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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

アメリカ資本主義を築き上げたのは泥棒男爵~ポール・スタロビン

2010年01月11日 | 政治・経済・社会
   ファリード・ザカリアと同じように、アメリカ後の世界を展望した興味深い本が、ポール・スタロビンの「アメリカ帝国の衰亡」、原書のタイトルは、そのものずばりの「AFTER AMERICA」である。
   冒頭のアメリカの台頭と凋落のところでの論旨が、非常に面白くて、日本の経済社会の推移とも良く似ていて、参考になるので、この点を踏まえて、日本の将来を考えてみたい。

   歴史上の「もしも・・・」が、すべてアメリカに有利に働き、時として相手の不運がアメリカに思わぬ幸運を齎して、アメリカと言う超大国は、「そもそも偶然に生まれた帝国だった」と言う著者の視点が非常に興味深いのだが、そのアメリカの時代がピークを過ぎて、世界のいたるところで、既にアメリカ後に向けた動きが始まっていると言う前提で、アメリカの覇権が終焉を迎えた後の世界を展望している。
   多極化世界の実現や世界政府の誕生など色々な仮説を展開しているのだが、これらの論点については、後日、ブックレビューで論じてみたい。

   さて、アメリカが世界で最も豊かな国になったのは、1905年で、この時点で、一人当たり国民総生産で、当時の覇権国家イギリスを追い越して「アメリカの世紀」が幕を開けた。
   スタロビンは、アメリカ経済が急成長したのは、普遍的な経済原則をうまく使いこなした結果でも、自由市場のマジックでもなんでもなく、今日の中国やインドに急速な発展を齎したのと同じ、混沌たる経済環境の産物だったのだと言う。
   独立後、経済社会の発展のために、イギリスの法制度や経済社会体制やシステムを積極的に導入したのだが、実際には、経済が一気に拡大した19世紀のアメリカほど法が軽視された社会はなく、その時代の産業を支配したのは、法の論理ではなく、泥棒男爵や胡散臭い三流実業家たちの論理だったと言うのである。

   泥棒男爵とは、19世紀後半以降、石油産業を独占して巨万の富を築いたジョン・ロックフェラーや私利私欲のためなら不正取引をも厭わなかった大物実業家や銀行家たちに与えられた侮蔑的ニックネームである。
   スタロビンは、彼らが如何にして法を操作し、如何に法の精神を蔑ろにしたか、一貫して政府の力の及ばないところで事業を展開し、徹底して不正な取引を行っていたかは、大陸横断鉄道敷設事業が如実に物語っていると言う。
   これら泥棒男爵が牛耳っていた独占資本システムを、更に補強するために作られたのが国際金融センターの「ウォール・ストリート」で、アメリカが最も混乱を極めていた南北戦争の時代に誕生し、政府の規制外で成長した。
   (ロンドンの金融センター「シティ」も、同じような似たり寄ったりの必ずしも誇れない歴史を持っているようで、このあたりは、浜矩子教授の「ザ・シティ金融大冒険物語」を読めば面白い。)
   金融危機の張本人としてオバマ大統領が、greedyだと糾弾しなくても、ウォール・ストリートは、そもそも誕生からして、由緒正しい(?)のである。
   
   20世紀後半から、軍事目的で開発されたインターネットを民間に開放して引き起こされた産業革命、すなわち、ICT革命が、自由市場経済を標榜するアメリカの企業家精神に火をつけて、再びアメリカ経済を活性化させて、マイクロソフトやインテルと言った先進的な企業を生み出し、更に、グーグルなど多くの21世紀型の企業を排出し続けている。
   これらのダイナミックな動きも、泥棒男爵とは全く違う風土土壌だが、アメリカには、自由な天地を求めて、下克上を厭わずに、縦横無尽・自由闊達に企業活動が出来る自由市場と言う環境があったればこそで、ドラスチックに古い経済社会を破壊しつつ新しい活路を切り開きながら、快進撃を続ける中国やインドと同じような土壌が、息づいていると言うことであろう。
   「清水、魚棲まず」で、弱肉強食、下克上の混沌状態の経済社会の方が、バイタリティがあって、これこそ、ケインズの言う「アニマル・スピリット」の発露を誘発する。なまじっか、社会全体が、小賢しくなって、革新的経営戦略の追求など経営の質の向上ではなく、表面面の内部統制システムにばかり腐心しているような社会には、夢のある明日を生み出すパワーがないと言うことであろうか。

   21世紀に入って、小泉竹中経済路線で、市場原理を活性化しようと言う動きが功を奏したのか起業やベンチャーが活発化したのだが、ホリエモンや村上ファンドを叩き潰してしまってからは、全く、泣かず飛ばずで、新規事業や新産業の登場は鳴りを潜めて寂しくなってしまった。
   最早、日本には坂の上の雲がなくなってしまったかのようである。
   更に困ったことには、不況の影響で株価が低迷して、企業の時価総額が異常に下落してしまって、今や日本の名門企業もバーゲン価格となり、何時でも、中国やインドのバーゲンハンターや、技術や販路を渇望している新興国企業のM&Aの標的と成り下がってしまっている。
   
   さて、話は飛ぶが、何故、アメリカが凋落して行くのかと言うことについて、スタロビンは、フロンティアと楽観性の消失が重要な要因だとしている。
   生命のリスクをも厭わぬパイオニア精神を涵養してきたフロンティア、そのフロンティアを追い求めて来たアメリカも年齢を重ねて、愈々、「フロンティア後」の世界に入り込んでしまった。小学校で「鬼ごっご」は駄目だと言うような過保護社会が全米に蔓延し、アメリカ人がリスクを避けるようななって、リスクにどれだけ耐え得るかと言う「リスク耐性指数」が異常に下落してしまったと言うのである。
   また、「世界一楽観的な国」であったアメリカが、中国やインドなどの新興国や発展途上国に遅れを取って、アメリカより悲観的なのは、パレスチナ人、独仏伊と日本だけになってしまったと嘆いている。

   このスタロビンの話は、アメリカの話なのだが、全く、日本に当て嵌まる話であり、まだ、若さと活力が残っているアメリカと比べて、名実ともに老体化している日本の方が、もっと深刻な筈だと言う気がしている。
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寿・初春大歌舞伎・・・夜の部

2010年01月10日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   正月の歌舞伎座は、和服で正装をしたご婦人客が多い所為か、何となく華やいだ雰囲気が良い。
   鳴り物入りで宣伝されていた歌舞伎座の建て替え工事で、愈々、この4月公演が、この劇場での最後の「さよなら公演」になるとかで、松竹も、意欲的な舞台を展開して楽しませてくれている。

   昼の部と少し違って、夜の部の出し物は、舞踊と荒事に比重がかかった感じで、物語性のある芝居は、最後の切られ与三郎とお富さんの「与話情浮名横櫛」だけであって、正に視覚的で美しい極彩色の歌舞伎の舞台を堪能すると言う趣向である。
   「京鹿子娘道成寺」は、艶やかで感動的な勘三郎の白拍子花子の舞に、團十郎の豪快な押戻しが加わって「道行から押戻しまで」であり、正に、豪華絢爛たる錦絵の世界の現出である。
   派手な隈取をした荒事スタイルの團十郎が、太い青竹を持って揚幕から登場し、花道で、鐘から出て来て怨霊と化した勘三郎の花子と向き合い睨み合って、本舞台まで押戻して怒りを静めると言う舞台展開で、見得を切って幕を閉じる。
   これまでに何度か、他の芝居でも、團十郎の押戻しを見ているのだが、江戸時代の人々が荒事を好んで見ていたのも、怨霊や妖怪を押戻して退治すると言う神をも恐れぬ力強さに、勧善懲悪を見て感激していたからであろう。
   私が、始めてみた勘三郎の舞は、ロンドンでの鏡獅子だったが、今回は、これまでよりも、もっと艶やかな華やかさが出ていて、勘三郎の芸域の広さ奥深さに驚嘆した。

   「菅原伝授手習鑑」の「車引」だが、これこそ、正に荒事の典型とも言うべき、そして、極彩色の豪華絢爛たる歌舞伎そのものの世界で、ストーリーと思想なり哲学さえも垣間見えるシェイクスピアが見たらびっくりすると思うのだが、一時間以上も演じられるが、話の筋など殆ど何もないような、見せる舞台である。
   吉田神社の朱色玉垣の前で、斎世親王の舎人桜丸(芝翫)と菅丞相の舎人梅王丸(吉右衛門)が出会い、不遇をかこっている所へ、互いの主人を追い落とした憎い藤原時平(富十郎)が通りかかったので、乗り物の牛車に襲い掛かろうとするところへ、二人の兄弟である松王丸(幸四郎)が止めに入る。
   時平の威勢に身をすくめた二人を、松王丸は切ろうとするが、時平に許されて、4人は、朱色の玉垣と鳥居をバックに豪快な見得を切って幕となる、と言ったところである。

   しかし、時平は公家荒れ、松王丸はニ本隈、梅王丸は筋隈、桜丸は剥き身と言った調子で、主要登場人物は全員隈取して、全幕が荒事仕立てで、派手なパーフォーマンスを演じ続ける。
   一番見栄えがする豪快な立ち振る舞いで観客を圧倒するのが、最も派手な隈取で、力漲った凄まじい強力の数々を披露する梅王丸で、吉右衛門の素晴らしい演技が光っている。
   桜丸は、和事の演出が取り入れられていて、パーフォーマンスが優雅で優しくて、女形が演じることが多いのだが、最重鎮の芝翫が、初役らしいが、実に若々しくて溌剌とした舞台を努めていて感動的である。とにかく、顔の表情の素晴らしさは抜群で、錦絵から出てきたような典型的な歌舞伎顔(?)で、写楽が生きていたら、素晴らしい絵を描いていただろうと思う。
   後半から登場する閻魔大王(?)のような公家装束の時平の富十郎の威厳と品格、そして、三つ子の兄弟ただ一人敵方にいる、白地に松の衣装の松王丸の幸四郎の格調のある豪快さなど、とにかく、4人の歌舞伎界を代表する名優ががっぷりと組み合って最高の舞台を作り出しているのだから、これ以上の荒事のパーフォーマンスなど望み得ないであろうと思う。

   私は、どちらかと言えばストーリーのある舞台の方が好きなので、最後の「与話情浮名横櫛」は、楽しませて貰った。
   伊豆屋の若旦那与三郎(染五郎)が、木更津の浜見物で、顔役赤間源左衛門の妾お富(福助)に会って、二人は一目ぼれ。逢瀬を重ねる二人の仲に気付いた赤間に、与三郎は瀕死の重傷を負わされ、お富は身を投げるが、和泉屋多左衛門(歌六)に助けられる。
   その3年後、与三郎が、小悪党の蝙蝠安(彌十郎)に強請りに連れてこられたのが、和泉屋に囲われているお富の所。  
   染五郎が、実に粋な格好で福助に近づき、
   「え、御新造さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、いやさ、これ、お富、ひさしぶりだなぁ。」と口火を切って、どっかりと舞台中央に胡坐をかく。
   「しがねぇ恋の情けが仇、命の綱のきれたのを・・・」からの与三郎の心情を吐露した長台詞が心地よいのだが、春日八郎の「お富さん」の歌の文句がダブって懐かしい。
   和泉屋に、二人の関係はと聞かれて、苦し紛れに「兄妹」と答えて誤魔化すのだが、実は、和泉屋が、お富の実の兄。与三郎とお富は、よりを戻すのだが、相思相愛であり続けていたのが、救いの爽やかな物語である。 
   余談だが、一目惚れは、直覚の愛。長く生き続ける命の輝きかも知れない。

   前に、梅玉と、確か、時蔵のしっとりとした情緒のある舞台を見たのだが、今回は、染五郎と福助で、一寸、若返っているが、少しニヒルで匂う様にいい男の染五郎と、やや年増ながら女の魅力と色気を漂わせた福助の絡みが新鮮で、非常に面白かった。
   それに、脇役を固めている芸達者な役者たちの芸が実に素晴らしい。
   このような親分肌の人格者をやらせれば、風格と言い貫禄と言い並ぶもののない歌六、重厚な性格俳優ばりの彌十郎の実に意表をついた軽妙で芸達者なチンピラ小悪党、それに、ドサクサに紛れてお富を口説こうとするコミカルタッチの番頭藤八の錦吾、威勢のよいいなせな鳶頭金五郎の錦之助。
   非常に情緒豊かな舞台で楽しませて貰った。

   ところで、最初の「春の寿」だが、女帝で久しぶりに元気な姿を見せる筈だった雀右衛門が、初日から休演と言うことで残念だったが、魁春が、風格のある素晴らしい舞台を勤めていた。春の君の梅玉と、花の姫の福助が、絵のように美しいパーフォーマンスを見せて格調高い舞踊を披露していたのも、新春のサービスであろう。

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鳩山総理の新年メルマガに思うこと

2010年01月09日 | 政治・経済・社会
   小泉首相の時から読み続けているのが首相官邸のメルマガだが、当然、鳩山首相のメルマガも読んでいる。
   非常に平易な会話調だし、代筆ではなく御自身で書いていると言うことなので、肉声の語り掛けだと思っている。
   
   さて、新年第一号では、藤井財務大臣の退任を皮切りに、「新成長戦略」への思いの説明に終始している。
   先に、この民主党の「新成長戦略」については論述したので、蛇足は避けるが、鳩山首相自身の言葉に対して、多少感想なしとしないので、その点に限って記してみたい。

   まず、冒頭の「(この戦略の)基本方針は、これまでの企業側(供給サイド)に偏っていた政策の発想を、国民のみなさまの生活(需要サイド)を中心とした発想に、人間のための経済に変えていくこと」だと言う発言である。
   これは、経済団体の新年会での挨拶でも、同じような発言をしたのをTV放送で見たのだが、この認識は、経済学的にも、経済政策的にも、殆ど、意味を成していないと言うことである。
   国民経済計算には、三面等価の原理原則があって、国内で生産された財やサービスは、必ず生産と同額の支出がなされており、また、生産で生まれた付加価値は全て賃金や企業所得などに分配されるので、生産、支出、分配の三つの面から把握されるのだが、この三面は等価である。
   このため、GDPは、企業などの生産活動から見ても、家計の消費支出や企業の設備投資などの支出側から見ても同額になるのだが、国民所得統計は、この支出サイドから把握しており、生産サイドから、国民経済を見れば、全く違った実像が浮かび上がってくると言う認識を持つべきと言うことが、まず、重要である。
   
   ところで、供給サイドと言う言葉だが、アルビン・トフラーの生産消費者の概念を取り入れれば、企業側イコール供給サイドと言うのは成り立たないのだが、今の国民所得概念から言えば、当たらずと言えども遠からずなので、これは、良しとしておこう。
   しかし、需要サイドとは、確かに、個人消費(住宅を含めるとして)がGDPの60~70%を占めているので過半だが、他に、企業による設備投資や在庫投資、そして、公共投資などの公的需要があり、経済政策上は、この後者の二項目が、極めて重要な役割を果たしている。
   ここで指摘したいのは、国民のみなさまの生活イコール需要サイドではないと言うことで、ここに大きな誤解があり、国民にカネをばら撒けば、即需要となって経済を活性化すると言う民主党の考え方は、あまりにも短絡過ぎると言うことである。
   
   市場原理は、サプライサイド経済学を支える重要な概念ではあるが、マーケット・メカニズムの有効なフル活用は資本主義経済の基本であり、経済の発展のためには必須の概念なのだが、イスラム原理主義などの表現と良く似ていて、極端に走る悪いものは全て×××原理主義で片付けようとする悪い風潮がある。
   しかし、今日の日本の格差社会が生まれたのは、決して、供給サイド重視の経済政策の結果ではなくて、むしろ、サプライサイド経済政策を蔑ろにして、企業家精神を生み出せずイノベーションへのインセンティブを殺いできた日本経済の貧弱極まりない産業政策にあり、グローバルベースでの同時好況と発展の潮流に乗り切れなかった日本経済の不況停滞の結果なのである。
   経済史を紐解けば、人類社会の発展は、産業革命にあるとすれば、その牽引力となったのは、全て、供給サイドによるイノベーションであったことを考えれば、このことが良く分かる。


   私は、国民生活を重視した国民の福祉の向上と幸せを指向した公平で平等な経済社会の構築のための厚生経済学的な政策には、全く異論はなく賛成である。
   しかし、果敢な企業家精神の発揚と、企業の投資意欲の高揚とイノベーションの活性化によって活発な経済成長を促進しない限り、日本の発展は有り得ないと思っている。
   民主党は、「新成長戦略」で、名目3%、実質2%の経済成長で2020年にGDP650兆円経済への成長を企図しているが、こんな低い経済成長で(尤も、これさえ無理かも知れない)、膨大な財政赤字を少しでも解消できると考えているのであろうか。(小学生でも、計算が合わない事が分かる。まして、金利が上昇すれば、目も当てられないし、益々国債の暴落の危機を避けえなくなる。)

   鳩山首相は、「日本の強み」を生かすとして、世界に冠たる日本の技術と言う表現をしている。
   年頭TV座談会で、日本電産の永守社長が、ちらりと、技術優位は必ずしもそれだけでは優位にならないと言ったような発言をしていたが、これこそが、日本経済の正にアキレス腱ではなかろうかと思う。
   発明発見が素晴らしくても、死の谷やダーウィンの海を突破出来なくて、イノベーションに到達出来ない日本企業の悲劇に加えて、ソフトや綜合力の欠如やグローバルベースでのシステムアプローチが出来ずに、ディファクト・スタンダード、世界標準を取れないなど、日本の素晴らしい頭脳や科学技術が、無残にも、世界場裏のあっちこっちで討ち死にして、どんどん遅れている。この現実をどう見るのか。 

   グリーン・イノベーション、健康長寿社会、人を大事にする政策等々、心地の良い響きのする政策を連発しているのだが、一々、感想を述べていると果てしないので止める。

   一つだけ、蛇足ながら付言しておくが、鳩山首相の偽装献金問題。
   現在、日本企業が全社を挙げて必死になって対応している問題の一つは、内部統制問題への対応で、企業のトップが、組織の業務の適正を確保するための体制を構築するためのシステム作りとその維持に腐心している。
   経営者が、組織の目的を果たすため、法律行為や財務報告の誤りや不正を防止するために、組織の内部統制システムを怠ると罰せられることになっている。
   知らなかったと言う逃げ口上は絶対に許されないと言うシステムの構築で、知らなかったと言うことをいくら繰り返して説明しても説明責任を果たしたことにはならないと言うことは当然で、ましてや、自分の管理統率する組織・活動団体の財務会計を知らなかったなどとは、口が裂けても言えないと言うことである。(これは、企業だけではなく、全ての組織に適応すべき原則である筈。)

   モラル欠如は論外として、脱税が問題となっており、相続税隠しだとか言われているが、自分の組織さえまともに内部統制出来ずに、全くガバナンス欠如も甚だしいが、果たして、もっと大きな日本のガバナンスは、大丈夫なのであろうか。
   しかし、問題は、それでも、鳩山首相に舵取りをお願いした方が、今までよりはマシだろうと思える悲しさである。
   

   
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猛威を振るう欧米の大寒波に思う

2010年01月07日 | 海外生活と旅
   期待されていたCOP15が、殆ど収穫なしに終わったのだが、これを嘲笑うように、欧米に大寒波が来襲し、特に、クリスマス休暇の交通を遮断して、多くの人々の楽しみを奪ってしまった。
   ユーロトンネルの列車停止など、考え及ばなかったのであろうが、自然の猛威には、最新鋭の交通システムも無益だったのである。
   この口絵写真は、アサヒ・コムからの借用だが、ワシントンの大雪は珍しいのではないかと思う。
   私にも、寒さだけではなく、欧米の気候や自然の営みに日本とは違った新鮮で面白い経験をしているのを思い出した。

   私が経験した最も厳しい冬は、アムステルダムでの氷点下21度で、家の中の水道管が破裂して、家の中が水浸しになってしまった。
   それに、その朝、車の鍵穴が凍り付いて、キーが刺し込めなくなったので、熱湯をぶっ掛けたのだが、瞬時に凍り付いてしまった。
   この年、幸いにこの寒さのお陰で、オランダ全土の運河が凍りついたので、開けなかった全運河回遊のスピード・スケート競争が、久しぶりに蘇って、オランダ中を熱狂させたのである。
   我が家の隣にも運河があって、氷が張ると地元のオランダ人に混じって、家内や娘たちも一緒に滑っていたが、全オランダの運河が凍り付いて繋がると言う事は、珍しい。
   
   しかし、北国のオランダは、元々、寒いのである。
   赴任間際の頃、ホテル住まいをしていたけれど、家族を呼び寄せたので、新居に移ったのだが、全館暖房のガスバーナーが点火出来ずに、娘たちに毛布と布団をぐるぐる巻きにして寝かせた経験がある。
   バーナーの修理の仕方が分からなかったのだが、それよりも、何処に連絡すれば良いのか分からなかったし、まして、オランダ人の修理工が、真夜中に来るわけがない。
   一度だけ、ドカ雪が降ったのだが、オランダ人の子供たちはそりを引いて遊んでいたので、娘たちにも買ってやったのだが、とうとう、その後一度も降らなかったので、粗大ごみになってしまった。

   パリもベルリンも、随分寒いと感じたが、何故か、長く住んでいたイギリス、特に、ロンドンで寒いと思った経験がない。
   温かいメキシコ湾流に洗われている島国である所為かもしれない。
   イギリスで一番期待を裏切ったのは、霧のロンドンと言うイメージで、この雰囲気を味わったのは、5年間の内たったの1日だけであった。
   石炭でストーブを暖めていたメリー・ポピンスやビビアン・リーのウオータールー・ステーションの時代は、とうに過ぎ去ってしまっていたのである。

   フィラデルフィアの冬も寒かった。
   丁度、冷蔵庫の底を歩いているような感じで大学院に通った記憶がある。
   ところが、ペンシルベニア大学のクリスマス休暇のバスツアーで、この極寒のフィラデルフィアを出発して南下したのだが、南に行くにつれてどんどん温かくなって、フロリダの南端のキーウエストに着いた時には、ビーチでは、海水浴客で賑わっていたのには、びっくりしてしまった。
   アメリカは、途轍もなく大きな国で、こんな国と太刀打ちできる筈がないと思った。
   
   ところで、何度か、アラスカのアンカレージに出かけて仕事をしたが、この極北の都市でありながら、覚悟して出かけたものの、2月の極寒の季節でも、それ程、寒いとは思わなかった。
   巨大なアラスカ鉄道に乗ってマッキンレーの麓あたりまで出かけたのだが、雪に包まれた大地は、かなり、温暖なのかも知れないと思った記憶がある。
   しかし、しばらく、レストランなどで食事をして、出てくると、車の窓にはびっしりと氷が張り付いていて、レイキのような形をした金属性の小さな鍬状の器具で、窓ガラスをごしごしとそぎ落とすようにして、氷を落とすのにはびっくりした。
   それに、冬場でも、建設中のビルに覆い家を被せて工事をするのも面白かったが、逆に、水面下の多い土質の悪いオランダでは、必ず杭を打つので、冬になったら地面が凍りついて杭が入らないので工事が止まるところなど、気候風土の影響は地方夫々であった。

   ヨーロッパの歳時記は、春に向かってのもののようだが、とにかく、陽の光を見ることの殆どない、毎日がリア王の世界のように暗く陰鬱なの冬なのに、更に、極寒の大寒波と大嵐が追い討ちをかけると、人生真っ暗な筈で、この冬の大自然の驚異は、正に脅威であったのだろうと思う。
   
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民主党の新成長戦略に思う

2010年01月05日 | 政治・経済・社会
   民主党が、新成長戦略を閣議決定して、年末に発表した。
   経済の成長戦略不在と揶揄された民主党が、駆け込みで発表した所為か、当日は、各メディアで概説的に報道されたものの、その後、殆ど忘れ去られたような雰囲気で、国民が、真面目に受け取っていないことが良く分かって興味深い。
   中身については、自民党時代に各分野から発表され、自民党なり政府なりが方針としていた項目を羅列したり、どこかの省庁がぶち上げていた未来図を借用したり、あるいは、巷に氾濫する政治経済関係本で提案されている諸説などを整理して纏め上げたと言った感じで、辛口に極論すれば、大方の人が到達するであろう提言なので常識の域を出ず、まずまず、及第点を取った学生の論文と言った感じである。

   しかし、内容は、最善かどうかは別にして、十分傾聴に値する重要な成長戦略であることには間違いなく、問題は、提言されている政治の強力なリーダーシップ(今、鳩山内閣に最も欠如している資質)を発揮して、確固たる確信を持って毅然たる態度で実行・実現できるかどうかであろう。

   私が、真っ先に疑問に感じたのは、まず、冒頭の部分で、経済学が分かっている人が書いた文章ではなかろうと言うことである。
   100年に一度のチャンスと銘打った「新需要創造・リーダーシップ宣言」と言うタイトルはまずまずとしても、今日の日本を駄目にした呪縛が、2つの道による成功体験であったとして、第一の道の公共事業による経済成長と、第二の道の2000年代の「構造改革」の名の下に進められた供給サイドの生産性向上による成長戦略であると経済学の常識を疑うような論旨を展開していることである。
   政官財癒着による公共事業主体の土建国家政策が、今日の借金塗れの財政破綻の元凶であり、市場原理主義による弱肉強食の競争社会を作り上げて目も当てられないような格差拡大を惹起した小泉竹中経済政策が許せないと言う気持ちは、分からない訳ではない。
   しかし、これは、その殆どが、成長から見放されて老衰化した日本経済のなせる病根であり、無為無策と言うべきか、適切な経済政策に基づいて政治が行われなかった結果起こったことであって、総需要サイドを重視したケインズ経済学にも、経済発展を指向したサプライサイド経済学にも、全く罪はなく、日本の政治経済社会政策の舵取りが悪かっただけのことである。
 
   戦後の日本経済成長の軌跡とそれを取り巻く世界経済の激動を考えれば分かることだが、坂の上の雲が消えて成熟期に突入して更に老衰化した日本経済が、共産体制の崩壊、冷戦の終結、更に、IT革命、BRIC’s等の新興国の台頭等々によって急速にグローバル化した新潮流逆巻く激動の地球環境に付いて行けなくなってしまったことが、最大の痛恨事であろう。
   特に、革新的な経済産業構造を構築出来ず、かつ、根本的な構造改革に手をつけられずに、相変わらず打出の小槌のように小手先だけの公共投資で景気を支えて来た無為無策の経済政策の失敗は致命的と言うべきである。

   この苦境から脱出すべく登場した小泉竹中の日本版サプライサイド経済政策だが、自由な市場原理を働かせて日本経済社会構造に活を入れて活性化しようとした新しい試みが、共同体意識ともたれ合い意識の強い保守的な日本には馴染めず、更に、疲弊し切った不況に喘ぐ日本経済を直撃して、益々、病根を深くしてしまった。
   一億総中流と中産階級主体の平等社会を謳歌していた日本を、先進国最悪の貧困国家・格差社会にしてしまったのである。
   しかし、この新成長戦略で民主党が謳う第三の道を実現するためにも、この自由市場経済を活性化して経済の供給力をアップして経済成長を指向しようとするサプライサイド経済政策は必須であり、正に活用次第で威力を発揮する経済理論であって、間違っているとは思っていないし、あの小泉内閣の時代にも、日本経済を起死回生するために(やり方が拙かっただけで)、日本が一度は劇薬として仰ぐべき道だったようにも思っている。

   このサプライサイド経済学は、諸説紛々で定かではないが、市場万能主義に近いオーストリア学派やフリードマン流のマネタリスト的な思想をも色濃く内包した自由市場経済の機能や活力を生かして経済の供給局面を高めて経済成長を実現しようとする考え方で、スタグフレーションに喘いでいたアメリカの起死回生を狙って1970年代に生まれた経済学で、私が丁度、フィラデルフィアのウォートン・スクールにいた頃で、ギルダーやラッファーの本を読んだ記憶がある。
   私の信奉していたシュンペーターのイノベーション論を補強する理論でもあると思って興味を持ったのだが、この時、経済は、需要と供給のバランスなり均衡が重要であり、ケインズ流経済学の需要サイドの経済学ばかりではなく、供給サイドから掘り下げる経済学も重要であると思った。

   その後、レーガン、サッチャーなどの市場経済原理を重視した経済政策が全盛を誇りながら突き進み、冷戦終結、IT革命等を経て、一挙に、経済社会をグローバル化し、住宅バブルに端を発する世界的な金融危機に追い込んで破局を向かえ、今再び、ケインズ経済学が蘇って来ている。
   昨日のニューヨークタイムズの社説「Avoiding a Japanese Decade」で、燭光が見え始めたとは言え、アメリカ経済は依然脆弱状態にあり、もっと積極的な追加経済活性化政策を打たないと、日本の失われた10年の二の舞になるぞと、オバマ政権に発破をかけているのだが、膨大な財政出動に益々抵抗を強めている議会との、ケインズ政策への鬩ぎ合いが興味深い。
   要するに、少なくとも、現在では、資本主義経済を有効に活用して現在社会を維持して行くためには、自由市場メカニズムが有効かつ適切に働くようにガバナンスを効かせながら、需要サイドを重視したケインズ流の経済学と、供給サイドを重視したサプライサイド経済学的な考え方を基にした経済政策を打つのが肝要であろうし、私は、これに、シュンペーターのイノベーション流の成長経済戦略を活用するのが有効ではないかと思っている。

   本論の民主党の第三の道である「需要」から成長への道だが、2020年までに、環境・健康・観光の三分野で100兆円の「新たな需要の創造」により雇用を生み、国民生活の向上に主眼を置く「成長戦略」だとしている。
   民主党の頭の中には、現状の日本経済が、35~40兆円の需給ギャップの存在ゆえに苦境にあり、この需要不足を埋めることが最大の眼目だと考えているようで、これは、子供手当て・高速料金無料化などの家計需要の後押し政策とも呼応している。
   しかし、これまで、何度も論じているので蛇足は避けるが、衰弱期に入ってしまった日本経済には、需要出動経済政策は、殆ど焼け石に水であり、まして、民主党のこのような間接的需要促進策は、フル活動せずに相当部分が市場経済から漏れて消えて行き、更なる投資や消費の誘発力が弱いので、その効果は薄い。

   ところで、第三の道の環境・健康・観光だが、需要創造のためには、カネの裏打ちのある有効需要の創出が必要だと言うことで、民主党は需要が無限にある分野だと言うが、それは、空手形のニーズなりウオントであって、直接需要の創造には直結しない。有効需要を生み出すのが至難の業であるから、経済不況なのである。
   この分野での有効需要を生み出すためには、サプライサイドである企業に強力なインセンティブを与えてイノベーションを促進するなど、生産性をアップして安価で質の高い製品やサービスを提供できるようにすることが肝要で、そのために、法整備など支援体制を整えるとともに、膨大な公共支出を振り向けてサポートしなければならない。
   熾烈なグローバル競争に打ち勝つためには、民主党が唾棄する市場原理主義をも超克すべき気概を持って日本企業を叱咤激励すべきであって、第三の道など、格好の良い道などはない。(中国やインドは、、正に、弱肉強食の市場原理主義の権化として、日本を追撃している現状を直視すべきであろう。)
   とにかく、形振り構わずに、日本全体が挙って、ニーズとウオントを有効需要に変え得るような魅力的なものやサービスを、グローバル・ベースで開発して需要を創造しない限り、ブレイクスルーはないのである。
  
   成長戦略実行計画の作成は、これからのようだが、打ち上げた花火が大きいけれど、早くしないと、このままでは、益々日本経済は沈没して行く。
   
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2010年の世界経済~ニューズウィークから読む

2010年01月03日 | 政治・経済・社会
   ニューズウィークの年末年始号は、「新年の世界を読む」特集で、今回は、キッシンジャーとクリントン国務長官とのインタヴュー記事に始まり、各分野のアメリカの最高峰の識者を筆者に起用して論陣を張る素晴らしい編集で、私は、毎号楽しみにしているのだが、今回は、世界経済に関係する記事を中心にして、雑感を記してみたいと思っている。
   因みに、以前は、ロンドンのTHE ECONOMISTの世界予測の雑誌を愛読していたのだが、これも、素晴らしい雑誌であった。

   国際版編集長であり「アメリカ後の世界」の著者でもあるファリード・ザカリアの「世界はなぜ崩壊しなかったのか」と言う問題提起が非常に面白く、「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマも言及しているのだが、今回の住宅バブルに源を発する未曾有の世界的な金融危機後の大不況が、今では、世界がそれ程変わったようにも思えず、世界中を震撼させた30年代の大恐慌とはまるで様変わりだと言うことである。

   世界経済が素早く立ち直ったのには、複数の要因の相乗効果だとして、まず、ザカリアは、大恐慌の教訓に学んだ各国政府が30年代の再現を避けると言う決意の元に、金融政策や財政政策を通じて経済へのテコ入れを大幅な拡大させたことを指摘する。
   しかし、もっと重要な要件は、92年の経済後退、98年のアジア危機、98年のロシア債務不履行危機、2000年のITバブル崩壊等の危機を乗り越えることが出来たのは、グローバル・システムが、幾つかの安定要因を内包して頑丈になっていたからだとして、その要因は、大国間の平和、70年代にインフレを押さえ込むことに成功したこと、そして、テクノロジーが発展して世界の結びつきが強まったことだと説くのである。
   世界の人々が、平和と経済成長で獲得した恩恵を手放すまいと思い始めたのみならず、BRIC’s等の新興国が力を付けて分別を持って経済を運営してきたことが大きく、
   むしろ、世界の国々に散々説教を垂れて来た先進国の失敗と無様は特筆すべきで、これら既存の大国が、今後、巨額の公的債務と低成長などの自国の深刻な経済問題を如何に解決するかが、今後10年の最大の課題だと言うのである。

   フクシマは、失業率は高いが復調の兆しが見え、消費者や企業にも自信が戻ってきたのは良いのだが、むしろ、早過ぎて、危機が本当に深刻なレベルに達しなかったので、アメリカや世界が本格的な変革に手を付けられずに、経済危機を招いた高リスクのビジネス・システムの改革・規制や、陰で糸を引く権力者を打ち負かすなどの悪を温存したままになってしまうことを憂えている。

   ガイトナー財務長官は、ウォール街ばかりに目を向けて実体経済対策は無視したと言われて、昨年2月の景気対策法に触れて、教育、エネルギー、環境、医療など長期的な成長が期待される重点分野への投資戦略も打って来たと抗弁しているのが面白い。

   さて、本題の経済のセクションの冒頭は、ロバート・ルービン元財務長官の論文だが、やはり、健全な財政・金融政策の実現への提言などに力点が置かれている。
   自分も委員の世銀の成長開発委員会の成長モデル分析を紹介して、長期にわたり7%以上の成長を続けた途上国の共通した成功要件は、市場経済への継続的な移行、政府の健全な財政・金融政策、大規模な公共投資とグローバル化への積極的な対応、高い貯蓄率と活発な投資、政治の安定と法治主義、幅広い所得分配の重視を挙げているのだが、さて、そんな優等生の途上国があったのかどうか。
   いずれにしろ、健全な市場経済モデルが最高だと考えていることは事実で、その良さを最大限に生かすために不可欠な長期的政策課題として、健全な財務・金融政策のほかに、経済成長のための公共投資の重要性や、国際協調に基づく適切な経済政策の大切さを強調している。
   興味深いのは、競争力の強化と経済成長を力説する反面、労働者の賃金上昇などより公平な所得分配と人々の経済的安定など厚生経済政策にも注視していること、
   そして、相互依存が強まる現在の世界で重要な多国間の問題を解決するためには、地球レベルの「よきガバナンス」が欠かせないと説いていることである。
   きちんと機能する国内統治と国際統治こそ、自由な市場経済モデルの最終目標だと言うのだが、勝手気ままに振舞って来て、世界経済を無茶苦茶にしてきたアメリカが、言うべき言葉ではなかろうと思うのだがどうであろうか。

   非常に面白いのは、次のロバート・シラーの「私たちが懲りずに何度でもバブルに踊らされる理由 Why We'll Always Have More Money Than Sense」で、バブルが膨らむのは、世界はこんなに良くなったと言う景気の良い話を大勢の人が信じた時で、みんな一番美味しい話に群がり、バブルが弾けても同じ方向に走り続ける、人間も動物だから群れを成す習性があるなどと言った話である。
   昔から、オランダのチューリップ・バブルは、新聞雑誌の普及、1921年の株価暴落はラジオ放送開始などと言ったメディア・通信システムの発展と呼応しており、最近のIT革命によるインターネットや高速データ通信、更に、ツイッターやフェースブックなどに増幅されて狂乱演出か?と語っている。
   所詮経済学は不完全な科学で脱線することが多いとして、市場は何でも知っているとした「効率的市場仮説EMH」を揶揄っているのだが、
   後のバレット・シャルダンが、「マーケットは人間と似た者同士」と言うエッセイで、これに代わるものとして、進化論的生物学を通して市場を見ようとする「適応的市場仮説AMH」を紹介している。

   ジム・オニールが「BRICs時代はこれからが本番」で、世界経済危機もチャンスに変えて成長する新興国は経済的にも政治的にも益々大きな存在になると説き、
   ザカリー・カラベルが「カネ余り現象が呼び覚ます危険な連鎖」で、もう既に、バブルが始まっており、政府機関がジャブじゃ場に市場に投入した過剰な資金の流れが「自信バブル」を膨らませていると警告を発している。

   今回は、紹介だけに終わってしまったが、これを踏まえて、次に、民主党の新経済成長戦略を論じたいと思っている。
   いずれにしろ、たかが週刊誌の筈のニューズウィークの質が如何に高いか、日本の週刊誌の体たらくを感じざるを得ない心境である。
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元旦の鎌倉の賑わいを垣間見て

2010年01月02日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今回の年末年始は、鎌倉で迎えた。
   最近毎年、大晦日の午後から上野に出て、ベートーヴェンの交響曲全曲演奏会”ベートーヴェンは凄い!”を聞きながら、休憩時間にアメ横に行って、大晦日の買い物風景を見たりしながら年越しをしていたのだが、今回は、興味を失ってしまったので行かずに、家族と、久しぶりに紅白歌合戦を見ながら静かに過ごした。
   紅白は、ブラジルでもロンドンでも放映されていたので見ていたが、オランダなど他の土地の時には、ビデオ録画して送って貰って見ていたので、演歌など懐かしい歌などを聞くと、無性に、望郷の念に駆られて聞いていた海外生活の頃の思い出が走馬灯のように頭を駆け巡り胸が熱くなってしまった。

   鶴岡八幡宮への元旦の参賀者が200万を越すと報道されていたので、最初は外出はしなかったのだが、折角の機会なので、雰囲気を味わおうと、元旦の午後外出して鎌倉駅の方に向かった。
   丁度、吾が居所は銭洗弁天に近いので、銭洗弁天に向かう観光客が、日ごろの3倍くらいの人々であろうか、元旦参賀のコースなのかは知らないが、結構多くの人々と途中で行き交った。
   何処から現れたのか、石焼き芋の露店が3軒、一つは夫婦経営の屋台でもう二つは釜を乗せた老人たちのリヤカー、が出て商売をしていた。
   良く晴れた日とは言え、寒いので、途中の飲食店が休業でもあり、一寸した盛況で列が出来ていた。

   鎌倉駅の西口方面は、かなり閑散としていて江ノ電鎌倉駅も通常並みの混み具合だが、ガードを超えて東口に出ると大変な人出で、駅前のバスやタクシー乗り場もどこかへ追いやられて、全く駅頭に車がなくなり、若宮大路も含めて完全に歩行者天国。
   小町通は、身動きが取れないほどの混雑振りだが、その入り口で、キリスト教であろうか、「キリストを信じ、救われよ」と大書した黄色い幟を立てて、いつものように、「神が人間を裁く日が近づいています。・・・悔い改めなさい。」とか、「神は信じるものに、永遠の命を授けます。」とか何とか、私には、良く分からないことを大音響で語りかけている。このような幟とスピーカーを持った若い男性が、何人か、街頭に立ったり、歩行者の列に紛れて歩きながら、同じ口調の録音音声の鸚鵡返しを繰り返している。
   確かに、神頼みが目的(?)で八幡宮に向かう人々が大半なのだろうが、このチグハグなキリスト教の教宣プロパガンダが、意味をなすのであろうか。
   これとは関係ないのだが、なぜか、観光客かどうかは分からないが、八幡宮に向かう外人客が結構多いのには、一寸驚きであった。

   ところで、歩行者天国になった段葛とその両側の若宮大路にも人並みで一杯である。
   どうにか、三ノ鳥居をくぐって本宮への表参道を人を掻き分けて進めども、流鏑馬馬場あたりからびっしりと人人で埋め尽くされていて、入場制限しているので、一歩も前に進めない。
   この口絵写真は、そのあたりから本殿を遠望したものだが、途中の舞殿を経て、大銀杏を左に見て大石段を上って本殿に近づくなどは、大変なことでどのくらい時間がかかるか分からないのだが、人々は文句も言わずにじっと並んで待っている。

   私など、元々、参拝目的で来ていないので、右に折れて、源氏池の池畔を歩いて国宝館の方に出たのだが、池畔にも社務所横の参堂にも、表参道の左右と同じように大変な数の露店や屋台が出ていて、人々で大変な賑わいである。
   大半は、和洋折衷の軽食関係の屋台だが、占い師の小屋や、みやげ物店など丁度寅さんの世界を髣髴とされる夜店の露店など様々で、見ていると面白い。
   広島のお好み焼きの屋台など行列が出来ていて、焼き鳥屋の隣の囲いの椅子席などでは、メートルの上がった客で賑わっている。
   また、疲れ果てて、建物の犬走りに人々がずらりと並んで憩いを取っているのだが、遠くから来たのであろうか、大きな荷物を持った人なども座り込んでいて、初詣も大変だと思いながら通り過ぎた。

   因みに、太鼓橋の右手の源氏池沿いのぼたん苑はオープンしていて、ここだけは人ごみから完全に隔離された感じで、別世界を醸し出していた。
   しかし、寒々としていて、花を楽しむと言う雰囲気にもなれなかったので、日をあらためることにした。

   初詣だが、私など、会社の時には、役員の団体で、明治神宮などに仕事始めの日に出かけたことがあったが、人ごみには耐えられないので、成田さんのそばに住んでおりながら、元旦は勿論、初詣さえしたことがない。
   結局、この日も、同じ道を鎌倉駅まで取って返し、途中で、思い切って、人ごみで殆ど前に進めない小町通りに出て帰ったのだが、とにかく、初詣への日本人のエネルギーは、大変なものであることが分かった。
   若宮大路両側は勿論、小町通りの商店は、殆ど開店していて、大変な賑わいであった。
   私は、帰ってコーヒーでもたてて頂こうと、丁度、源吉兆庵の店頭で売っていた福袋を一つ買って帰った。

   途中、日ごろは空いているスターバックスが、銭洗弁天の帰り客で、待ちの列が出来ていたのにはびっくりしたのだが、帰りの混雑を考えれば、小休止して憩いたい気持ちは良く分かる。
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