熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

中野 雄 著「小澤征爾 覇者の法則 」

2021年09月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   たった一人でヨーロッパに乗り込んだ青年は、いかにして「世界のオザワ」となったのか?完全主義者の師・齋藤秀雄、巨匠・カラヤン、バーンスタインらとの運命的な出会いから、指揮者の頂点「ウィーン国立歌劇場音楽監督」就任への軌跡を辿り、マエストロ誕生の秘密に迫る!と言う音楽プロデューサーとして著名な中野 雄 の本で、少し、年月を経ているが、非常に面白く読ませて貰った。

   私が、小澤征爾の演奏会に、最初に出かけたのは、ウォートン・スクールへの留学時代で、確か1974年で、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックでのボストン交響楽団のコンサートであった。
   ブラームスの交響曲であったと思うのだが、日頃定期公演で聞いているフィラデルフィア管弦楽団のサウンドとは違った感動的な演奏であった。
   小澤が、サンフランシスコ響からボストン響に移ったことは、ここで聞いており、フィラデルフィアへの来演は、そのすぐ直後のことであったのである。

   ロンドンに居たときには、何度かボストン響との来演があったのだが、出張などでチャンスを逃して、小澤を聴いたのは、1991年9月のジャパンフェスティバル開幕コンサートのサイトウ・キネン・オーケストラの演奏会であった。
   一度、ロンドン交響楽団の特別演奏会で、直前になって、指揮の小澤征爾がロンドンへ来れなくなって、代演指揮で、ロストロポーヴィチのドヴォルザークのチェロ協奏曲を聴いたことがある。この時、コンサート会場で、係員が入り口に立って入場者一人一人に、小澤征爾が振れないのでチケットをキャンセルするのだったら申し出てくれと聞いており、小澤征爾が如何にロンドンで高く評価されているのかを思い知った。欧米生活10年以上であり、クラシックコンサートに通い続けていたが、指揮者やソリストの代演などは日常茶飯事であったにも拘わらず、後にも先にもこのようなことは、皆無であった。

   1993年に帰国したので、それ以降は、小澤征爾の振る新日本フィルハーモニーの定期公演の年間チケットを取得して、通い続けた。最初の頃は、8回の公演のうち2回は小澤指揮であったが、それが1回になり、特別公演だけになっので、10年以上続けたが、メンバーズチケットは、都響に切り替えた。
   最近はご無沙汰しているが、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトのオペラ公演には、せっせと通い続けてきた。
   一度だけだが、松本に行って、セイジ・オザワ 松本フェスティバルで、サイトウ・キネン・オーケストラの演奏会を聴く機会を得た。もう、半世紀上以上も前に、松本城に行った記憶があるが、しっとりとした風格のある街並みの散策を楽しんだ。
   
   小澤征爾の著した本や関連本は、結構沢山読んでいて、この本の記述の相当部分は、よく知っていることであった。
   自著は、非常に簡潔で、ユーモアのセンスが滲み出ていて楽しんで読んでいた。
   久しぶりに、この本を読んで、これらを纏めて読んだ感じで、記憶を辿りながら追いかけて行ったので面白かった。
   まず、この本は、小澤征爾を功成り名を遂げたカリスマ的指揮者として活写しており、非常に爽やかで気持ちが良いのだが、何時も気になるのは、日本の評論家や学者などその道の通だと称している人物が、小澤征爾をコテンパンに批判して自分の鑑識眼をひけらかしている評論などを見て腹が立つことがある。これは、カラヤン批判や蜷川幸雄批判のパーフォーマンスアーツ評論の悪辣ぶりにも言えるのだが、私には、悪意のある評論としか思えない。正直なところ、良く分かっているのかと言われれば、良く分かっていないかも知れないが、多くのファンが感動し世界的な偉業を達成した芸術家には、まず、その価値を認めて、それなりの尊敬と敬意を示せと言うことである。
   小澤にも、アメリカで、天敵とも言うべき批評家がいて、ラヴィニア音楽祭でシカゴ響を振った際に、「シカゴ・トリビューン」のクローディア・キャシディ女史にコテンパンにやられ、ボストンでも、「ボストン・グローブ」のリチャード・ダイヤーが天敵批評家で、揚げ足取りの評論をして文句をつけていたと言う。

   さて、小澤征爾の成功物語で、最大の要因になったと思うのは、ニューヨーク・フィルの副指揮者の時に、カラヤンの紹介で、コロンビア・アーティスツのロナルド・ウィルフォードと契約が出来たこと。
   コロンビア・アーティスツが、20世紀の後半から現在に至るまで、世界のクラシック音楽界・陰の帝王の館であることは、関係者の間では常識である。ウィルフォードは、その総帥。
   小澤征爾を、ラヴィニア音楽祭のシカゴ響をアレンジしたのも、トロント響を紹介したのも、ウィルフォードだったのである。
   ところが、バーンスティンが、ニューヨークにいて、良いオーケストラを振って腕を磨けと言ってトロント行きを反対したようだが、全然レパートリーが足らないのでマーラー全曲をやりたいとか夢があり、必死に頼んでトロントに行ったのだが、これが大正解で、サンフランシスコ響、ボストン響へと、指揮者としての出世街道を驀進する跳躍台となったという。
   
   試練を幸運に変えた巨匠の秘密とは?と言うこの本、
   小冊子だが、非常に面白い。

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