ピンカーのこの本の要旨は、
人類の進歩の主な原動力となったのは、理性、科学、ヒューマニズムという非政治的な理念であって、これらが知識の追及と利用に向かわせたからこそ人類は繁栄できたと言うことで、第一部で、それを展開してきた啓蒙主義を説明し、第二部で、その成果を論じて、我々が、史上最良の時期に生きていることを説いて、
第三部で、ポピュリストや宗教原理主義者や、今や知的文化の主流までもが啓蒙思想の敵になって居るとして、理性、科学、ヒューマニズムの視点から論破して啓蒙主義の擁護論を展開している。
理性については、右も左も知性を欠いた議論に終始しており、特に、政治的論争は酷くて、理性を失わずに議論するにはどうあるべきか、その方法を説いている。人々が最も繁栄するのは、市民規範、権利の保障、自由市場、社会保障、節度のある規制などを兼ね備えた自由民主主義の元においてだと当たり前のことを述べているのだが、理性を妨害していると政治と大学の二極化・偏向を痛烈に批判している点など興味深い。
科学については、長寿、健康、富、自由をもたらしてきたのは自明であり、宇宙の歴史や宇宙を動かす力、生命の起源や人体を動かす力、精神活動を含めた生命のメカニズムなど沢山の知見をもたらしたのだが、アメリカの政治家の科学軽視のお粗末さや大学でまかり通る科学の悪者扱いなど、小学生でも分かる科学的真理が、無視されている現実の恐ろしさなど、卑近な例も多くびっくりする。
これらについては、ユヴァル・ノア・ハラリが、一寸違った視点から、宗教否定的な世界観を論じていて参考になるので、記しておきたい。
「サピエンス全史」で、7万年前、ホモ・サピエンスは、まだ、アフリカの片隅で生きて行くのに精一杯の、取るに足らない動物だったが、その後年月を経て、科学とテクノロジーの力によって、地球全体の主となり、生態系を脅かすに至り、今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。と説き、
更に、「ホモ・デウス」で、新しい時代の科学やテクノロジーの知識や現実から遊離してしまった宗教は、投げかけられた疑問を理解する力さえ失ったと、トランプ支持の福音派キリスト教徒やイスラム原理主義者たちの宗教原理のみならず、科学とテクノロジーの発展進歩によって、高等宗教の教義を次から次への論破して行った人知経験万能の人間至上主義の勝利を説く。
しかし、比類のない能力と機会を享受している人間だが、無知で堕落しやすい生き物であり、何かの指導と監督がなければ、永遠の真理を理解できず、はかない官能的な快楽と現世の妄想に惹きつけられる弱い生き物でもあり、それに、死んで行く。したがって、絶対的な真理と人生の森羅万象の意味は、超人的な源から生じる永遠の法に基づいていなければならないとして、その限界を語っているところが興味深い。
この点については、ピンカーは、啓蒙思想の限界については触れて居らず、ハラリが問題としていた「絶対的な真理と人生の森羅万象の意味は、超人的な源から生じる永遠の法」が、人類にとって重要なことだとすれば、啓蒙主義を推し進めることによって到達できるのかどうか。
ところで、ピンカーが、最後に論じたのは、「ヒューマニズムを改めて擁護する」。
ヒューマニズムを否定する代表として、「有神論的道徳」と「ロマン主義的ヒロイズム」を痛烈に批判している。
有神論的道徳には、致命的な欠陥が二つあるとして、
第一に、神の存在を信じるべき尤もな理由がない。
第二に、たとえ神が居たとしても、宗教を介して告げられるその神意は、我々の道徳規範になり得ない。
旧約聖書の神は、何百万人もの無辜の民を殺し、古代イスラム人に集団強姦や虐殺を命じた。神への冒涜、偶像崇拝、同性愛、姦通、親への口答え、安息日の労働には死罪を宣告しながら、奴隷制、強姦、手足の切断、虐殺を特に悪としなかった。いずれも、青銅器・鉄器時代に普通に行われていたことで、今日では、良識ある信者は、神の命令から人道的なものだけを選び出して、そうでないものは寓話的に解釈したり修正したり、無視したりして、啓蒙的ヒューマニズムのレンズを通して聖書を読んでいる。と言う。
キリスト教には知識がないので何とも言えないが、科学の進歩やヒューマニズム思想の発展によって、宗教的な思想や原理が、少しずつ退行していって、ハラリが言うように、人間が神の座におさまろうとする神格化論が飛出すのであろう。
省略するが、ピンカーは、イスラム教論まで展開していて、宗教故にイスラム諸国が停滞するのだと論じていて興味深い。
「ロマン主義的ヒロイズム」は、ニーチェの思想批判。
人生で重要なのは、善悪を超越して、意思を力に変え、英雄的栄光を手にする「超人」になることで、そのようなヒロイズムによってのみ、種の可能性を引き出し、人類を存在の高みへ押し上げることが出来ると言う思想で、この思想に感化されて、ヒトラーやスターリンなどの独裁者を啓蒙し支持した多くの偉大な(?)思想家や作家、学者を列記していて、ニーチェの思想がそれ程影響力が強くて危険であったのかを知らなくて、自分の無知を恥じている。
このニーチェの超人思想、「他に秀でて強い個々の人間種」が、部族、人種、国家のことだと解釈されて、ナチズム、ファッシズム、その他の「ロマン主義的ナショナリズム」に取り込まれて行って今日に繋がっており、バノンの影響を受けたトランピニズムの「権威主義的ポピュリズム」を理解するためには、ニーチェの影響を受けた二つのイデオロギー、ファシズムと反動主義(テオコンサバティズム)に目を向けなければならないという。
「ネオ=テオ=反動=ポピュリズム的ナショナリズム」と言うことだが、その思想基盤は、論理的に破綻しているという。
これが、現今のアメリカだと思うと恐ろしくなってくる。
啓蒙主義的ヒューマニズム擁護のために如何に戦うか、とにかく、博学多識、欧米の学者の途轍もない知識欲のなせる技だが、久しぶりに、問題意識を持って取り組んだ大著であった。
人類の進歩の主な原動力となったのは、理性、科学、ヒューマニズムという非政治的な理念であって、これらが知識の追及と利用に向かわせたからこそ人類は繁栄できたと言うことで、第一部で、それを展開してきた啓蒙主義を説明し、第二部で、その成果を論じて、我々が、史上最良の時期に生きていることを説いて、
第三部で、ポピュリストや宗教原理主義者や、今や知的文化の主流までもが啓蒙思想の敵になって居るとして、理性、科学、ヒューマニズムの視点から論破して啓蒙主義の擁護論を展開している。
理性については、右も左も知性を欠いた議論に終始しており、特に、政治的論争は酷くて、理性を失わずに議論するにはどうあるべきか、その方法を説いている。人々が最も繁栄するのは、市民規範、権利の保障、自由市場、社会保障、節度のある規制などを兼ね備えた自由民主主義の元においてだと当たり前のことを述べているのだが、理性を妨害していると政治と大学の二極化・偏向を痛烈に批判している点など興味深い。
科学については、長寿、健康、富、自由をもたらしてきたのは自明であり、宇宙の歴史や宇宙を動かす力、生命の起源や人体を動かす力、精神活動を含めた生命のメカニズムなど沢山の知見をもたらしたのだが、アメリカの政治家の科学軽視のお粗末さや大学でまかり通る科学の悪者扱いなど、小学生でも分かる科学的真理が、無視されている現実の恐ろしさなど、卑近な例も多くびっくりする。
これらについては、ユヴァル・ノア・ハラリが、一寸違った視点から、宗教否定的な世界観を論じていて参考になるので、記しておきたい。
「サピエンス全史」で、7万年前、ホモ・サピエンスは、まだ、アフリカの片隅で生きて行くのに精一杯の、取るに足らない動物だったが、その後年月を経て、科学とテクノロジーの力によって、地球全体の主となり、生態系を脅かすに至り、今日、ホモ・サピエンスは、神になる寸前で、永遠の若さばかりか、創造と破壊の神聖な能力さえも手に入れかけている。と説き、
更に、「ホモ・デウス」で、新しい時代の科学やテクノロジーの知識や現実から遊離してしまった宗教は、投げかけられた疑問を理解する力さえ失ったと、トランプ支持の福音派キリスト教徒やイスラム原理主義者たちの宗教原理のみならず、科学とテクノロジーの発展進歩によって、高等宗教の教義を次から次への論破して行った人知経験万能の人間至上主義の勝利を説く。
しかし、比類のない能力と機会を享受している人間だが、無知で堕落しやすい生き物であり、何かの指導と監督がなければ、永遠の真理を理解できず、はかない官能的な快楽と現世の妄想に惹きつけられる弱い生き物でもあり、それに、死んで行く。したがって、絶対的な真理と人生の森羅万象の意味は、超人的な源から生じる永遠の法に基づいていなければならないとして、その限界を語っているところが興味深い。
この点については、ピンカーは、啓蒙思想の限界については触れて居らず、ハラリが問題としていた「絶対的な真理と人生の森羅万象の意味は、超人的な源から生じる永遠の法」が、人類にとって重要なことだとすれば、啓蒙主義を推し進めることによって到達できるのかどうか。
ところで、ピンカーが、最後に論じたのは、「ヒューマニズムを改めて擁護する」。
ヒューマニズムを否定する代表として、「有神論的道徳」と「ロマン主義的ヒロイズム」を痛烈に批判している。
有神論的道徳には、致命的な欠陥が二つあるとして、
第一に、神の存在を信じるべき尤もな理由がない。
第二に、たとえ神が居たとしても、宗教を介して告げられるその神意は、我々の道徳規範になり得ない。
旧約聖書の神は、何百万人もの無辜の民を殺し、古代イスラム人に集団強姦や虐殺を命じた。神への冒涜、偶像崇拝、同性愛、姦通、親への口答え、安息日の労働には死罪を宣告しながら、奴隷制、強姦、手足の切断、虐殺を特に悪としなかった。いずれも、青銅器・鉄器時代に普通に行われていたことで、今日では、良識ある信者は、神の命令から人道的なものだけを選び出して、そうでないものは寓話的に解釈したり修正したり、無視したりして、啓蒙的ヒューマニズムのレンズを通して聖書を読んでいる。と言う。
キリスト教には知識がないので何とも言えないが、科学の進歩やヒューマニズム思想の発展によって、宗教的な思想や原理が、少しずつ退行していって、ハラリが言うように、人間が神の座におさまろうとする神格化論が飛出すのであろう。
省略するが、ピンカーは、イスラム教論まで展開していて、宗教故にイスラム諸国が停滞するのだと論じていて興味深い。
「ロマン主義的ヒロイズム」は、ニーチェの思想批判。
人生で重要なのは、善悪を超越して、意思を力に変え、英雄的栄光を手にする「超人」になることで、そのようなヒロイズムによってのみ、種の可能性を引き出し、人類を存在の高みへ押し上げることが出来ると言う思想で、この思想に感化されて、ヒトラーやスターリンなどの独裁者を啓蒙し支持した多くの偉大な(?)思想家や作家、学者を列記していて、ニーチェの思想がそれ程影響力が強くて危険であったのかを知らなくて、自分の無知を恥じている。
このニーチェの超人思想、「他に秀でて強い個々の人間種」が、部族、人種、国家のことだと解釈されて、ナチズム、ファッシズム、その他の「ロマン主義的ナショナリズム」に取り込まれて行って今日に繋がっており、バノンの影響を受けたトランピニズムの「権威主義的ポピュリズム」を理解するためには、ニーチェの影響を受けた二つのイデオロギー、ファシズムと反動主義(テオコンサバティズム)に目を向けなければならないという。
「ネオ=テオ=反動=ポピュリズム的ナショナリズム」と言うことだが、その思想基盤は、論理的に破綻しているという。
これが、現今のアメリカだと思うと恐ろしくなってくる。
啓蒙主義的ヒューマニズム擁護のために如何に戦うか、とにかく、博学多識、欧米の学者の途轍もない知識欲のなせる技だが、久しぶりに、問題意識を持って取り組んだ大著であった。