
私が、大学時代に興味を抱いた本の著者が、二人いる。
一人は、私の専攻であった経済学のシュンペーター、もう一人は、歴史学者のアーノルド・トインビーである。
経済学については、ケインズやミルトン・フリードマンなどが、一世を風靡していたので、この方面も一生懸命に勉強したつもりだが、私は、シュンペーター、それに、好きだったガルブレイスの本や関連書を読む方が多かったように思う。
シュンペーターは景気循環論、資本主義・社会主義・民主主義、それに、経済分析の歴史と言ったところだが、殆ど、私が生まれた頃の著作で、経済発展の理論やイノベーション論に非常に興味を持った。
大学では、マル経の授業が多かったし、近経では、ケインズ主体で、計量経済学などが華やかなりし頃で、卒論は、ハンセンにお世話になったが、私の関心事は、やはり、シュンペーターであった。
それ以降、私の勉強テーマは、経済社会の発展とイノベーションで、この関連専門書を読み続けてきたのだが、今でこそ、シュンペーターが脚光を浴び始めているものの、殆ど、関心を払われたようなことはなかったと思う。
もう一方のトインビーだが、「歴史の研究」を読んで、これも、歴史や文明の発展論に非常に触発されて、特に、「挑戦と応戦」と言う理論展開が気に入った。
この考え方は、ダーウィンの適者生存の理論とも呼応していて、シュンペーターの経済発展論、そして、創造的破壊のイノベーション論とも非常に関係性があるなど、色々な考え方が出来るのだが、壮大な歴史絵巻を縦横無尽に展望できる面白さは格別である。
何故か、最近、このような壮大な人類の歴史や文化文明の発展論に興味を持ち始めており、最近、移転を見越しての蔵書を整理していると、結構、世界史関連本が出て来る。
今、レビューを続けているアセモグルとロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」は、経済学者と政治学者のスケールの大きな全世界史を包含した文化文明論であるから、経済を学んだ私にとっては、正に、興味の尽きないトピックスなのである。
これまでにも、このような関連の本を結構読み続けてきたつもりなのであるが、どうしても、経済史的な側面から、世界の歴史を考えることが多いので、テーマが大きく広がると、益々、興味津々となる。
アセモグルなどは、第二章の「役に立たない理論」で、エコロジストで進化生物学者のジャレド・ダイアモンドの「地理説」を否定しているが、ダイアモンド自身が、この本を推薦しており、積読でまだ読んでいないダイアモンドの「明日までの世界」「文明崩壊」「銃・病原菌・鉄」全6冊を、読み始めようと思っている。
ダイアモンドの描いている世界を、私自身、それ程歩いたわけではないのだが、例えば、ラテン・アメリカでは、マヤやアズテック、インカなどの遺跡へは行って多少は見ているし、ヨーロッパやアジアなどの異文化にも結構触れる機会が多かったので、興味深く読めると思っている。
まだ、ある。読みたくて読みかけの本が。
マット・リドレーの「繁栄」、ニーアル・ファーガソンの「文明」。
当然、昔、挑戦したトインビーの「歴史の研究」(勿論、6000ページを超える何十冊もある大作の原典ではなく、サマヴェル版3巻本だが)を、読み返そうと思っている。
移転のために、過半の蔵書を処分しなければならないのだが、書店に行けば、これまでのように、あいも変わらず、また、新しい本に手が出る。
一種の病気だと思うのだが、幸いにも、歳の割には、目が良いものだから、後どこまで読書を続けられるか分からないが、まだまだ、本を紐解く日々の楽しみは続けられそうである。
一人は、私の専攻であった経済学のシュンペーター、もう一人は、歴史学者のアーノルド・トインビーである。
経済学については、ケインズやミルトン・フリードマンなどが、一世を風靡していたので、この方面も一生懸命に勉強したつもりだが、私は、シュンペーター、それに、好きだったガルブレイスの本や関連書を読む方が多かったように思う。
シュンペーターは景気循環論、資本主義・社会主義・民主主義、それに、経済分析の歴史と言ったところだが、殆ど、私が生まれた頃の著作で、経済発展の理論やイノベーション論に非常に興味を持った。
大学では、マル経の授業が多かったし、近経では、ケインズ主体で、計量経済学などが華やかなりし頃で、卒論は、ハンセンにお世話になったが、私の関心事は、やはり、シュンペーターであった。
それ以降、私の勉強テーマは、経済社会の発展とイノベーションで、この関連専門書を読み続けてきたのだが、今でこそ、シュンペーターが脚光を浴び始めているものの、殆ど、関心を払われたようなことはなかったと思う。
もう一方のトインビーだが、「歴史の研究」を読んで、これも、歴史や文明の発展論に非常に触発されて、特に、「挑戦と応戦」と言う理論展開が気に入った。
この考え方は、ダーウィンの適者生存の理論とも呼応していて、シュンペーターの経済発展論、そして、創造的破壊のイノベーション論とも非常に関係性があるなど、色々な考え方が出来るのだが、壮大な歴史絵巻を縦横無尽に展望できる面白さは格別である。
何故か、最近、このような壮大な人類の歴史や文化文明の発展論に興味を持ち始めており、最近、移転を見越しての蔵書を整理していると、結構、世界史関連本が出て来る。
今、レビューを続けているアセモグルとロビンソンの「国家はなぜ衰退するのか」は、経済学者と政治学者のスケールの大きな全世界史を包含した文化文明論であるから、経済を学んだ私にとっては、正に、興味の尽きないトピックスなのである。
これまでにも、このような関連の本を結構読み続けてきたつもりなのであるが、どうしても、経済史的な側面から、世界の歴史を考えることが多いので、テーマが大きく広がると、益々、興味津々となる。
アセモグルなどは、第二章の「役に立たない理論」で、エコロジストで進化生物学者のジャレド・ダイアモンドの「地理説」を否定しているが、ダイアモンド自身が、この本を推薦しており、積読でまだ読んでいないダイアモンドの「明日までの世界」「文明崩壊」「銃・病原菌・鉄」全6冊を、読み始めようと思っている。
ダイアモンドの描いている世界を、私自身、それ程歩いたわけではないのだが、例えば、ラテン・アメリカでは、マヤやアズテック、インカなどの遺跡へは行って多少は見ているし、ヨーロッパやアジアなどの異文化にも結構触れる機会が多かったので、興味深く読めると思っている。
まだ、ある。読みたくて読みかけの本が。
マット・リドレーの「繁栄」、ニーアル・ファーガソンの「文明」。
当然、昔、挑戦したトインビーの「歴史の研究」(勿論、6000ページを超える何十冊もある大作の原典ではなく、サマヴェル版3巻本だが)を、読み返そうと思っている。
移転のために、過半の蔵書を処分しなければならないのだが、書店に行けば、これまでのように、あいも変わらず、また、新しい本に手が出る。
一種の病気だと思うのだが、幸いにも、歳の割には、目が良いものだから、後どこまで読書を続けられるか分からないが、まだまだ、本を紐解く日々の楽しみは続けられそうである。