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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

台頭するブラジル(仮題 BRAZIL ON THE RISE)(10) トロピカル・ライフスタイル~その2 ビーチ

2011年06月16日 | BRIC’sの大国:ブラジル
   ブラジルでは、原住民トゥピ族が紀元前9500年頃から、内陸部のジャングルや山岳地域を避けて海岸線に住んでいて、その後も、ブラジル人は、海のないようなところであろうと何処に住んでいても、ビーチを作り、大きな川の岸辺にビーチ文化を作ると言う。
   ブラジル人にとってのビーチは、古代ギリシャのアゴラのようなもので、公共の場でも最もパブリックで、そのためにも、最もデモクラティックなところだとみなされているのだと言う。

   ビーチは、伝統的に、偉大な社会の平等の場だと考えられていて、人類学者のロベルト・ダマッタは、そこでは、老いも若きも、金持ちも貧乏人も、あらゆる職業や地位の人間が、全く同じように、裸同然の姿で肩を摺り寄せて、防御も偽装もすることなく、会い見えるところだと言っている。
   ブラジルのビーチは、米国や南アのように、人種によって正式に分離されていないし、貧乏人を排除することもなく、1988年憲法には、ビーチは、ブラジル人総意の委託によって国民に所有される公共の土地だと規定されていると言うのである。

   まず、ブラジルの原則的な建前を述べて、実はと言って、現実をどんでん返しで語るのが、著者ローターのやり方だが、これも、これまでの議論は、原則であって、実際は、かなり、複雑だと言うことである。
   すなわち、現実には、階級、人種、年齢、男女の違いや、或いは、偏見などによって、ビーチに対する対応に差があり、特に、リオでは、それが顕著である。
   リオでは、イパネマとコパカバーナのビーチが有名だが、ほぼ半マイル毎に地区が護衛ステーションで区切られ、12POSTOに分かれていて、夫々地区毎に、違った社会的経済的な種族がその文化をアピールしていて、毛色の変わった異種族の人間を寄せ付けないと言う。
   このPOSTOにも、格式表示がなされてプレスティージに差があり、9番ポストがトップで、格式の高い高級なビルにいるセレブや金持ちの子供たちが、大晦日のどんちゃん騒ぎで、海岸通りの歩道に向かって卵を投げつけている光景をYou Tubeで見られるようだが、決まって標的になるのは、貧しい身なりの人々だと言う。

   ところで、ブラジル人は、アメリカ人と違って、ビーチに来ても、いくら、良い天気で波が穏やかであっても、水の中に入らない。
   前述したように、ブラジル人にとってビーチは、リクリエーションの場ではなく、広場や街角のような公共の、社交の場なのである。
   結婚式が執り行われたり、政治家がキャンペーンを張ったり、ビジネスの宣伝広告の場であったり、空には、広告バーナーを棚引かせた飛行機が飛んでいたり、販促員が、街頭で日用雑貨などの試供品を配っていたり、それに、音楽家や街頭芸人たちが芸を披露するなど、正に、広場そのもので、ブラジル人たちは、あっちこっちに屯して、飲んだり食べたり喋ったりして、一日をビーチで過ごすと言うことである。

   ところで、興味深いのは、このような、ビーチ・コミュニティとも言うべきパブリックの場が、有効に機能するのも、サーバント・クラスの貧しいビーチ労働者があってこそなのである。
   人々がビーチに到着すると、キオスクの人たちが、椅子や日よけテントなどを貸出し、お馴染み客には、既に、場所を設定して準備しており、ビーチの砂上で屯する客には、売り声も派手に、飲み物やアイスクリームやサングラス、Tシャツ、ローション等々を行商露天商たちが売り歩く。
   しかし、これらの露店商人たちは、労働者階級が住む遠い郊外から来ており、妻や子供たち家族全員が、売るための飲み物やカバブなどの食べ物を家で総がかりで作り上げている。夏シーズンには、彼らは、ビーチで寝て料理をして、遅日の月曜日にだけ家に帰る。
   リオ、サルバドール、レシフェと言った長い海岸線を持つ沿岸の大都市の外れのビーチに、彼ら低級労働者であるサーバント階級の住居地帯があるが、大半は、製油所や化学工場がある工業地帯であったり、岩が飛び出ていたり、公害に汚染されたりした劣悪な状態であり、更に、リオのファベーラに住む最貧階層は、糞尿やバクテリア塗れのラモスのようなビーチに行くのだと言う。

   私がサンパウロに住んでいた時は、しばしばリオを訪れたが、治安も悪かったし他での用事もなかったので、殆ど、コパカバーナの高級ホテルに滞在して、高級ビジネス街で仕事をしていたので、リオの暗部は知り得なかった。
   しかし、リオの豪華な高層ビルが立ち並ぶ美しいコパカバーナやイパネマの街の背後には、びっしりと、貧民窟の密集するファベーラが並んでいて、その富と貧が併存する奇妙なブラジルの景観に、強烈なカルチュア・ショックを覚えた。
   あの黒いオルフェのサンバ・グループが、このファベーラから降りて来て、リオの繁華街で踊り明かすのだが、水と油の異様なミックス社会の現状は、今でも、殆ど変っていないと言うから驚きである。
   文明国では、山の手が高級街だが、未開国家や遅れた国では、インフラが伴わないので、海岸線にしか高級街や繁華街は作れないのである。

   むしろ、最近では、ファベーラの急速な拡大によって、増加の一途を辿る灰燼や廃棄物が、エリート階層が住むビーチや住環境を汚染し、時には、麻薬ギャングの抗争による犠牲者の肉片が、ビーチを洗うことがある。
   それに、悪質な盗難が横行し、ファベーラから降りて来た若者たちの集団強盗も頻発しており、抵抗すれば、手ひどい被害を受けるだけだと言う。
   リオは、世界に冠たる観光地であるから、政府や国民も名誉回復のために、あらゆる手を打っているようだが、あまりにも酷い社会的経済的格差が存在しており、それも、目の前で厳然とその格差と差別を見せつけられている以上、貧困層や劣悪な労働環境に置かれている底辺の人々の、生活水準や生活環境を、根本的に向上させない限り、問題の解決にはならないであろう。

   リオでのオリンピックでの治安が、問題視されている。
   今でも、サンパウロでは、治安が悪いと友人が言って来ているのだが、経済社会の底辺を底上げする以外に解決法はない筈。
   ブラジルでは、貧しい底辺から這い上がったルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァが大統領になって以降、現在のジルマ・ヴァナ・ルセフ大統領も、圧政に苦しんだ歴戦の闘志であり、弱い者たちの地位向上と生活水準のアップに必死に取り組んでおり、ブラジルの奇跡的な成長も、このあたりにあり、大いに、期待できると思っている。
   
   話が、また、横道にそれてしまったが、いずれにしろ、トロピカルの陽光燦々と輝く真っ青なビーチが、ブラジル人にとっては、最高の生活舞台であることには変わりはない。
   飛行機の窓から見たリオの光景は、本当に美しかったし、アマゾンの延々と続くジャングルとともに、私の強烈なブラジル・イメージの始まりであった。
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