先日、チャールズ3世とのあり得ないような出逢いについて書いたが、ついでにと言うと何だが、もう一つ、これも、いまだに夢としか思えないような学生歌を地で行くような経験を記してみたい。
まず、イントロ、
大学に入学して、コンパで、最初に先輩から蛮声を張り上げて教えられた記憶にあるのは、次の三つの学生歌。
京都なので、三高寮歌の「紅萌ゆるおかのはな」、「琵琶湖周航の歌」、それに、「向こう通るは女学生 三人揃ったその中で」。
何故、この最後の歌が出るのか分からないのだが、習い始めたドイツ語を交えて、恋と学びと青春の夢と心意気を唱いたかったのであろうか。
神武景気と囃されながらも、まだまだ、日本は貧しい発展途上国であった。
この歌、「女学生節」というのか、学生歌として、大学によって歌詞などに違いがあるようだが、私が憶えている京都バージョンは、次のような歌詞である。
慶応の友人もこれに良く似た歌を口ずさんでいたので、守屋浩 のざんねんソングよりも、この方が正調の学生歌なのであろうと思う。
向こう通るは女学生 三人揃ったその中で
一番ビューティが 気にいった
色はホワイト目はパチリ 鼻筋通った色白の
あふるるばかりの愛らしさ
マイネフラウにするならば
僕もこれから勉強して ロンドン・パリーをまたにかけ
フィラデルフィアの大学を 優等で卒業した時にゃ
彼女は 他人の妻だった
残念だ 残念だ 残念だったら また探そ
興味深いのは、何故か、フィラデルフィアの大学が出ていることで、これは、ペンシルベニア大学のことであろう。
日本では、知名度はやや低いが、アメリカ最高の偉人ベンジャミン・フランクリンが、アメリカ建国の地に1740年に創立したアメリカ最古のユニバーシティ(総合大学)で、勿論、アイビーリーグの一角。
この大学には、ウォートン・スクールと言う、1881年に創立された世界最古で、かつ全米屈指のビジネス・スクールがある。
奇しくも、分厚い卒業者名簿に、トランプ前大統領の名前も、私の名前も載っている。同窓生である。
母校のベンジャミン・フランクリン像
敗戦後の廃墟と化した日本で、食うや食わずの貧困生活に喘ぎながら幼少年時代を送り、激動期に貧しい学生生活を送っていた私が、時代に恵まれたと言うべきか、会社派遣とは言え、世界最高峰の学び舎で、最先端の経営学を学ぶ幸運に恵まれるなど、誰が想像できようか。
優等ではなかったが、MBAを取得して卒業後、まず、サンパウロに赴任して、しばらく経ってヨーロッパに転勤した。まさに、グローバルビジネスの激流に揉まれながら、ロンドン・パリを股に掛けて、欧米人を相手に切った張ったのビジネス戦争に明け暮れて、この学生歌を地で行くような経験をしてきた。
その間、ベルリンの壁が崩壊して、ソ連も歴史から消えた。中国やインドなど新興国が胎動し始めグローバリゼーションが進展し、ICT革命が勃発し、デジタル時代の幕開けで、新世紀が始まろうとする、そんな時代であった。
世界中を駆け回って、見るべきものは見た。
苦しいことの方がはるかに多かったし、後悔先経たずで反省することばかりだったが、破竹の勢いで驀進していたJapan as No.1の威光を背にして、人類の素晴しい偉業や遺産に触れながら、人生捨てたものではないと、感激しきりで突っ走ってきた。
さて、先の女学生歌だが、
ペン大にパスして卒業するのは結構難しいし、ロンドン・パリを股に掛けて活躍するなど大変で、日本へ帰ってきたときには、30歳をゆうに越えている筈。彼女が他人の妻であるのは当然である。ロンドン・パリで活躍して、その後に大学を出るという順逆のキャリアや、それに、ビューティと言いながら愛らしさに惚れる幼さ、辻褄の合わない戯れ言が、無性に胸に迫ってきて懐かしい。
苦学生が大半を占めていた京都の学生には、アメリカで最高峰の学問を学び、文化文明の華開く都ロンドン・パリで、世界を的に活躍するなど夢の夢、
しかし、夢であろうと理屈はどうであろうと、蛮声を承知で歌い続けた。
あの頃の学生には、夢と希望が無限に広がっていて、怖いものなしで、後を振り返る気など微塵もなかった。
愛しきマドンナに限りなき憧れを抱きながら、必死に前を向いて走っていたのである。
まず、イントロ、
大学に入学して、コンパで、最初に先輩から蛮声を張り上げて教えられた記憶にあるのは、次の三つの学生歌。
京都なので、三高寮歌の「紅萌ゆるおかのはな」、「琵琶湖周航の歌」、それに、「向こう通るは女学生 三人揃ったその中で」。
何故、この最後の歌が出るのか分からないのだが、習い始めたドイツ語を交えて、恋と学びと青春の夢と心意気を唱いたかったのであろうか。
神武景気と囃されながらも、まだまだ、日本は貧しい発展途上国であった。
この歌、「女学生節」というのか、学生歌として、大学によって歌詞などに違いがあるようだが、私が憶えている京都バージョンは、次のような歌詞である。
慶応の友人もこれに良く似た歌を口ずさんでいたので、守屋浩 のざんねんソングよりも、この方が正調の学生歌なのであろうと思う。
向こう通るは女学生 三人揃ったその中で
一番ビューティが 気にいった
色はホワイト目はパチリ 鼻筋通った色白の
あふるるばかりの愛らしさ
マイネフラウにするならば
僕もこれから勉強して ロンドン・パリーをまたにかけ
フィラデルフィアの大学を 優等で卒業した時にゃ
彼女は 他人の妻だった
残念だ 残念だ 残念だったら また探そ
興味深いのは、何故か、フィラデルフィアの大学が出ていることで、これは、ペンシルベニア大学のことであろう。
日本では、知名度はやや低いが、アメリカ最高の偉人ベンジャミン・フランクリンが、アメリカ建国の地に1740年に創立したアメリカ最古のユニバーシティ(総合大学)で、勿論、アイビーリーグの一角。
この大学には、ウォートン・スクールと言う、1881年に創立された世界最古で、かつ全米屈指のビジネス・スクールがある。
奇しくも、分厚い卒業者名簿に、トランプ前大統領の名前も、私の名前も載っている。同窓生である。
母校のベンジャミン・フランクリン像
敗戦後の廃墟と化した日本で、食うや食わずの貧困生活に喘ぎながら幼少年時代を送り、激動期に貧しい学生生活を送っていた私が、時代に恵まれたと言うべきか、会社派遣とは言え、世界最高峰の学び舎で、最先端の経営学を学ぶ幸運に恵まれるなど、誰が想像できようか。
優等ではなかったが、MBAを取得して卒業後、まず、サンパウロに赴任して、しばらく経ってヨーロッパに転勤した。まさに、グローバルビジネスの激流に揉まれながら、ロンドン・パリを股に掛けて、欧米人を相手に切った張ったのビジネス戦争に明け暮れて、この学生歌を地で行くような経験をしてきた。
その間、ベルリンの壁が崩壊して、ソ連も歴史から消えた。中国やインドなど新興国が胎動し始めグローバリゼーションが進展し、ICT革命が勃発し、デジタル時代の幕開けで、新世紀が始まろうとする、そんな時代であった。
世界中を駆け回って、見るべきものは見た。
苦しいことの方がはるかに多かったし、後悔先経たずで反省することばかりだったが、破竹の勢いで驀進していたJapan as No.1の威光を背にして、人類の素晴しい偉業や遺産に触れながら、人生捨てたものではないと、感激しきりで突っ走ってきた。
さて、先の女学生歌だが、
ペン大にパスして卒業するのは結構難しいし、ロンドン・パリを股に掛けて活躍するなど大変で、日本へ帰ってきたときには、30歳をゆうに越えている筈。彼女が他人の妻であるのは当然である。ロンドン・パリで活躍して、その後に大学を出るという順逆のキャリアや、それに、ビューティと言いながら愛らしさに惚れる幼さ、辻褄の合わない戯れ言が、無性に胸に迫ってきて懐かしい。
苦学生が大半を占めていた京都の学生には、アメリカで最高峰の学問を学び、文化文明の華開く都ロンドン・パリで、世界を的に活躍するなど夢の夢、
しかし、夢であろうと理屈はどうであろうと、蛮声を承知で歌い続けた。
あの頃の学生には、夢と希望が無限に広がっていて、怖いものなしで、後を振り返る気など微塵もなかった。
愛しきマドンナに限りなき憧れを抱きながら、必死に前を向いて走っていたのである。