熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

アルフォンス・ミュシャの華麗な世界・・・高島屋日本橋店

2007年01月09日 | 展覧会・展示会
   正月早々、日本橋高島屋で、「アルファンス・ミュシャ展」が開かれていて、華麗な女性達の姿を描いたアール・ヌーヴォーの素晴らしいリトグラフが沢山展示されていて華やかな雰囲気を醸し出している。
   チェコの画家だが、ヒットラーと同じ様に才能がないと言うことで、故国の美術学校で入学を断られているのが面白いが、パリに渡ってゴーギャン等と接触しながら勉強を続けて、グラフィックデザイナーとして成功をおさめている。

   最初の成功作は、今回来ているが当時のパリの大女優サラ・ベルナールの舞台姿「ジスモンダ」を描いたポスターで、とにかく、ロートレックの単純な絵と違って花などの美しい装飾で飾られた素晴らしく美しい女性像で、パリの街頭に掲げられて熱狂的な人気を得たと言う。
   サラ・ベルナールのポスターは、更に、椿姫、メディア、ハムレット、トスカと続くが、勿論、舞台姿そのものではなくミュシャの想像とイマジネーションで増幅された豊かな発想の絵であるが、サラ・ベルナールの人気に一役かっていたことは事実であろう。

   ミュシャの代表作の、『4芸術(詩、ダンス、絵画、音楽)』や『4つの宝石(トパーズ、ルビー、エメラルド、アメジスト)』の連作が来ていて、後者の絵などは、それぞれの宝石の色の花が美女の前に大きく描かれていて実際の宝石は一切描かれていないのが興味深い。
   ミュシャの絵にとって花は極めて重要なモチーフだが、カーネーション、アイリス、ユリ、バラ、サクラソウなどの他に、岸壁のヒースではナース様スタイルの女性が、そして、砂浜なアザミではオランダ風の女性が描かれていて、パリジェンヌ基調の女性像と毛色が違っているのが面白かった。

   美しいミューズを華麗に描いて有名になったグラフィックデザイナーであるから、煙草やリキュール、ビール、香水等々から観光案内、展覧会など色々な宣伝ポスターを手がけているが、関係なくても総てにわたって美女をあしらった絵を描いているが、とにかく、モデルがあるのかないのか、衣装にしろ髪型にしろ発想が非常に豊かで、良くこれほどまでに女性達の美しさを引き出せるものと感心せざるを得ない。
   面白いのは、キリストを描いた受難などごく一部しか男性像はなく、やはり、ミュシャは女性専科かもしれない。(もっとも、後年描いたプラハの壁画などは、男女混交の群像だが。)

   パリで、押しも押されもしない名声を博した後、世紀が変わってからアメリカに一時移り住むが、50歳になってから故国チェコに帰って祖国愛を色濃く醸し出した民族色の強い芸術作品を描く。女性達の姿もパリジェンヌではなくスラブ系モラヴィアンで逞しくなって来た。
   現在のプラハを見ただけでも、チェコが如何に素晴らしい国だったか分かるが、当時はオーストリー・ハンガリー二重帝国の支配下で国民は抑圧されていた。
   それに、ドイツ帝国の軍靴の音が近づきつつあったのである。

   数年前にプラハを2度目に訪れた時に、ミュシャの美術館であるプラハ工芸美術館に出かけて一日十分ミュシャを楽しんだが、モルダウ川の対岸に聳える王宮にもミュシャのステンドグラスがあり、プラハの公共建物にもミュシャの壮大な壁画や天井画があり、やはり、グラフィックデザイナーのミュシャとは違った偉大な芸術家の側面を鑑賞してミュシャに対する印象を変えたのを覚えている。
   あのウィーンにおける華麗なクリムトの芸術に触れて感動する、それに似た感慨を覚えたのである。

   このミュシャは、第二次世界大戦が始まった時に、フリーメーソンだとか愛国的だといってナチに逮捕されて徹底的に痛めつけられて、79歳でこの世を去った。
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