熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ダグラス・マレー 著「西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム」(1)

2021年09月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本、ダグラス・マレー 著「西洋の自死: 移民・アイデンティティ・イスラム The Strange Death of Europe: Immigration, Identity, Islam」
   冒頭から、「欧州は自死を遂げつつある。少なくとも欧州の指導者達は、自死することを決意した。」と意表を突くような説を説く。
   雪崩を打って流れ込むイスラム移民が故に、ヨーロッパ文化が崩壊するというのである。
   正気である。
   「私たちの知る欧州という文明が自死の過程にある。英国であれ西欧のどの国であれ、その運命から逃れることは不可能だ。結果として、現在欧州に住む人々の大半がまだ生きている間に欧州は欧州でなくなり、欧州人はホームと呼ぶべき世界で唯一の場所を失っているだろう。」と言う。
   出生率の低下、大規模な移民の流入、増幅する社会への不信感、自己嫌悪感など、これらの要因が相互にが増幅して、今日の欧州大陸を覆う閉塞感が、ヨーロッパ人を、自身の文化文明社会について議論し、悪化して行く社会変化に対抗する力を弱体化させ、欧州は自壊への道を進んでいる。この本は、地政学的や政治的な現状分析だけではなく、自己不信に陥ったムードのヨーロッパ大陸への冷徹な観察者の告発である。一般的な展望から、膨大な説得力のある調査や証拠に裏打ちされて、まさに、慚愧に堪えない多文化主義の失敗を説いて、ヨーロッパ文化の死を予言している。

   さて、私の脳裏を横切ったのは、先日ブックレビューした”マウロ・ギレン 著「2030:世界の大変化を「水平思考」で展望する」(2)移民”との落差の激しさ、
   ギレンのレビューでは、移民が如何にアメリカの文化社会に貢献して貴重な人財であったかを紹介したが、このマレーの本は、イスラムの大量移民が、ヨーロッパの社会を自死に追い込んで行く。と言う、全く逆の移民の忌避論である。
   アメリカとヨーロッパでは、諸般の事情が異なっているので、比較は難しいが、ロットの大きさの差が最も大きな要因になると思うが、例えば、300万人の移民が、人口5~6000万人の独仏英に流入すれば、既存文化をひっくり返す危機となろうが、人口2億以上のアメリカでは、精々ジャズくらいの影響なのであろう。

   ここでは、米欧の比較は避けて、ヨーロッパの自死について考えてみる。

   人間の権利を神や暴君の決定権から切り離す初めての普遍的な大系である「最後のユートピア」の成就という欧州の大望を前にして、このままでは、21世紀の欧州人は、現在を秩序立て、未来に歩むことを可能にする統一した思想を何も持てなくなる。
   過去についての統一的な物語や現在と未来についての統一的な見解が失われるのは、何時の時代でも深刻な問題だが、しかし、現下のヨーロッパのように、容易ならざる社会的変革と動乱の最中に、また、欧州が自己を見失った瞬間に、それが起こって、世界が欧州に流入してくれば、致命的となる。強力で独断的な文化なら、異文化から数百万人が流入してきても対処できるであろうが、死にかけている文化には対応するすべがなく、自死しかなくなる。

   さて、ヨーロッパでも、移民の流入によって賃金の低下や失業を余儀なくされたり、移民の多い貧しい地域に居住せざるを得ず、治安の悪化やアイデンティティの危機に晒されたりする中低所得者がいるが、政治や言論の場においては、このような移民の受け入れによって苦しむ国民の声は一切代弁されずに、放置されたままである。
   しかしもっと深刻な問題は、西洋的な価値観が侵害されたことである。宗教的・文化的多様性に対する寛容という西洋的リベラリズムの価値観を掲げて、移民の受け入れを正当化してきたにも拘わらず、イスラム過激派の自爆テロの頻発がヨーロッパを恐怖に陥れ、非イラスラム教徒や女性やLGBTに対する差別意識を改めず、移民による強姦、女子割礼、女子の人身売買といった 蛮行の頻発。
   ところが、人種主義者の烙印を押されるのを恐れて、欧州の政府機関もメディアも、移民による犯罪の事実を極力隠蔽して、犯罪の被害者さえ加害者の移民を告発しない。このように人種差別者の汚名が着せられたり、あるいは、告発した被害者の方が良心の呵責を覚えたりといった倒錯した現象の頻発などは、もはや、「全体主義的」と形容せざるを得ない。寛容を旨とするリベラリズムがねじれて、非リベラルな文化にも寛容になり、ついには、人権、法の支配、言論の自由と言ったリベラルの中核価値観を侵害するに至っている。
   マレーは、これを「リベラリズムの自死」「リベラリズムによる全体主義」と称して、徹底的に移民の流入を批判し、
   欧州が育み大切にしてきた「人権、法の支配、言論の自由」を核とする啓蒙主義以降の西洋近代の公序良俗を体現したシティズンシップ民主主義が潰えていく、西洋文化が消えて行くとして「西洋の自死」と呼ぶ。

   巷では、移民の受け入れを当然視し、歓迎しさえする言説で溢れ、正当化されている。即ち、移民は経済成長に必要だ、高齢化社会には移民必須、移民は文化を多様化し豊かにする、グローバル化の時代では、移民は止められない等々。
   マレーは、この浅はかな主張の結果、欧州各地で文化的な風景が失われ、いくつかの都市や町が、中東やアフリカのようになり、治安は明らかに悪化し、テロが頻発するようになった。と云う。

   余談だが、私は、アメリカにいて、フィラデルフィアの郊外で、全くアフリカ系アメリカ人しか住んでいない集落や、イギリスでは、ロンドンの郊外で、パキスタン人や、インド人だけしか住んでいないような街に行ったことがあるのだが、まさに、全く異国に行ったような感じがして、これが、アメリカか、イギリスか、と信じられないような思いをしたことがある。
   既に、米国やブラジルのように、何百年も続く異人種が混合した人種のるつぼのような国でも、混合同化せずに、並行状態で混交している状態を考えてみれば、文化の多様性なり、多文化主義について、十分に検討しなければならないと思う。

   解説の中野剛志が、この本は、他人ごとではない、日本の「自死」の予言でもあると書いているが、ヴェトナム人が子豚を窃盗して解体したとの記事が世を騒がせたが、こんなことが日本各地で頻発したら、と考えてみるのも必要かも知れない。

   さて、この本は、500ページを超す大著で、タブーに挑戦したとも覚えるほど強烈な問題提起の本で、文明論としても貴重な資料なので、今回は、紹介だけにとどめておきたい。
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