題だと言うことであろうか。

(追記)口絵写真は、京成バラ園。
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中嶋嶺雄著「世界に通用する子供の育て方」

2011年06月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   人間の頭脳だけしか資源のない小国日本の生きる道は、人材の育成、教育の充実以外にないと言われ続けて久しいのだが、一向に改革も進展の兆しもない。
   しかし、教育を根本的に変えて、グローバル世界で活躍できる世界に通用する人材を育成すると言う理想を、国際教養大学と言うグローバル・スタンダードの大学を秋田に創設することによって実践してきたのがこの著者・元東京外国語大学学長の中嶋嶺雄氏である。

   国際教養大学の目標は語学力と教養を磨き、世界に通用する人材の育成にあると、事も無げに仰るが、2004年に新設され、2008年に最初の卒業生を出した新進の大学でありながら、昨年の「サンデー毎日」の調査では、9項目の内「国際化教育に力を入れている大学」「小規模だが評価できる大学」ではICUを抜いてトップ、「教育力の高い大学」では、東大、東北大、京大に次いで第4位、「入学後、生徒を伸ばしてくれる大学」では、東北大、東大に次いで第3位だと言うのであるから、当然、就職率は100%である。
   授業はすべて英語で、1年間の海外留学を義務付けており、教授陣は、世界中から有能な人材を糾合していると言うことであり、2010年11月現在、111校の全世界トップクラスの大学と提携しており、留学先の選択肢は無数にあってサポート体制完備だと言う。
   更に、図書館は、24時間解放されていたり、1クラスは20人弱の少人数制であると言った日本には、皆無に近いシステムだが、大学の年間運営費は、京大の1500億円に対して、17億円に過ぎないのだと言うから驚きである。

   この国際教養大学の快挙は、大学教育システムのお粗末さが、日本の有能な若者たちの成長の芽を摘んで、あたら、有為な人財をムザムザと浪費していると言う何よりの査証ではないであろうか。

   更にユニークなのは、これだけ、英語に力を入れていても、「英語ができても、深い教養がなければ意味がない! 英語は基礎にすぎない!」として、徹底的なリベラル・アーツ教育の重要性を説き、カリキュラムに工夫を凝らしている。
   グローバル世界で通用する人材にとって、異文化を理解し、豊かな教養と広い視野を持ち、クリエイティブに発信して行けるコミュニケーション力の涵養は必須であり、更に、公共精神と道義を持った日本人を育てるべく、教養教育を重視した、総合的な人材育成を目指す場こそ、この国際教養大学だと言うことなのである。
   このリベラル・アーツ教育の必要性については、小林陽太郎さんが、アスペン・クラブの活動を通じて常に強調している点であり、このブログでも、何度も論じて来ている。
   日本の大学の致命的欠陥は、リベラル・アーツ教育の極端な軽視と、中途半端な専門教育にあることは、論を待たない。

   中嶋学長は、それ以前の問題として、学位の問題に触れて、一昔前の出世コースであった東大法学部卒の官僚や大学中退の外交官、所謂日本のエリートが、現在の国際社会で殆ど通用しないのは、学位を持っていないからだと言う。
   特に、外交官試験にパスしたので、大学を中退して外交官になるのがエリートだとした風潮など愚の骨頂だと言うことであろう。
   ノーベル賞学者で、学位のない人は稀有だが、今や、先進国は勿論、新興国でも、政財界や官界などのトップクラスは、殆ど、博士号か、少なくとも、MBAやMAを持っていると言う。
   学位のない上に、リベラル・アーツの素養に欠け、語学力などの不足でコミュニケーション力に欠けるとなれば、日本の外交官や官僚、企業のエリート達が、グローバル競争に伍して行けないのは当然で、このあたりを見て、ピーター・ドラッカーは、日本人が、一番、グローバル性に欠けていると指摘したのかも知れない。
   
   この中嶋説には、本来、大学は、人格そのものを涵養する教養教育の場であって、専門教育は、大学院で教え学ぶべきであって、大学院を出なければ学卒として認めないと言う欧米流の高等教育では常識の教育システムが念頭にあるのであって、そのために、トップに立つエリートは、学位を持っていなければならない、そうでなければ、一人前に国際舞台では通用しないと言うことである。
   それも、世界中で認知されているトップクラスの高等教育機関での学位でなければならないと言うのだから、極めてハードルが高く、最近の日本の若者の欧米留学率の急速な低下は、憂慮すべきかも知れない。
   それに、私自身、ウォートン・スクールでのMBA取得で、日本の大学の勉強とは桁外れの熾烈なものだと言う経験をしているので、日本の大学の教育制度が如何に問題多き深刻な状態にあるかを知っており、一時も早く、東大も京大も、国際教養大学並みの大学(大学院ではない)改革を試みるべきだと思っている。

   尤も、国立大学の学長であったから、既存の国立大学は伝統や教授陣の既得利権に縛られて、それに、既得権を手放したくない教授陣は大学を変えたくないので、新たな制度の導入など至難の業だと言う。
   それに、日本では、大学院の」博士課程を大学教員等の狭義の研究者養成の場と考え、「知識基盤社会の多様なニーズにこたえる人材の育成の場」と見ていないところが問題だと指摘する。

   中嶋学長は、学生が読むべき本として、何冊か紹介しているが、この本の選択には、多少の異論はあるが、この本で熱烈な思いを込めて語り続けている論点には、拍手を持って心から賛同したいと思っている。
   ヴァイオリンのスズキ・メソードに触れて、美しいものに触れることは、美しい精神を育むと、民族や文化を越えて万人に通じる芸術への情操(感性)教育の大切さを語っており、実際に海外に行く時にはヴァイオリンを持って行くのだと言う。

   私の一番印象に残った文章は、次の通り。
   ”人生で一番楽しいことは、何と言っても自らの「知的世界の広がり」です。70年以上になる人生経験からして、私はそのように思います。何歳になっても新しい知識を得ることは本当に楽しいもの。学生にこの喜びを伝えていくことが大切だと考えています。”
   私が、寸暇を惜しんで、本を読むのも、美しいものがあると聞いては、感動を味わいたくて、いそいそと出かけて行くのも、この楽しみあればこそなのである。

(追記)口絵写真は、京成バラ園。
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再び、咲き誇る京成バラ園を訪れる

2011年06月01日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   台風崩れの熱帯低気圧が去った後は、梅雨も中休みか、薄日の差す京成バラ園を、再び、訪れた。
   やはり、大雨に打たれたために、相当、バラがやられた感じで、それに、最盛期を過ぎたバラも多くて、先日と比べて、やや、生彩を欠いた感じである。
   私が出かけたのは、閉園間際の夕刻だったが、花がら摘みや整枝の為の園芸員の方々が、庭園に入っていたので、いずれにしろ、この週末くらいで、見ごろが過ぎるのであろう。
   しかし、私の庭のイングリッシュ・ローズもフレンチ・ローズも、殆ど、一番花は散ってしまったのだが、それを考えれば、まだ、京成バラ園のバラの方がしっかり咲いていて、遅咲きのバラが咲き始めているので、十分に、カラフルで見ごたえがある。

   写真を撮ろうと思えば、どうしても、綺麗な花と言うことで、全体像や、群花は、傷んだ花が入るので無理で、一輪二輪の花を探して、追っかけることになる。
   私は、元々、マクロ・レンズを使って、花のクローズ・アップ写真を撮っていたのだが、この頃は、手持ち撮影だと、どうしても、手振れの心配もあるので、精々、近寄って、花を数輪画面に入るように撮ることにしている。
   その場合にも、マクロ・レンズを使うことは少なくて、遠くても、多少クローズ・アップ写真の雰囲気に写せるので、望遠レンズを開放にして撮ることが多い。
   この京成バラ園には、私自身、僅かな時間しかいないので分からないのだが、プロやセミプロのアマチュアと言った花の写真を追っかけている人は殆ど見掛けず、流石に、携帯で写す人は少ないが、大半は、コンパクトなデジカメで、バラの写真を撮っている。
   
   ところで、私は、ヨーロッパでも、結構、あっちこっちの公園や植物園などを訪れたが、どちらかと言うと、花が咲き始める初期の頃が好きで、まだ、蕾がかなりあって、最初に咲いた花が満開と言った時期で、花がらなどが全くない状態が良いのである。
   尤も、チュリーップのように一斉に咲いて、花期が短いので一斉に散る花は良いのだが、バラのように、一本の木の花期が長くて、入れ代わり立ち代わり花が咲くような場合には、これだと、見ごろからは程遠いので、少し寂しい感じがするので、最初の花が散り始める前と言うことになる。
   以前に、日本カメラに、枯れたり萎んだバラばかりを写した写真家の作品が載っていたが、リアリズム表現と言う意味合いであろうが、醜悪以外の何ものでもなかった。
   牡丹や芍薬などと同じで、花が豪華で美しければ美しい程、枯れたり散ったりすると、その美醜の格差に愕然とすると言うことなのかも知れない。

   今日の京成バラ園のイングリッシュ・ローズは、花は咲いていたが、完全に見ごろは過ぎていた。
   咲き遅れのまともな花も残っているが、殆ど、花がら摘みで刈り取られた後の木に残る花は、実に哀れで寂しい。

   しかし、遅咲きのバラは、今は最盛期で、先日の梅雨を免れて、実に美しく優雅に咲いている。
   どちらかと言うと、ハイブリッド・ティー系の大輪のバラは、最盛期を過ぎた感じだが、野ばらやオールド・ローズなどの遅咲き種は、まだ、沢山の蕾を残して咲き乱れていて、そのひっそりとした清楚な佇まいと控え目な美しさが何とも言えない程感動的である。
   この口絵写真も、その一コマである。
   しかし、今回、この京成バラ園で、1000種類7000株と言う巨大なバラのコレクションに接して、あらゆるバラを一度に総覧した訳であるので、カルチュア・ショックもあるが、お馴染みの豪華な大輪のハイブリッド・ティー系のバラだけではなく、本来のバラである野ばらやオールド・ローズ自身が、元々、美しくて実に魅力的な花だったと言うことが、遅ればせながらも、私自身分かったと言うことである。

   このバラ園に一株植わってるが、ギヨーが1867年に作出したピンクの大輪八重の「ラ フランス」と言うバラが、ハイブリッド・ティー第1号で、これ以降がモダン・ローズと言うことだから、クレオパトラのバラは当然として、ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」のバラも、マリー・アントワネットの持つバラも、すべて、オールド・ローズなのである。
   キューガーデンには、随分通い詰めたのだが、あそこは、正に、世界の学術的な最高峰の庭園と言うことで、バラ園と言う感じの小さな庭園はあったが、美しいと思ったことは一度もなかった。植えれば良いと言うものでもないのである。

      今回、ロマンチカ ローズと言うコーナーがあるのに気付いた。
   イングリッシュ・ローズのフランス産と言うことで、多弁で香りも良いと言うことだが、私には、その差が分からなかったけれど、ミミエデンと言うびっしりと花弁の詰まった中輪で、花の真ん中はピンクで周りの花弁が白い実に優雅なバラが、シュラブ植えと円柱に張り付いたつるバラ仕立てで植えられていて、興味を感じて見ていた。
   ところが、この花をガーデン・コーナーで売られている鉢植えで見た時、何となく貧弱に感じてしまったのだが、やはり、バラの美しさにも、それ相応のボリューム感が必要なのだと言うことが分かったような気がした。

   庭園のバラには、大分くたびれたバラの花があることを書いたが、当然のこととして、この販売用の鉢植えのバラの花は、そんな野暮な花はついておらず、みんな綺麗に開花した花ばかりが咲いている。
   これが、バラ園のバラ園たる所以で、花がらだけになっても、平気で売っている園芸店との違いであろうか。
   やはり、この京成バラ園でも、6号鉢の開花バラは、3500円以上しているようだが、苗木の方は、2000円そこそこで、花がついている新苗もあるが、秋まで花を待つ気なら、この方が良いかも知れない。
   人気品種の新苗は、早々に完売していて、消えていたが、庭園で花を確認してノートに書き付けた人たちが、新苗を探していた。
   バラ鑑賞だけではなく、熱心なバラ・ファンも結構来園しているようである。
   ところで、この京成バラ園だが、やはり、やや、都心から離れている所為か、シーズンによって、大きく、入園料に差をつけているところが面白い。
   
   

   
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