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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

庭で過ごす憩いのひととき

2022年02月05日 | 生活随想・趣味
   コロナ騒ぎの所為もあるが、外出がめっきりと減って、書斎と庭を行き来する日々が続いている。
   私にとっては、庭の存在が大きくて、友人知人の何人かは、庭の手入れなどが億劫になってきたと言って、一戸建てを処分してマンションに移ったのだが、その心境が良く分からない。
   一頃のように派手な庭仕事は出来なくなったが、花木の植え替えや剪定、薬剤処理など日頃の手入れくらいは適当に出来るし、季節の移り変わりに敏感に反応してくれる花々や小動物の伊吹に接していると、穏やかな幸せを感じられるし、その対話の世界を失うなど考えられないのである。

   アムステルダムやロンドンにいた壮年期には、大きな庭付きの家に住んでいたが、仕事が多忙でヨーロッパを飛び回っていて、庭の花木の手入れは勿論、季節の花の移ろいにも殆ど無関心であったのだが、
   それでも、結構、各地の名園を訪れたり、オランダの壮大な花畑やイギリスのローズガーデンや民家の庭、荒れ果てた東欧の鄙びた田舎の果樹園など、あっちこっちで見た花々の印象が残っていたのであろうか、
   長いヨーロッパ生活を終えて帰国したとき、留守の間も忘れずに咲き乱れて主を迎えてくれた八重桜の豪華さ、ピンクの美しいパラソルのように咲いていた垂れ梅、清楚で完璧な乙女椿の美しい姿など、わが庭の花々の暖かさに感激して、少しずつ、ガーデニングに勤しみ始めた。
   それから、殆ど四半世紀になるのだが、日々、花木や草花との交流が続いている。

   最初の庭は、印旛沼に近い千葉の庭で、やはり、好きな椿からはじめて、徐々に、バラに移って行き、近くの京成バラ園に行ってバラに親しみ、花咲き実なる講座と言った通信教育を受講するなど、少しずつ本格的になっていった。
   わが庭のバラも、最盛期には、バラ園並に綺麗に咲いたし、殆ど園芸種の銘椿の木が30種類以上にもなり、春には、庭一杯に椿が咲き乱れた。
   私好みに育てたこの一種ジャングルのような花の園は、去ってからは、グーグルアースで見ると、無粋な駐車場に変って、咲き乱れていた花木は跡形もなく消えてしまっている。

   8年前に移ってきた今の鎌倉の庭は、既に、日本庭園として綺麗に整備されていたので、その後に、私好みの花木を加えたり植え替えたりして今の庭になっている。
   やはり、椿など花木が多くなったので、日本的な庭に色彩が豊かになったという感じであろうか、
   バラを植え付ける空間は殆ど残っていないので、バラの多くは鉢植えで育てている。

   今、わが庭に咲く花は、紅白の梅、そして、何株かの椿と日本スイセンくらいで、色彩に乏しい。
   しかし、鹿児島紅梅は咲き乱れているし、白梅は徐々に開花し始めているので、大分明るく成ってきた。
   
   
   
   
   

   書斎に篭って、パソコンを叩き、本を読んでいると、時に及んで外に出たくなる。
   陽が照っていて、風がないときには特にそうである。
   外温が5度を切っていても、緑に囲まれた日だまりに出ると、結構寒さが気にならないので、寒気をものともせずに綺麗に咲く花の神秘に感動しながら、しばし佇む。
   日頃のように、庭に出て本を読む気にはならないが、雰囲気を楽しむために、アウガルテンのカップにティーを入れたり、ウエッジウッドのカップにコーヒーを入れたりして庭に出てしばしい憩う。緑茶は、煎れ方が難しくて時間を取るので、九谷の湯飲みを使いかねている。
   貴重な時間を、庭に出て、美しい花を愛でながら、しばしのひときを憩う、楽しからずやである。
   何故か、ヨーロッパの田舎町の鄙びたレストランやカフェーで過ごした旅の思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡る。
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