熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

文楽「芦屋道満大内鑑」・・・胸に沁みる葛の葉子別れ

2005年09月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   東京の国立劇場で、九月の文楽が公演されているが、世界遺産に登録されてからは、チケットが取り難くなった。
   この日は、昼の部は「芦屋道満大内鑑」で、夜の部は、「菅原伝授手習鑑」の寺入りと寺子屋の段、それに、「女殺油地獄」であったが、昼も夜も満員御礼で、補助席も出ていた。

   歌舞伎と同じで、文楽も本拠地を東京に移さざるを得ないのであろうか。
   住大夫は、「浄瑠璃だけは、義太夫節だけは、絶対に大阪弁でないとあきまへん。こないに言葉が乱れてきたらあきまへんなあ。」と言っている。
   歌舞伎を観ていて、近松門左衛門の和事の世界を、現在本当に演じられるのは、中村鴈治郎と片岡仁左衛門、そしてこれらの一門の極一部の人々に限られていると思っているが、鴈治郎が、坂田藤十郎を襲名すれば、少しは関西歌舞伎が延命するのであろうか。
   結局は、経済力の差。
   関西での歌舞伎公演が限りなく少なくなって来ているし、大阪の文楽劇場の客席も空席が多い。
   文化は、国民の経済力と民度の反映。関西人が、歌舞伎や文楽を支えない限り、貴重な関西の無形文化財は維持できない。
   京都の庭や奈良の社寺は移転が利かないが、パーフォーマンス・アートは、芸術家が移動すれば移ってしまい、悲しいかな、根無し草になってしまった本物は消えて行ってしまう。

   ところで、今回残念だったのは、最長老人間国宝の吉田玉男師匠が休演したこと。
   病気入院ではなく、メディカル・チェックでお休みとのことだが、最近12月の東京公演には来られないので、早く観たければ大阪に行かざるを得ない。
   大阪での公演「平家女護島」の鬼界が島の段の幕切れの舞台で、俊寛の役を弟子の玉女に代わったことがあったが、それから、少しづつ、一つの役を師弟2人で演じることが増えてきている。
   今回も、「芦屋道満大内鑑」の葛の葉子別れの段で、「安倍保名」を玉女から玉男に代わる筈であったが、結局、最後まで、玉女が演じ通した。
   私が、最初に玉男師匠を観たのは、もう15年位前、ロンドンでの曽根崎心中の徳兵衛であったが、水も滴るような瑞々しい演技で、簑助のお初との舞台に感激して文楽に通うようになった。
   今回は、人間国宝吉田文雀師匠の女房葛の葉との共演に期待していたので残念ではあった。

   さて、今回の「芦屋道満大内鑑」であるが、私は、歌舞伎で、葛の葉子別れの段を、中村鴈治郎の葛の葉で、2回観ているが、通し狂言で観るのは今回が初めてであったので、興味深く楽しませて貰った。
   初段の「加茂館の段」では、玉女の保名、吉田和生の榊の前、桐竹勘十郎の賀茂の後室役で、人間国宝玉男、文雀、簑助を夫々嗣ぐ次代のホープが共演しており意欲的な舞台であった。
   面白かったのは、この段の幕切れで、賀茂の後室が、鴨居に吊るされ上げ下げされて殺される場面であるが、役者が演じる歌舞伎なら不可能だが、人形ゆえに出来るリアルで真迫の演技を勘十郎が実に機用に演じていたこと。
   勘十郎の芸の細かさに何時も感激させられている。

   今回の芦屋道満大内鑑の舞台での秀逸は、やはり、文雀が演じる女房葛の葉で、鴈次郎の歌舞伎の舞台を思い出しながら、じっと見ていた。
   命を助けられた狐が、傷ついた命の恩人保名を葛の葉に化けて献身的に看病。幸せな結婚生活が続きいつの間にか、子供も5歳に。
   ところが、居場所を探し当てた許婚の葛の葉親子が訪ねて来て、2人の葛の葉が居るのを見てびっくり。女房葛の葉は悲しい狐の身、身を引く決心をして、童子との別れを切々と訴えながら、「恋しくばたずね来てみよ和泉なる信田の森のうらみ葛の葉」の一首を奥の障子に残して山へ帰る。 
   竹本綱大夫の語りと鶴澤清二郎の三味線との哀調を帯びた肺腑を抉るような音に乗って、人間と狐の魂が乗り移った葛の葉が慟哭しながら子供との別れを掻き口説く。錯乱すると狐の仕種が出てくる、途中で、白狐の衣装に変身、寝入っているわが子に、言い聞かせながら、名残惜しい、愛しい、離れたくないと、涙に咽ぶ。
   葛の葉の人形が、人間以上に慟哭し必死の形相で苦しみに耐えている、淡々と木偶を操る文雀の凄さを感じながら舞台にのめり込む。
   4人が近づくと子供を置いて狐になって姿を消す。
   保名は、たとえ妻が狐でも、夫婦親子の愛を育んだことに、偽りも悔いも恥じることもない、と叫ぶ。

   末筆になったが、保名を演じた吉田玉女だが、控え目ながら、実に感動的に演じていたことを付け加えておきたい。特に、保名物狂の段の保名は感激的で、豪快な立ち役の玉女とは違った境地の舞台に接して興味深かった。

   歌舞伎の場合は、この全員の出会いはなく、葛の葉は1人で消えて行く。
   鴈治郎は、筆を口にくわえながら、左文字を含めて、舞台正面の大きな障子に、「恋しくば・・・」の一首を実に器用に書く。
   ふっと、狐に帰る仕種や狐言葉が真に迫る、鴈治郎は実に上手い。何故、こんなに苦しまなければならないのか、子供との別れの身を切られるような辛さ苦しさを、これほどリアルに演じられる役者が居るだろうかと、感激しながら観ていたのを思い出す。
   
   この話の神社は、だんじりで有名な岸和田にあり、あの有名な陰陽師「安倍晴明物語」の話でもある。
   動物の異性と結婚する話は結構多い。あの鶴のおつうの悲しい話もあるし、外国でもある。ある一種のアニミズムの世界の異類婚姻譚で、この場合は、親子の愛情が主題になっている。
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