熟年の文化徒然雑記帳

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ダニ・ロドリック著「グローバリゼーション・パラドクス」

2014年07月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   グローバリゼーションが、良いのか悪いのか、政治経済学のみならず、人類にとって、極めて重要な問題であり、論争が絶えないが、トルコ生まれの経済学者ダニ・ロドリックが、過去現在を見据えて、大胆な未来提言をしたのがこの本「グローバリゼーション パラドクス The Globarization Paradox Democracy and the Future of the World Economy」である。
   この本、アマゾンUSAでは、33人の書評中、28人が高評価をしており、かなり、緻密に著された経済学書であり、少なくとも、TPPについて論陣を張りたければ、読むべきであろうと思う。

   フリードマンが「フラット化した世界」で高らかに宣言した経済のグローバル化は、先進国にはかってなかったような繁栄を齎し、中国などのアジア諸国やBRIC'sなどの振興国の数億人の貧しい労働者たちに恩恵を与えたが、逆に、サブプライムに源を発した金融グローバリゼーションによる世界的な金融危機によって、世界経済を壊滅的な状況に陥れた。

   一国の国内市場は、規制や政治制度によって支えられているのに対して、グローバル経済では、市場の独占を防ぐ公取も存在せず、最後の貸し手の規制当局中銀もセイフティネットもなければ、世界規模の民主主義もなく、グローバル経済を支え統治する制度的基盤が極めて乏しい。
   政府の力が一国内に限定されているのに対して、市場規模はグローバルに広がっており、健全なグローバル経済を構築するための、政府と市場経済との絶妙なバランスを取るシステムが欠如しているのである。
   したがって、ハイパーグローバリゼーションが暴走するのは当然だと言うことである。

   政府に力を当てすぎると、保護主義や自給自足経済に陥ってしまうし、市場に自由を与えすぎると、世界経済は本来必要な社会的ないし政治的な支持を失い不安定になる。
   このグローバル化した市場と、一国単位に限定されている統治システムの不整合のジレンマをどう解決して人類の未来を築き上げるのか。
   これが、本書の課題である。

   興味深いのは、ロドリックは、「世界経済の政治的トリレンマの原理」を提示して、ハーパーグローバリゼーション、民主主義、国民国家(国民的自己決定)の三つは、当然のことだが、同時には満たすことが出来ない、三つのうち二つしか実現できない。として、三つの選択肢を提示して、検討を加えている。
   1.国際取引費用を最小化する(ハイパーグローバリゼーション)を取って、民主主義を制限して、グローバル経済が時々生み出す経済的、社会的な損害は無視する
   2.グローバリゼーションを制限して、民主主義の正統性を維持する
   3.国家主権を犠牲にしてグローバル民主主義を目指す

   1は、完全にグローバル化した経済で、あらゆる取引費用が削減され、国境が財やサービス、資本の取引に何の制限もない世界である。政府は、市場の信頼を得、貿易や資本を引き付けるために、金融引き締め、小さな政府、低い税率、流動的な労働市場、規制緩和、民営化、全世界に開かれた経済を志向する、正に、市場原理主義、弱肉強食の世界が展開される。
   3は、グローバル化された世界経済下ではあるが、グローバル・ガバナンスを徹底させて政治をグローバルな水準に置き換える、いわば、グローバル連邦主義、世界連邦の構築を目指す道であり、国民国家としての国家主権は大きく削減される。
   ロドリックは、このグローバル・ガバナンスについては、理想的かも知れないが、仮にルールが民主的につくられたとしても、世界は、共通のルールによって押し込めるには国による多様性があり過ぎて懐疑的だと一蹴しているのだが、現実的にも、実現化の薄い選択肢であろうと思われる。
   

   ロドリックの選択する道は、ハイパーグローバリゼーションを犠牲にして、民主政治の中心の場として国民国家を維持し、ブレトンウッズ体制を再構築することだと言う。
   貿易における国境の数々の制約は取り除く、すべての貿易相手を平等に扱うと言うブレトンウッズ体制下の緩いルールのお蔭で、各国は自分たちの曲で踊ることが出来、西欧も日本も中国もダイナミックな成長を遂げたのであるから、この体勢に戻すことだと言うのである。
   グローバリゼーション推進のWTOではなく、グローバル化の制限によって、ブレトンウッズ=GATT体制は、世界経済と国民民主主義を共に花を咲かせた。グローバル化を適度に調整して適切なグローバルなルールに基づいた体制を作り上げ、国民国家を維持しながら、より水準の高い国民民主主義を築き上げるべきだと言うのである。

   いずれにしろ、ロドリックのグローバリゼーションを制限してでも、民主主義と国民国家を守るべきだと言う見解には、賛成である。

   この本を読んでいて、パンカジ・ゲマワットの「コークの味は国ごとに違うべきか」で展開されていたセミグローバリゼーション論を思い出した。
   ”世界はフラット化したと言うグローバリゼーション津波論の台頭で、国際的な標準化と規模の拡大を重視しすぎた、国際統合が完成した市場を想定した行き過ぎた企業戦略論が、幅を利かせ始めていることに対して、国ごとの類似性と同時に、差異が如何に企業戦略の可否に大きな影響を与えているかを示しながら、
   セミ・グローバリゼーションの現実においては、少なくとも、短・中期的には、国ごとの類似点と差異の両方を考慮した戦略こそが、より効果的なクロスボーダー戦略だ。”と言うのである。
   これは、経営戦略論で、ロドリックの説く世界とは次元が違うが、要は、グローバリゼーション論に、引っ張りまわされるべきではないと言う視点の維持である。

   ロドリックは、「国際経済制度の目的は、国によって異なる制度の間に交通ルールを制定することである」として、国際経済ルールにおける「適用除外」や「免責条項」の役割を考えるべきで、免責条項を規範からの逸脱、すなわち、ルールを踏みにじるものとして見なすべきではなく、国際経済制度を維持可能な本来あるべき内容にするもので、優先順位を民主的に再設定すべきだと言う。
   どんな多国間体制なら、世界中の国が、独自の価値や発展目標を追求し、独自の社会制度の下で繁栄できるかを考えるべきだと説くのであるから当然であろう。

   これで、気になるのは、TPP問題だが、私自身は、原則的に日本のTPP参加には賛成ではあるが、スティグリッツの指摘により、要するに自由市場経済が拡大するだけであって、弱肉強食の市場原理が働くので、無防備では問題があると言う気になっている。
   その意味でも、今回のロドリックの見解は、もっと明瞭であり、はっきりと、日本の国民国家の国益を維持できるように、最善の努力を傾注して当たるべきで、好い加減な妥協をすべきではないと言うことである。

   いずれにしろ、わが道を行って成功した中国と、経済を開放してグローバリゼーションに振り回されて崩壊したアルゼンチンのケースを説きながら、国民国家と民主主義を維持しながら緩いグローバリゼーションに乗れと言うロドニックの理論展開が示唆に富んで面白い。
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