熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

最貧国ハイチの悲劇:フランス植民地のネガティブ遺産

2024年03月13日 | 政治・経済・社会
   ウクライナ戦争とガザーイスラエル戦争で影が薄いのだが、アメリカ大陸で最貧国のハイチで暴動が勃発して、治安が悪化している。
   ハイチの首都ポルトープランスの主要刑務所が2日夜、武装ギャングに襲撃され、4000人近い収監者の大多数が脱走した。
   アリエル・アンリ首相の退任をもくろむギャングのリーダー「バーベキュー」が率いるギャング団が、首都ポルトープランスの8割を掌握しており、多国籍治安部隊に対して団結して戦うと示唆し、アンリ首相が退陣せず、国際社会がアンリ氏を支持し続ければ、ハイチは内戦状態に陥り、最終的に大量虐殺が起きると警告していた。
   米政府もかねてより、アンリ氏に「政治的移行」を要請しており、アンリ首相は11日、辞任する意向を示した。

   さて、ハイチは、中米では珍しくフランスの植民地であった。フランスは、アフリカ大陸から無理矢理連れてきた奴隷を、サトウキビの大農園で働かせて生産した砂糖によってばく大な富を享受した。ハイチ国民は圧政をはねのけて、1804年に独立を勝ち取ったが、軍事独裁やクーデターなど政情不安が続き、更に過酷なフランスの搾取を受けて、政治経済社会など国家体制の基盤が整備されないまま、「西半球で経済的に最も貧しい国」となった。
   21世紀に入ってからも、国連の介入を招いたクーデターや、2010年の25万人以上の死者を出した大地震などに見舞われており、国力および国民生活は極度に疲弊した状態で今日に至っている。

   ところで、ハイチの貧しさについて、一度、このブログで書いたことがあったので、調べてみると、2018年8月のジャレド・ダイアモンド著「歴史は実験できるのか――自然実験が解き明かす人類史」のブックレビューであった。
   ハイチとドミニカ共和国の際立った比較で、カリブ海に浮かぶ、同じイスパニョーラ島を、東西に政治的に分断されているのだが、上空から見ると、直線で二等分された西側のハイチの部分はむき出しの茶色い荒地が広がっていて、浸食作用が著しく進み、99%以上の森林が伐採されている。一方、東側のドミニカ共和国は、未だに国土の三分の一近くは森林に覆われている。
   両国は、政治と経済の違いも際立っていて、人口密度の高いハイチは、世界有数の最貧国で、力の弱い政府は基本的なサービスを殆どの国民に提供できない。一方、ドミニカ共和国は、発展途上国ではあるが、一人当たりの平均国民所得はハイチの6倍に達し、多くの輸出産業を抱え、最近では民主的に選ばれた政府の誕生が続いている。と書いている。
   

   さて、この発展の違いはどうして起こったのであろうか。
   ドミニカ共和国に比べて、ハイチは山勝ちで乾燥が激しく土地は痩せていて養分が少ないと言った当初の環境条件の違いに由来している分もあるが、最も大きいのは、植民地としての歴史の違いだろうと言う。
   西側のハイチはフランスの、東側のドミニカ共和国はスペインの夫々の植民地であったのだが、その宗主国の奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関して大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまったのだと言うのである。

   ここで思い出したのは、最近、フランスの植民地であったアフリカ中・西部の国で、政変に歯止めがかからないこと。
   2020年にマリでクーデターが発生。その後も21年にギニア、22年にブルキナファソ、23年7月にニジェールで時の政権が武力によって転覆し、その多くでフランスに敵対的な軍政が発足し、マクロン仏大統領が「クーデターの伝染だ」と危機感を表明した直後に、ガボンで軍が反乱を起こしてボンゴ大統領を軟禁。
   何故、フランスだけが火を噴くのか。

   フランスの植民地政策や統治形態などについて確たる知識も知見もないので、何とも言えないのだが、ダイヤモンド教授が説く如く、フランスの宗主国としてのハイチの植民地統治が、
   奴隷制プランテーション、言語、人口密度、社会の不平等、植民地の富、森林破壊などに関してドミニカと大きな違いを生み出し、これらの違いが、独立戦争への取り組みの違いを生み出し、次に海外投資や移民への受容性の違いを、そして、欧米各国による認識の違いを生み出した。さらに現代、独裁者の在任期間の違いを生み出し、最終的に両国の条件は今日全く異なってしまった。原因だとするなら、
   フランスの植民地統治の熾烈さ残酷さ、その植民地政策のネガティブ遺産が、ハイチの命運をかくまで窮地に追い込んだとは言えないであろうか。

   何故、こう思うのかは、このブログで、”BRIC’sの大国:ブラジル(23篇)”を著して、ラリー・ローターの「BRAZIL ON THE RISE」を底本にして、ブラジルを徹底的に分析して、
   世界一大自然や膨大な資源に恵まれた一等国ブラジルが、政治経済社会の機能不全で、いまだに、鳴かず飛ばずでいつまでも未来の国であって、政治的にも腐敗塗れで後進状態のまま、
   この原因の大半は、ポルトガルの植民地統治によって刷込まれたポルトガルの後進的なネガティブな遺産の為せる業にあることを説明した。
   
   植民地支配が、如何に、世界の文化文明史をスポイルして、多くの人々をいまだに苦しませ続けているか、弱者に優しい世界統治を目指すことが如何に重要か、
   戦争も必死になって忌避すべきではあるが、発展途上国へのサポートを今ほど必要とするときはない。
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