熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

タイラー・コーエン著「創造的破壊」

2011年09月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   シュンペーター経済学の大テーマ「創造的破壊 CREATIVE DESTRUCTION」を、題名にしたこの本は、交易等異文化の遭遇・衝突が生み出す文化的な創造的破壊、そこから生まれ出る文化のイノベーションとその展開発展を紡ぎ出した壮大な文化文明論を経済学的な視点から展開していて面白い。
   「創造的破壊」は、極めて芸術的な営みで、様々なジャンル、様式、メディアにおいて、大量のイノベーションを引き起こし、革新的かつ高い創造を行って来ており、異文化間交易によって選択肢の幅が広がったと言うのは実証済み。
   異文化間の交易は、夫々の社会を改編し崩壊させるが、結局はイノベーションを生み出し、人間の想像力を持続させて、文化文明の多様性を育み、豊かに進化させて行くと言うのである。
   尤も、コーエンは、手放しで創造的破壊を認めている訳ではなく、異文化の遭遇・侵略が、貴重な文化を破壊し、打撃を与えるなどの負の側面をも十分に考慮分析している。

   今日のグローバル市場では、技術と富と言う二つの際立った特色があり、供給側からすれば、芸術家たちは、技術の進歩のお蔭で創造的想像力を商品化出来るようになり、需要側からすれば、富のお蔭で、購買力が生まれ、ニッチな創作に対する資金投入が可能になり、これらが、多文化的な交易関係の原動力となって、文化のイノベーションを生み出してきた。
   大規模な創造が生まれるためには、家族や宗教、慣行と言った社会制度と連携したネットワークが必須だが、芸術を多く生むような時代が到来すると、都合の良い状況がいくつも複雑に組み合わされ、社会組織内の相補的な要素が徐々に融和し、やがて適切な環境が整って、高度な芸術的ネットワークが起動する。
   非常に創造的な時代には、社会のエートスや材料技術、市場の条件が全て積み重なって、生産力のある創造的な芸術家たちのネットワークが創られ、支え合って、価値ある高度な芸術が爆発的に創造されるのは、ルネサンスを見れば、一目瞭然であろう。
   コーエンは、ルネサンスを育んだフィレンツェの、市民生活、宗教、強さ、楽観主義、人文主義と言った芸術の素晴らしさを重視エートスが創造の中心地を生み出したとするなど、エートスの文化醸成に果たす役割の重要性について強調している。

   コーエンは、一章を割いて、「なぜハリウッドが世界を牛耳るのか、それはいけないことか」とアメリカ文化とそれを育むハリウッドを語りながら、ポーターのクラスター論を展開している。
   ここで、フランス映画の凋落を語りながら、対フランス文化論を説いているのだが、商業主義的かつ個人主義的な色彩の文化を生み出したアメリカ人の、フランス文化に対するコンプレックスの一面が滲み出ているようで非常に面白い。

   「エートスと文化喪失の悲劇」と言う章で、
   「人口が多くて経済規模の大きい文化であれば、異文化接触によって窮地に陥るリスクは低い。そのような文化は、過度の影響を被ることなく、外来の思想を吸収することが出来るだろう。自らのアイデンティティを失うことなく外部からの影響を数多く吸収し、それによって発展を遂げて来たのが、日本、アメリカ、ドイツである。
   大きな社会は、通常、外部からの衝撃に対する弾性を有しており、ダメージを受けた場合でも、壊滅せずに再編成する可能性が高い。大きな社会は内部が多様なので、外からの影響を受けた時でも、部分的にダメージを受けることがあるにせよ、柔軟かつ創造的な対応が可能なのである。」と述べているが、アメリカとドイツに対しては異論があるが、日本については、正しい指摘だと思う。

   このブログで、日本文学の権威キーン先生の講演を引用して、日本にも、欧米から猿真似日本と侮辱され続けた屈辱的な時代があったことを紹介したのだが、
   コーエンは、「日本人は単なる模倣にとどまらず外部からの影響を吸収してきたが、これは全く持って創造的な行為で、このような国はまだどこにも存在せず、日本人は、世界でも類まれなる文化の創造者であり、経済の創造者である。こうした文化的綜合こそが、グローバル化した現代世界で脈々と息づく創造的な行為である。」と日本版序文で言っているのだが、多少面映ゆいとしても、私は、その通りだと思っている。
   第二次世界大戦後の日本の再起には目を見張るものがあるのだが、それよりも、強調すべきは明治維新の素晴らしい近代化と大国への脱皮だが、やはり、高潔な日本人魂あったればこそだが、教育制度の普及高度化による民度の高さと、豊かで質の高い日本の伝統文化と技術のなせる業であろうと思う。
   
   コーエンは、W・ホイットマンの言「偉大な鑑賞者なくして、偉大な詩人は生まれない」を引用して、「必要なのは、質の分かる買い手であり、ハイレベルな鑑賞者は、演者にインスピレーションを与え、資金面で援助し、文化の質を監視し、他に負けない品質水準を守らせる。彼らの好みによって、生産物の質を高める知恵が生まれる」と、文化の鑑賞者の質の高さが如何に重要であるかを、随所で繰り返している。
   多少語弊があるが、「無知な客は品質を低下させる。「土産工芸品」を買うのは、通りすがりの無知な買い手である。」とまで言う。
   
   一方では、知識情報産業化のお蔭で、インターネットなどの近代技術の助けを借りて、かってない程多くの文化財に通暁した専門家が存在し、どんなマイナーな分野でも熱心に大変な熱意を持って研究する支持者がいて、上質な好みはちゃんと生き残って開花していると言う。

   グローバリゼーションによって、世界中の沢山の文化文明が遭遇衝突して、「社会間の多様性」はある程度破壊されて消えて行き、少なくなって行くが、逆に、「社会内部の多様性」が創造される。この創造的破壊の過程で生まれた文化イノベーションが、人類社会を豊かにして行く。
   この文化の創造的破壊論が、コーエンのこの本の趣旨だが、経済社会の発展論を展開した元祖イノベーション論のシュンペーターの話を別な側面から聞いたようで面白かった。
   異文化の遭遇による挑戦と応戦、それが文化文明の発展を促進し、辺境から伝播して行くと壮大な人類の歴史を説いたトインビーを思い出した。
   しかし、シュンペーターの創造的破壊によって進化してきた現代の政治経済社会が、人類にとって、本当に幸せなものなのかどうかは疑問であるように、コーエンの文化の創造的破壊で生まれ出でた今日の文化が、本当に価値ある文化なのかどうかは、考えなければならない問題でもある。
   
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