ニューズウィークの年末年始号は、「新年の世界を読む」特集で、今回は、キッシンジャーとクリントン国務長官とのインタヴュー記事に始まり、各分野のアメリカの最高峰の識者を筆者に起用して論陣を張る素晴らしい編集で、私は、毎号楽しみにしているのだが、今回は、世界経済に関係する記事を中心にして、雑感を記してみたいと思っている。
因みに、以前は、ロンドンのTHE ECONOMISTの世界予測の雑誌を愛読していたのだが、これも、素晴らしい雑誌であった。
国際版編集長であり「アメリカ後の世界」の著者でもあるファリード・ザカリアの「世界はなぜ崩壊しなかったのか」と言う問題提起が非常に面白く、「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマも言及しているのだが、今回の住宅バブルに源を発する未曾有の世界的な金融危機後の大不況が、今では、世界がそれ程変わったようにも思えず、世界中を震撼させた30年代の大恐慌とはまるで様変わりだと言うことである。
世界経済が素早く立ち直ったのには、複数の要因の相乗効果だとして、まず、ザカリアは、大恐慌の教訓に学んだ各国政府が30年代の再現を避けると言う決意の元に、金融政策や財政政策を通じて経済へのテコ入れを大幅な拡大させたことを指摘する。
しかし、もっと重要な要件は、92年の経済後退、98年のアジア危機、98年のロシア債務不履行危機、2000年のITバブル崩壊等の危機を乗り越えることが出来たのは、グローバル・システムが、幾つかの安定要因を内包して頑丈になっていたからだとして、その要因は、大国間の平和、70年代にインフレを押さえ込むことに成功したこと、そして、テクノロジーが発展して世界の結びつきが強まったことだと説くのである。
世界の人々が、平和と経済成長で獲得した恩恵を手放すまいと思い始めたのみならず、BRIC’s等の新興国が力を付けて分別を持って経済を運営してきたことが大きく、
むしろ、世界の国々に散々説教を垂れて来た先進国の失敗と無様は特筆すべきで、これら既存の大国が、今後、巨額の公的債務と低成長などの自国の深刻な経済問題を如何に解決するかが、今後10年の最大の課題だと言うのである。
フクシマは、失業率は高いが復調の兆しが見え、消費者や企業にも自信が戻ってきたのは良いのだが、むしろ、早過ぎて、危機が本当に深刻なレベルに達しなかったので、アメリカや世界が本格的な変革に手を付けられずに、経済危機を招いた高リスクのビジネス・システムの改革・規制や、陰で糸を引く権力者を打ち負かすなどの悪を温存したままになってしまうことを憂えている。
ガイトナー財務長官は、ウォール街ばかりに目を向けて実体経済対策は無視したと言われて、昨年2月の景気対策法に触れて、教育、エネルギー、環境、医療など長期的な成長が期待される重点分野への投資戦略も打って来たと抗弁しているのが面白い。
さて、本題の経済のセクションの冒頭は、ロバート・ルービン元財務長官の論文だが、やはり、健全な財政・金融政策の実現への提言などに力点が置かれている。
自分も委員の世銀の成長開発委員会の成長モデル分析を紹介して、長期にわたり7%以上の成長を続けた途上国の共通した成功要件は、市場経済への継続的な移行、政府の健全な財政・金融政策、大規模な公共投資とグローバル化への積極的な対応、高い貯蓄率と活発な投資、政治の安定と法治主義、幅広い所得分配の重視を挙げているのだが、さて、そんな優等生の途上国があったのかどうか。
いずれにしろ、健全な市場経済モデルが最高だと考えていることは事実で、その良さを最大限に生かすために不可欠な長期的政策課題として、健全な財務・金融政策のほかに、経済成長のための公共投資の重要性や、国際協調に基づく適切な経済政策の大切さを強調している。
興味深いのは、競争力の強化と経済成長を力説する反面、労働者の賃金上昇などより公平な所得分配と人々の経済的安定など厚生経済政策にも注視していること、
そして、相互依存が強まる現在の世界で重要な多国間の問題を解決するためには、地球レベルの「よきガバナンス」が欠かせないと説いていることである。
きちんと機能する国内統治と国際統治こそ、自由な市場経済モデルの最終目標だと言うのだが、勝手気ままに振舞って来て、世界経済を無茶苦茶にしてきたアメリカが、言うべき言葉ではなかろうと思うのだがどうであろうか。
非常に面白いのは、次のロバート・シラーの「私たちが懲りずに何度でもバブルに踊らされる理由 Why We'll Always Have More Money Than Sense」で、バブルが膨らむのは、世界はこんなに良くなったと言う景気の良い話を大勢の人が信じた時で、みんな一番美味しい話に群がり、バブルが弾けても同じ方向に走り続ける、人間も動物だから群れを成す習性があるなどと言った話である。
昔から、オランダのチューリップ・バブルは、新聞雑誌の普及、1921年の株価暴落はラジオ放送開始などと言ったメディア・通信システムの発展と呼応しており、最近のIT革命によるインターネットや高速データ通信、更に、ツイッターやフェースブックなどに増幅されて狂乱演出か?と語っている。
所詮経済学は不完全な科学で脱線することが多いとして、市場は何でも知っているとした「効率的市場仮説EMH」を揶揄っているのだが、
後のバレット・シャルダンが、「マーケットは人間と似た者同士」と言うエッセイで、これに代わるものとして、進化論的生物学を通して市場を見ようとする「適応的市場仮説AMH」を紹介している。
ジム・オニールが「BRICs時代はこれからが本番」で、世界経済危機もチャンスに変えて成長する新興国は経済的にも政治的にも益々大きな存在になると説き、
ザカリー・カラベルが「カネ余り現象が呼び覚ます危険な連鎖」で、もう既に、バブルが始まっており、政府機関がジャブじゃ場に市場に投入した過剰な資金の流れが「自信バブル」を膨らませていると警告を発している。
今回は、紹介だけに終わってしまったが、これを踏まえて、次に、民主党の新経済成長戦略を論じたいと思っている。
いずれにしろ、たかが週刊誌の筈のニューズウィークの質が如何に高いか、日本の週刊誌の体たらくを感じざるを得ない心境である。
因みに、以前は、ロンドンのTHE ECONOMISTの世界予測の雑誌を愛読していたのだが、これも、素晴らしい雑誌であった。
国際版編集長であり「アメリカ後の世界」の著者でもあるファリード・ザカリアの「世界はなぜ崩壊しなかったのか」と言う問題提起が非常に面白く、「歴史の終わり」のフランシス・フクヤマも言及しているのだが、今回の住宅バブルに源を発する未曾有の世界的な金融危機後の大不況が、今では、世界がそれ程変わったようにも思えず、世界中を震撼させた30年代の大恐慌とはまるで様変わりだと言うことである。
世界経済が素早く立ち直ったのには、複数の要因の相乗効果だとして、まず、ザカリアは、大恐慌の教訓に学んだ各国政府が30年代の再現を避けると言う決意の元に、金融政策や財政政策を通じて経済へのテコ入れを大幅な拡大させたことを指摘する。
しかし、もっと重要な要件は、92年の経済後退、98年のアジア危機、98年のロシア債務不履行危機、2000年のITバブル崩壊等の危機を乗り越えることが出来たのは、グローバル・システムが、幾つかの安定要因を内包して頑丈になっていたからだとして、その要因は、大国間の平和、70年代にインフレを押さえ込むことに成功したこと、そして、テクノロジーが発展して世界の結びつきが強まったことだと説くのである。
世界の人々が、平和と経済成長で獲得した恩恵を手放すまいと思い始めたのみならず、BRIC’s等の新興国が力を付けて分別を持って経済を運営してきたことが大きく、
むしろ、世界の国々に散々説教を垂れて来た先進国の失敗と無様は特筆すべきで、これら既存の大国が、今後、巨額の公的債務と低成長などの自国の深刻な経済問題を如何に解決するかが、今後10年の最大の課題だと言うのである。
フクシマは、失業率は高いが復調の兆しが見え、消費者や企業にも自信が戻ってきたのは良いのだが、むしろ、早過ぎて、危機が本当に深刻なレベルに達しなかったので、アメリカや世界が本格的な変革に手を付けられずに、経済危機を招いた高リスクのビジネス・システムの改革・規制や、陰で糸を引く権力者を打ち負かすなどの悪を温存したままになってしまうことを憂えている。
ガイトナー財務長官は、ウォール街ばかりに目を向けて実体経済対策は無視したと言われて、昨年2月の景気対策法に触れて、教育、エネルギー、環境、医療など長期的な成長が期待される重点分野への投資戦略も打って来たと抗弁しているのが面白い。
さて、本題の経済のセクションの冒頭は、ロバート・ルービン元財務長官の論文だが、やはり、健全な財政・金融政策の実現への提言などに力点が置かれている。
自分も委員の世銀の成長開発委員会の成長モデル分析を紹介して、長期にわたり7%以上の成長を続けた途上国の共通した成功要件は、市場経済への継続的な移行、政府の健全な財政・金融政策、大規模な公共投資とグローバル化への積極的な対応、高い貯蓄率と活発な投資、政治の安定と法治主義、幅広い所得分配の重視を挙げているのだが、さて、そんな優等生の途上国があったのかどうか。
いずれにしろ、健全な市場経済モデルが最高だと考えていることは事実で、その良さを最大限に生かすために不可欠な長期的政策課題として、健全な財務・金融政策のほかに、経済成長のための公共投資の重要性や、国際協調に基づく適切な経済政策の大切さを強調している。
興味深いのは、競争力の強化と経済成長を力説する反面、労働者の賃金上昇などより公平な所得分配と人々の経済的安定など厚生経済政策にも注視していること、
そして、相互依存が強まる現在の世界で重要な多国間の問題を解決するためには、地球レベルの「よきガバナンス」が欠かせないと説いていることである。
きちんと機能する国内統治と国際統治こそ、自由な市場経済モデルの最終目標だと言うのだが、勝手気ままに振舞って来て、世界経済を無茶苦茶にしてきたアメリカが、言うべき言葉ではなかろうと思うのだがどうであろうか。
非常に面白いのは、次のロバート・シラーの「私たちが懲りずに何度でもバブルに踊らされる理由 Why We'll Always Have More Money Than Sense」で、バブルが膨らむのは、世界はこんなに良くなったと言う景気の良い話を大勢の人が信じた時で、みんな一番美味しい話に群がり、バブルが弾けても同じ方向に走り続ける、人間も動物だから群れを成す習性があるなどと言った話である。
昔から、オランダのチューリップ・バブルは、新聞雑誌の普及、1921年の株価暴落はラジオ放送開始などと言ったメディア・通信システムの発展と呼応しており、最近のIT革命によるインターネットや高速データ通信、更に、ツイッターやフェースブックなどに増幅されて狂乱演出か?と語っている。
所詮経済学は不完全な科学で脱線することが多いとして、市場は何でも知っているとした「効率的市場仮説EMH」を揶揄っているのだが、
後のバレット・シャルダンが、「マーケットは人間と似た者同士」と言うエッセイで、これに代わるものとして、進化論的生物学を通して市場を見ようとする「適応的市場仮説AMH」を紹介している。
ジム・オニールが「BRICs時代はこれからが本番」で、世界経済危機もチャンスに変えて成長する新興国は経済的にも政治的にも益々大きな存在になると説き、
ザカリー・カラベルが「カネ余り現象が呼び覚ます危険な連鎖」で、もう既に、バブルが始まっており、政府機関がジャブじゃ場に市場に投入した過剰な資金の流れが「自信バブル」を膨らませていると警告を発している。
今回は、紹介だけに終わってしまったが、これを踏まえて、次に、民主党の新経済成長戦略を論じたいと思っている。
いずれにしろ、たかが週刊誌の筈のニューズウィークの質が如何に高いか、日本の週刊誌の体たらくを感じざるを得ない心境である。